事務員さんなしでは、もう生きていけない。

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事務員さんなしでは、もう生きていけない。

なぜ私は今日も生きていられるのか

気づけば司法書士になって20年近く。日々、登記申請や書類作成に追われる生活をしています。そんな中、「今日もなんとか無事に終わった」と思えるのは、実のところ自分の力ではありません。いや、もちろん仕事はしてるんですが、本音を言えば「事務員さんに助けられて生きてます」というのが正直な気持ちです。支えられている、というよりも、もはや命綱レベル。そんな話を今日は愚痴とともに語らせてください。

誰かがやってくれている日常業務の重み

たとえば郵便物ひとつ。封筒に書かれた見慣れない差出人名を見て、「あれ、これ何の件だっけ?」と悩む時間がなくなりました。開けるとすでに関連する案件ファイルが隣に置かれている。メールの未読が山になっていると、既にプリントアウトされて、重要そうなものには付箋が貼ってある。「これ、先生のサインだけです」と言われる瞬間に、どれだけの作業が“誰か”によって済まされているのかが、ふと重くのしかかるんです。

「先生」なんて呼ばれるけど、実態は…

私は地域の銀行や不動産業者さんから「先生」と呼ばれる立場です。だけど事務所に戻れば、パソコンと格闘し、印刷の不具合にイライラし、紙詰まりに心が折れる、ただの不器用なおじさんです。「印刷できません」のエラー表示ひとつに手間取っていた私を見て、事務員さんがさっと来てボタンを2回押しただけで解決。「ああ、またか…」と自分にため息が出ることも少なくありません。

地獄のような繁忙期に支えられた日

3月や9月の決算期、あるいは相続の集中するタイミングになると、文字通り休む暇がありません。そんなときに限ってプリンタは壊れるし、法務局へのオンライン申請はエラーが出るし、依頼人からの電話は鳴りっぱなし。正直、気が遠くなりそうな日々です。でも、それでも業務が止まらないのは、事務員さんが「いま、先生の頭の中はこれでいっぱいだから」と察して、先に手を打ってくれているからです。

気づいたらパンク寸前。救われたのは「ただの入力」だった

以前、ある日突然、頭が真っ白になりました。登記申請書類のどれを修正していたかすら思い出せなくなったんです。椅子に座ったまま固まっていた私の前に、事務員さんがそっとファイルを差し出して、「先生、途中で止まってたここですよ」と。たったそれだけのことなんですが、その瞬間に私は泣きそうになりました。ああ、自分はもう限界だったんだ、と気づいたんです。

ミスしても責めない。その一言がどれだけありがたいか

人間ですから、事務員さんだってミスします。でも「すみません、訂正印お願いできますか」と言われるたびに、私の方が申し訳ない気持ちになるんです。だって、その前に山のような書類を、あの集中力でこなしてくれていたわけですから。以前、「私も間違えるんで、お気になさらず」と笑ってくれたことがありました。その一言で、どれだけ救われたか。怒る気なんて、起きるはずもありません。

優しさに甘えてはいけないとわかっていても

そうはいっても、ふとした瞬間に思います。「これ、完全に人に頼りきってるな」と。独立したての頃の「全部自分でやらなきゃ」精神は、どこへ行ったのやら。とはいえ、仕事の質を保つには、やはり分担と信頼が必要なんですよね。わかってはいるんです。だけど、あまりに当たり前になりすぎて、ついその優しさに甘えてしまっている自分がいます。

事務員さんがいなかった時代の話

今でこそ「先生、コーヒー飲みますか?」なんて声をかけてもらえる日々ですが、昔は違いました。開業して数年間は、完全にひとり。仕事も経理も、書類整理も郵便も、すべて自分。無駄な完璧主義にとらわれて、時間だけが過ぎていきました。

全部自分でやっていた頃、私はボロボロだった

今思えば、あの頃は毎日が戦場でした。昼食も取れず、書類の山に埋もれて、終わらない処理に苛立ちをぶつける相手もいない。おまけに人と会話することも減って、どんどん視野が狭くなっていった気がします。おかげで、ミスをしても誰も指摘してくれず、あとで大ごとになるなんてこともありました。完全に孤軍奮闘で、正直、心身ともに限界でした。

