予想外に強くなった自分へ ― 予定通りにいかない日々が教えてくれたこと

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予想外に強くなった自分へ ― 予定通りにいかない日々が教えてくれたこと

「予定通り」なんて幻想だったと気づいた日

司法書士として日々仕事をしていると、「予定通りに進む」なんてことのほうが稀だという現実に直面します。登記申請も、書類作成も、クライアント対応も、すべてが想定外の連続です。初めの頃は「何か自分のやり方が悪いのでは」と悩みもしましたが、10年以上やってきた今となっては、これはもう業界の“仕様”なんだと割り切るようになりました。

登記の予定がズレるのは日常茶飯事

ある日、午前中に完了予定だった所有権移転登記が、売主の本人確認資料不足で丸一日ズレこみました。その日は午後に抵当権設定の立ち会いも入っており、時間の再調整に追われる羽目に。こういった「ほんのちょっとのミス」が全体の流れを崩すのは、司法書士あるあるです。

クライアントは悪くない、でも…こっちは振り回される

多くの場合、クライアントに悪意はありません。提出書類を忘れたり、記入漏れがあったり、急に別の予定が入って来所できなくなったり。ただその“結果”を一身に受けるのがこちらの立場で、最終的には我々が「何とかする」ことになります。理不尽さを感じながらも、感情を飲み込むしかありません。

事務所を支えるのは“段取り力”ではなかった

事務所を回していく上で最も重要なのは「段取り力」だと思っていました。カレンダーにびっしり予定を入れ、リマインダーで確認し、ミスのない進行管理。しかし、それだけではダメだということに気づくのに、そう時間はかかりませんでした。

完璧なスケジュールを組んでも、壊れる

ある週、月曜から金曜までびっちりと業務予定を組み、これ以上ないほど完璧なスケジュールを立てました。ところが月曜の朝一番、急な相続登記の依頼が飛び込んできて、すべてが崩壊。結局、その週の予定はほとんど再構築になり、私の努力は水の泡。スケジューリングの限界を痛感しました。

変化に「慣れる」しかなかった

もうこれは「対応力」を身につけるしかない、と腹を括りました。変化が前提の職業なのだと。心構えを変えることで少し楽になったような気もします。臨機応変という言葉を使えば聞こえはいいですが、実際は心の中で何度も毒づきながらの対応です。

突然の変更に慣れる過程で心がすり減った

柔軟性を身につけることは必要だけど、それが「心に負荷をかけ続ける」という事実を、ある時ふと気づきました。どんどん対応はうまくなるけれど、疲労感と自己否定感が溜まっていくのです。

電話一本で全崩壊、そんな日が何度もあった

予定が詰まった一日の始まり、一本の電話で「今日キャンセルできますか?」の一言。それだけで、こっちの段取りは崩壊。その穴をどう埋めるかに頭を使い、別件との調整に追われ…終わる頃には何も進んでいない現実にぐったり。もう「今日って何だったんだろう」と虚無になります。

予定変更に謝るのはいつもこちら側

依頼人都合で変更になった案件でも、謝るのはなぜかこちら。事務員さんも気を遣って「申し訳ないですね…」と肩をすくめるけど、ほんとは一番謝られたいのは私のほう。クライアントに怒りはないけれど、この役回りには時々やりきれなさを感じます。

「ご迷惑をおかけして…」が口癖に

最近は、誰に対してもまず「ご迷惑をおかけしてすみません」と言ってしまうようになりました。体に染みついてしまった習慣。でもふと思うのです、「本当に迷惑をかけてるのはどっちなんだろう?」と。そんな気持ちを押し込めて笑顔を作る、そんな日常が自分を少しずつ削っていきます。

変化に対応する力は「身についた」けれど

結局のところ、変化への対応力は嫌でも鍛えられました。予定が変わるたびに愚痴をこぼしつつ、それでもなんとか立ち回って、最低限の結果にはつなげている。でも、それは「身につけた」のか、「麻痺してきた」のか、今でもわからなくなることがあります。

感情がついてこないまま、体だけが動いていく

たとえば急ぎの案件が重なった時、もう気持ちがついていかないんです。でも体は勝手に動いて、必要な処理をこなしている。事務所としては助かるけれど、自分としては「自動機械みたいだな」と感じる瞬間もあります。

“我慢”が対応力にすり替わっていく怖さ

対応力という言葉はポジティブに聞こえるけど、実態は“我慢”の延長線だったりします。我慢を続けているうちに「慣れ」と誤認し、それが評価される。でも本当は、自分の心が悲鳴をあげているだけなのかもしれません。

一人で背負い込まないためにしていること

それでも、壊れずにやってこれたのは、自分なりの「逃げ道」や「支え」があったからだと思います。無理しない関係性と、素直に頼れる環境があること。それがどれだけ救いになっているか、年々実感します。

事務員さんとの「雑談」が救いになる

たわいのない話を交わせる人がひとりいるだけで、救われるものです。うちの事務員さんも、長く勤めてくれているけれど、仕事よりも雑談の時間のほうが私にはありがたかったりします。

同業者とのゆるいつながりの大切さ

オンラインでもリアルでも、他の司法書士さんとの「ゆるいつながり」があるだけで気が楽になります。「ああ、みんな大変なんだな」と思えることが、変な安心感につながるんですよね。

若い司法書士さんに伝えたい「期待しすぎるな」

司法書士という仕事に夢を持つのは悪いことではありません。でも、その「理想」が崩れたときの反動は大きい。だからこそ、最初から“予定通りにいかない仕事”なんだと割り切っておくほうがいいのかもしれません。

理想と現実のギャップに耐えられないとき

開業当初、「スケジュール管理で全体をうまく回すぞ!」と意気込んでいた私も、現実の壁に何度も打ちのめされました。今振り返ると、理想を描きすぎていたんだと思います。

スキルより先に必要なのは“耐性”かもしれない

技術や知識よりも、まず求められるのは「どれだけ揺らがずにいられるか」。すぐにパニックにならない、焦らない、それだけで仕事の8割はこなせます。新人さんにこそ、この“耐性”を伝えたいのです。

変化に対応できる自分を「誇ってもいい」と思えるまで

振り返れば、いろんなことに振り回されながらもここまで来ました。柔軟性というか、しぶとさというか、決して格好いいものではないけれど、「それでもやってきた」ことには胸を張っていいのかもしれません。

愚痴ばかりの日々も、意味があると感じられる瞬間

「今日は最悪だった」と思う日が、翌週のちょっとした出来事で報われたりします。その繰り返しの中で、少しずつ、変化に慣れていった気がします。

柔らかく、しなやかに、でも折れずに

これからも予定通りになんて進まないでしょう。でも、そういう中で、自分なりのやり方でやっていく。柔らかく、しなやかに、でも簡単には折れない。そんな司法書士でいたいと、改めて思っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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