登記が重なる日――なぜか同じ日に集中する謎
普段はぽつぽつと舞い込む登記依頼が、なぜか特定の日に限って「3件連続で急ぎ」になることがある。まるで天のいたずらか呪いかというレベルでタイミングが重なる。たいてい月初や月末、祝日前など「この日はゆっくり片付けよう」と思っていた日に限って重なるのは、もはや職業病的なジンクスのようだ。今日はその「運命の登記ラッシュ」に見舞われた一日を、愚痴とともに振り返ってみたい。
たまたま?それとも必然?依頼の波が読めない
依頼というのは、本当に読めない。昨日まで静かだった事務所に、朝一番から電話が鳴りっぱなし。開口一番、「急ぎなんです」と言われてカレンダーを見て目を疑った。すでに2件、同日対応で押さえていたのに、さらに1件。「なぜ今日?」と思わず口に出してしまう。こういう日は不思議と「別の日ではダメなんです」というお決まりの言葉が続く。
「急ぎなんです」攻撃に心が削られる日々
「急ぎなんです」は司法書士にとっては、呪文のような言葉だ。聞いた瞬間、胃がぎゅっとなる。しかも3件ともが「急ぎ」と言われると、もはやどれを優先しても誰かに怒られる未来しか見えない。依頼者は仲介業者からのプレッシャーも強く、こっちの都合はまるで無視。いつからこの仕事は、スピード勝負になったのかと考え込む。
事務所は二人きり、回らない現実
うちは小さな事務所で、僕と事務員さんの二人体制。普段ならこれで十分だと思っていた。だが、今日のように3件同日、それも「即日対応希望」が重なると、どうにもならない。手が足りない、時間が足りない、気力もなくなる。なのに電話とメールは鳴り止まない。もはや冷蔵庫の野菜室くらいキャパオーバーだ。
事務員さんもパニック、僕もパニック
「○○様の印鑑証明は届いてましたっけ?」と事務員さんの焦った声。僕も「えっと、あれは……えーと……」と答えに詰まる。普段は丁寧に管理しているつもりでも、こういう日にはミスが起きる。確認のつもりが二重送信、ファイル名のつけ間違い、郵送先の誤記。パニック状態では、基本的な確認もおぼつかなくなるのが怖い。
「あと少しが終わらない」書類山積みの机
1件はほぼ完了、2件目も目処が立った、と思ったのに、机の上の書類は減らない。「あとちょっと」の積み重ねが終わらない。登録免許税の計算、添付書類の確認、オンライン申請のチェック…。ひとつでもミスればやり直し。しかも、終わったそばから次の電話。「もう無理」とつぶやいた数が今日だけで10回は超えていた。
そもそも、なぜ登記は「急ぎ」になるのか
「登記なんて、もっと余裕をもって準備できるものでは?」と思われがちだが、実際はそうもいかない。特に不動産の売買では、登記のタイミングが契約や融資と密接に結びついているため、どうしても「この日でないと困る」という依頼が多い。だからこそ、我々司法書士がバタバタする羽目になるのだ。
不動産業者のスケジュールに振り回される構造
契約日、決済日、引渡し日――不動産業界にはこの三点セットが存在する。そしてそれらは、司法書士にとって「登記を間に合わせるべき日付」でもある。業者さんから「この日に決済します」と言われれば、たとえ当日であっても、なんとかしなければならない。誰もこちらの都合なんて考えていないのが現実だ。
「引渡しが明日なんです」→こっちは今日知った
これは実際にあった話。「明日、引渡しがあるんです。今日中に登記必要です」と午後3時に電話がかかってきた。まさかの当日依頼。しかも必要書類は揃っておらず、役所への確認も必要。結局、夜までかかってギリギリ間に合ったが、あれはもう二度とやりたくない。それでも、きっとまたあるんだろうな、と思ってしまう。
買主・売主・仲介、それぞれの「都合」が合わさると地獄
一件の登記には、複数の人の都合が関わる。売主は「早く終わらせたい」、買主は「銀行の都合で今日しか無理」、仲介業者は「月内に決済しないと困る」。この三者の希望がピタリと合った時、奇跡のように見えるが、司法書士にとっては「地獄の呼び鈴」でもある。その日が今日だった、というだけの話だ。
体力よりも精神が削れる瞬間
この仕事、肉体的には大したことがないと思われがちだが、精神的な消耗はかなりのもの。特に「急ぎが3件重なった日」は、終わってからもしばらく放心状態になる。帰り道、コンビニのレジで財布を忘れたことに気づいたり、自宅の鍵を持っていなかったり。仕事に集中しすぎると、私生活がぼろぼろになる。
一件終えても「あと二件ある」の絶望感
「やっと終わった!」と思ったら、すぐ次の書類が待っている。この繰り返しが一番つらい。しかも、依頼者からの電話やメールがリアルタイムで飛んでくるので、気が休まらない。「今どうなってますか?」という問い合わせの通知を見るたびに、心がざわつく。信頼されている証と思いたいが、正直しんどい。
胃がキリキリする登記受付システムとの戦い
登記申請のオンラインシステムも、うまく動いてくれるとは限らない。特に夜遅く、疲れ果てた状態で入力していると、通信エラーや入力ミスでやり直しになる。間違って申請すると、補正通知が飛んできて、さらに対応に時間が取られる。「登記完了通知」が来るまで、ずっと胃が痛い。これ、もう少し何とかならないものか。
重なった後にくる、謎の静けさ
翌日、事務所に出ると、嘘のように静まり返っている。電話も鳴らず、メールも少ない。「昨日のあの嵐は何だったんだろう」と独り言が出るほどだ。あれだけバタバタした後の静けさは、妙に不安になる。人間、忙しさに慣れると、静かな時間に罪悪感すら感じるのだから、不思議なものだ。
「あの怒涛は何だったのか」と天を仰ぐ
書類の山が消えた机を見つめながら、「今日は何もしない」と決めても、つい仕事を探してしまう。昨日の余韻が抜けないからだ。たまには休みたいと思いながらも、暇な時間ができると不安になる。「依頼が来ない=自分の存在意義が薄れる」という思考に陥ってしまうのは、この仕事のあるあるだと思う。
閑散期にできることと、できないこと
静かな時間を有効活用したいとは思っている。帳簿の整理や、過去案件の見直し、事務員さんとの情報共有など、やるべきことは山積みだ。ただ、静かすぎると集中できない。結局ダラダラしてしまい、気づけば夕方。「ああ、また何もできなかった…」と自己嫌悪に陥る。この仕事、波がありすぎる。
それでも、この仕事を続けている理由
こんなにしんどくて、理不尽なことも多い仕事なのに、なぜか続けてしまう。それはやはり、依頼者の「ありがとう」があるからだと思う。大変だったけれど、喜んでもらえた。そういう瞬間にふと救われる。そして、「また頑張ろう」と思えてしまうのが、この仕事の不思議なところだ。
「ありがとう」に救われる瞬間も、確かにある
今日の登記ラッシュの最後に、「本当に助かりました」と丁寧に頭を下げてくださった依頼者がいた。その一言だけで、胃の痛みも少し和らぐ気がした。報われることが少ない仕事だけど、たまにこういう瞬間があるから、やめられないのかもしれない。
理不尽の向こうに見える、ちょっとした誇り
誰にも気づかれなくても、裏方として支える仕事に誇りを持っているつもりだ。今日みたいな地獄のような日があっても、「あの人に頼んでよかった」と思ってもらえたら、それで充分。やっぱり、僕は司法書士として生きていくんだろう。