登記の前に郵便物で詰む

例えば、登記の締切が迫っているのに、住民票が届いてない。調べたら、受け取り忘れてポストに放置されていた…そんなミスが何度もありました。封筒を開けるだけでも時間と手間がかかる。書類がバラバラになって、探すだけで30分かかる。そんなことばかりでした。

雇う決断をするまでにかかった年数

誰かを雇う、というのは勇気がいりました。収益も安定していなかったし、人を育てる自信もなかった。でも、ある日「もう限界だ」と思った瞬間に決断しました。最初はパートで来てもらった方に「助かります…」しか言えなかったのが懐かしいです。今ではもう、いなければ回りません。

事務員さんの偉大さは“ミスしない”ことではない

勘違いされがちですが、事務員さんの価値は「正確さ」だけではありません。本当にありがたいのは、「こちらの先を読んで動いてくれる力」。つまり、人間的な感覚と気遣いです。こればっかりは、どれだけAIが進歩しても代替できないんですよね。

「先回り」こそが本当のスキル

たとえば、ある相続案件で「そろそろ戸籍謄本を請求しといた方がいいかもしれませんね」と言われた時、正直驚きました。私がまだ頭の中で整理しきれていなかったのに、すでに段取りが見えている。こういう「先読み力」は、経験と気遣いの積み重ねでしか育たないスキルです。

体調より私の心を気にしてくれる人

ある日、明らかに体調が悪そうなのに、「先生、ちょっと顔色悪いですけど大丈夫ですか?」と心配してくれたことがありました。その逆じゃないんかい、と内心ツッコミながらも、本当にありがたかったです。仕事を超えた「人」としてのつながりが、どれだけ私を支えてくれているか。

これから司法書士を目指す人へ伝えたいこと

独立して自由になる、というのは確かに魅力です。でも、ひとりで何でもできるわけではないし、する必要もありません。私は一人で背負いすぎて、遠回りしてしまいました。これから司法書士を目指す方には、ぜひ「誰とやるか」の大切さを知っておいてほしいです。

全部ひとりでやるのが正解じゃない

独立開業=完全に孤立、というのは幻想です。むしろ、効率的に仕事を回すには、信頼できる人とチームを組むことが不可欠。得意な人に任せる、それが結果として仕事の質を上げるんです。

「人に頼る力」もスキルのひとつ

「自分ひとりで完結させなきゃ」というプレッシャーが強い人ほど、空回りしがちです。私はそれで何度も痛い目を見ました。だからこそ断言します。「人に頼る力」も、立派な専門スキルです。むしろ司法書士の世界では、それがあるかどうかで生き残りが決まる気すらします。

小さな事務所ほど、チームでやるべき

スタッフが多くないからこそ、連携と信頼が命です。お互いの状況を把握していないと、すぐに業務が止まります。でも逆に言えば、小さいからこそ密な連携ができるという強みもある。うちは2人ですが、なんとかやれているのはそのおかげです。

最後に――感謝してもしきれない、という愚痴

日々忙しくて、ちゃんと感謝を言えているか不安です。本当はもっと「ありがとう」って伝えなきゃいけないのに、つい業務の流れに追われて流してしまう。でも、心の中ではいつも思ってます。「この人がいなかったら、今頃どうなってたんだろう」って。

ありがとうの言葉しか出てこない日もある

実際、「もう疲れた…」と思っていた夕方、差し入れのお茶と一言「お疲れさまです」で泣きそうになった日もあります。どんなにきつい日でも、その一言でなんとか持ちこたえられる。それが、現場のリアルです。

でも、休まれるとやっぱり不安になるんです

とはいえ、事務員さんが休むとやっぱり焦ります。「この書類、どこにあったっけ?」から始まり、作業のペースはガタガタ。そうなると、自分の依存度がよくわかってしまって、また自己嫌悪。でも、それだけ頼れる存在がいるというのは、何よりの幸運なのかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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