「忙しい」のは確かなんだけど、なんか満たされない
朝から晩まで、電話、来客、書類作成、登記申請と、司法書士の仕事はとにかく忙しい。依頼人との対応に追われていると、時計を見る余裕もない日がある。でもふと手が止まった瞬間、胸の奥が妙に冷たいことに気づく。「今日も人に囲まれていたのに、なんでこんなに寂しいんだろう?」そんな感覚が、最近とても増えた。
1日中動きっぱなしなのに、心が置いてけぼり
依頼人とのやり取り、電話応対、法務局との連絡。日中は誰かと常につながっている感覚があるはずなのに、夜になると一気に疲れと空虚さが襲ってくる。まるで心だけが置き去りにされているようで、「今日、自分って何のために動いてたんだっけ?」とぼんやり考えてしまう。
仕事はしてる。でも「生きてる」って感じがしない
タスクをこなしているだけでは、生きている実感が持てない。依頼人の期待に応えることに集中していると、いつの間にか自分の感情を感じる余裕もなくなる。気づけば、「何かが足りない」という違和感だけが心に残っている。これはたぶん、誰かと心を通わせた時間がゼロだった日の終わりによく起きる現象だ。
司法書士という仕事の「孤独の正体」
司法書士という職業は、社会的には信頼され、責任も重い仕事だ。でも、だからこそ生まれる「壁」がある。依頼人との関係性は基本的にビジネス。親身にはなるが、心の奥までは触れ合わない。これが、深い孤独を生む原因になっている。
依頼人はたくさんいるのに、誰とも心が通わない
一日に何人もの人と話しているのに、終わってみると不思議なほど「会話をした」という実感が残らない。話の内容はほとんど手続きやスケジュールの確認ばかりで、相手の人間性に触れるような時間はほとんどない。これは、業務の効率上やむを得ないけれど、やっぱり寂しい。
事務的な会話の繰り返しに、心が乾いていく
「印鑑証明はお持ちですか?」「登記申請は来週です」――毎日同じような言葉を繰り返していると、言葉がどんどん乾いてくる。誰かに「お疲れ様」と言ってもらえるわけでもないし、自分も相手にそれ以上の言葉をかける余裕がない。業務的なやり取りだけでは、心は潤わない。
感謝されても、どこか空しいのはなぜか
「ありがとう」の言葉をもらっても、それが自分自身に向けられているというより、「業務完了」に対するもののように感じることがある。たとえそれが心からの言葉であっても、自分の中で何かが響かない。「自分じゃなくても良かったのでは?」という感覚がつきまとう。
専門家という「壁」が、いつの間にか孤独を作る
司法書士という肩書きが、知らず知らずのうちに相手との距離をつくってしまうことがある。信頼と引き換えに、親しみやすさや感情のやりとりがどこか薄れてしまう。それが続くと、誰とも本音で話せない日々が積み重なり、「自分の声が誰にも届いていない」という孤独に繋がっていく。
事務員がいても孤独感が消えない理由
事務員を一人雇っているが、それで寂しさが解消されるわけではない。むしろ「一人雇っている立場」という責任が、さらに心の距離を広げてしまうこともある。業務連絡はあっても、心のやり取りは意外と少ない。
業務のやり取りはあっても、雑談はほぼゼロ
忙しい時は、お互いに無駄口を叩く余裕もない。ただ、気まずいわけではない。むしろ良い関係だと思う。でも、「人と話した」という実感は得られない日が多い。寂しさの正体は、こうした”余白のなさ”にもあるのかもしれない。
気を遣う立場のつらさ――一人雇う責任の重さ
「雇っているからにはちゃんとしなきゃ」というプレッシャーも大きい。事務員の前では弱音を吐けないし、愚痴も言いづらい。「大丈夫ですか?」と聞かれても「平気です」としか返せない自分がいる。その建前がまた、寂しさを増幅させる。
忙しさで誤魔化してきた「寂しさ」の蓄積
寂しさを自覚するのはたいてい、仕事が少し落ち着いたときだ。ずっと動いていると気づかない。でも、ふと立ち止まったとき、蓄積された「空虚さ」が一気に顔を出す。そして、「何のためにこれを続けてるんだっけ?」と自問してしまう。
日々のタスクに追われ、気づけば自分が見えない
あまりにも毎日がルーティンすぎて、自分という存在が薄れていく感覚がある。誰かのために仕事をしているはずなのに、自分のために何かをしている実感が持てない。このまま年を重ねていいのかと、不安になる。
誰のために働いてるのか、わからなくなる瞬間
「依頼人のため」「家族のため」と言い聞かせてきたけど、本当にそうか?と考えるとよくわからない。目的を見失った状態で走り続けるのは、精神的にもかなりキツい。そして、それに気づく瞬間が一番寂しい。
やることはある。でも、やりたいことがない
「今日もやることは山ほどある。でも、何か楽しみがあるか?」と自問すると、答えに詰まる。義務感と責任感だけで毎日を乗り切っている感じがして、虚しさを感じてしまうのだ。
寂しさと向き合った時に見えてきた「本音」
寂しさをごまかさず、真正面から見つめてみると、意外と素直な気持ちが出てくる。「誰かに聞いてもらいたい」「少しだけ休みたい」――そんなシンプルな欲求を、ずっと見ないふりをしていたことに気づく。
もう少し、自分の時間がほしい
本当は、ただぼーっとする時間が少しあれば、それだけでリセットできる気がしている。でも、その時間すら作れない自分がいる。休みを取ることに罪悪感を感じてしまうのも、地方の個人事業主あるあるだ。
信頼されるのは嬉しい。でも弱音も吐きたい
「頼りにしてます」と言われるのは正直嬉しい。でも、それに応え続けるには、どこかで自分の心も休ませなきゃいけない。「つらい」とか「疲れた」とか、そんな言葉を素直に言える場所が欲しい。
「寂しい司法書士」から抜け出すヒント
根本的な解決は難しい。でも、小さな行動から少しずつ寂しさは減らせる。意識的に誰かと繋がる努力をすることで、気持ちが軽くなる瞬間もある。
小さなつながりを、自分から作る
「誰か話しかけてくれないかな」と待っているだけでは孤独は消えない。だから、こちらから声をかけてみる。仕事の話じゃなくて、「今日、天気いいですね」くらいでもいい。それだけで少し空気が変わる。
事務員との雑談を意識して始めてみた話
最近、事務員に「今日のランチ何食べました?」と聞いてみた。たったそれだけの会話なのに、不思議と事務所の空気が柔らかくなった。こんなことでいいんだ、って思えた。
同業者とのゆるいつながりが、案外心を救う
士業ってみんな孤独。だからこそ、同業者とのゆるい情報交換や雑談がすごく救いになる。最近はSNSでつながる機会も増えてきて、それだけでも気が楽になる時がある。
司法書士を目指す人へ伝えたい、ちょっと現実的な話
華やかなイメージを持って司法書士を目指す人も多い。でも実際には、静かな孤独との付き合いが長い仕事でもある。その現実を、少しでも共有しておきたい。
資格を取った後に待っている「思ってたのと違う日々」
「独立すれば自由だ」と思っていた。でも、実際は自由どころか責任に縛られて、自由な時間なんてほとんどなかった。資格を取った瞬間がゴールじゃなくて、スタートなんだと痛感する。
それでもやってる理由って、何なんだろう?
矛盾するようだけど、「しんどいけど、やめたいとは思わない」のが本音。多分、自分の中でこの仕事に向いてる部分と、誇りを持てる部分があるから。だからこそ、たまに感じる寂しさとも、上手に付き合っていくしかない。