気づけば今日も書類とにらめっこ
朝起きて、コーヒーを一口飲んで、気合いを入れてパソコンを立ち上げる。そこから始まる一日。気づけばもう夜の7時、昼ご飯を食べたのかも思い出せない。書類、書類、また書類。気を抜けば間違えるし、集中力を切らすと補正通知が飛んでくる。司法書士って、結局ほとんどの時間を「紙と向き合う」仕事なんじゃないかと最近つくづく思います。しかもそれが延々と続く。今日もまた、終わる気がしないんです。
朝から終わりが見えない書類の山
事務所に着くと、まず机の上の書類の山にため息が出る。「昨日もこんなにあったのに、なんで減ってないんだ?」と自分でツッコミを入れたくなる。メールには追加の依頼、机には登記申請の準備中の案件、そして棚の上には提出待ちのファイルたちがズラリと並ぶ。書類の向こうに自分の未来が見えない。まるで無限ループに放り込まれた気分になる。
「あと一件だけ」と思ってからが長い
「とりあえずこの一件だけ終わらせよう」と思って作業に取りかかる。でも、それが終わるころには次の電話が鳴って、また別の対応が舞い込んでくる。「一件だけ」が、いつの間にか「あと三件」に増えていて、気づけば夜。気持ちだけが焦って、体は疲れ切っていて、進まない書類を前にフリーズする。これが現実です。
時計を見るたびに増える焦り
午後3時。「そろそろ集中しないとマズいな」と時計を見て焦る。午後5時。「今日はもう間に合わないかも」とため息。午後9時。「何やってんだろう俺…」。時計を見るたびに焦りだけが積み上がっていく。どこかで手を抜けたら楽なのに、それができないのが性分。だからこそ、ずっとこのループから抜け出せない。
司法書士の仕事は9割が地味
たまに「司法書士ってかっこよさそう」と言われることがある。でも、それは表面だけを見た話です。実際の現場は、コピー機と格闘し、インク切れに悩まされ、書類の不備と向き合う地味な作業の連続。華やかなシーンなんて、年に一度あるかどうか。地味こそが司法書士の本質なのです。
華やかに見えるのは表面だけ
例えば、登記完了証がクライアントの手元に届くと「先生、ありがとうございます!」と感謝される。その瞬間だけを見ると、なんだか立派な仕事に見えるかもしれない。でも、その裏には何十枚もの書類と確認作業がある。法務局とやり取りして、補正に怯え、添付書類の確認に追われる。表に出る部分はほんの一部。むしろ、それ以外の作業こそがこの仕事の大半を占めている。
地味な作業が一番大事な理由
地味な作業がなぜ大切か。それは、一つ一つがクライアントの信頼につながっているからです。ミスをすれば即信頼失墜、補正が続けば次は依頼されなくなる。だからこそ、手を抜けないし、地味な工程にも全力を注がないといけない。華やかさなんて求めてないけど、もう少しだけ評価されてもバチは当たらないと思ってます。
こなしてもこなしても終わらない現実
1件終わらせても、次の案件が待っている。終わる気がしない。メールの受信音が鳴るたびに「ああ、またか」とため息が出る。それでもやらなきゃいけない。誰も代わってくれない。司法書士って、どこか「終わらせること」が目的じゃなくて、「続けること」が前提の仕事なんじゃないか。そんなふうに思えることもあります。
事務員との連携も大事だけど…
一人でやっていた頃よりはマシ。事務員さんがいるだけで、ずいぶん助かっている。でも、それでも全部任せられるわけじゃない。確認は自分、判断も自分、責任はぜんぶ自分。だから、事務員との連携は「信頼」がなければ成立しない。でも、信頼していても最終チェックは自分——結局、精神的な負担は軽くならない。
任せたいけど、責任は自分
「ここは任せよう」と思っても、最終的には「でも、確認だけはしておこう」となる。それは信頼してないわけじゃない。でも、間違いがあれば責任を取るのは自分。だから、結局自分の仕事が減らない。事務員を雇えば楽になると思っていたけど、実際には「気を遣う仕事」が増えるだけだった気がします。
ミスを防ぐための神経戦
書類の記載内容、押印の有無、添付書類の整合性、日付のミス。すべてが致命傷になりうる世界だからこそ、目を皿のようにして確認する。見落としがないか、何度も何度もチェックする。時には確認のしすぎで、自分の頭がバグってくることもある。ここまで神経すり減らす職業もそうそうないと思う。
「全部自分でやったほうが早い」の葛藤
正直、時々思う。「全部自分でやったほうが早いんじゃないか」と。でも、それをやり続けた結果、心も体も限界にきた。だから事務員さんを雇った。でも今度は、「任せるストレス」が生まれた。このジレンマ、司法書士の方ならきっとわかってくれると思います。人に任せるのも、実は相当エネルギーがいるんですよね。
書類作業に心がすり減る瞬間
ひとつひとつの作業は大したことがないのに、積み重なるとズシリと重くなる。それが司法書士の「日常」です。特に精神的に疲れているときには、単純な記載作業すら手がつかなくなる。集中力が切れても、誰も代わってくれない。そういうときほど、自分の限界と向き合わされるのです。
集中力が切れたときにくる自己嫌悪
午後3時、集中力が切れる。でも、やるべき仕事は山積み。「また集中できなかった」と自己嫌悪に陥る。こんな日はミスが出やすくて、確認しても確認しても不安が消えない。「なんでこんなにダメなんだろう」と、つい自分を責めてしまう。悪循環にハマって、さらに手が止まる。その繰り返し。
同じ住所を何度も書いてる虚無感
たとえば、不動産登記の依頼。所有権の移転や設定で、同じ住所を何度も記載する。書いて、見直して、また書き直す。これを何十件も繰り返していると、「これ、俺がやる意味あるのか?」と虚無感が襲ってくる。AIで置き換えられる未来が見えた気がして、なんだか情けなくなる。
「何のためにやってるんだっけ?」という疑問
ふとした瞬間に、「俺、なんでこんなに頑張ってるんだっけ?」と疑問が湧く。生活のため? 信用のため? それとも自己満足? 答えが出ないまま、目の前の書類をめくる。気づけば、今日もまた日が暮れていた。そんな日々の繰り返しに、心がすり減っていくんです。
それでも書類に向かう理由
それでもやっぱり、この仕事を続けている。なぜかと聞かれると、うまく説明できないけど、「やめられない理由」がある気がする。誰かの人生に関われる仕事だからかもしれない。自分の小さな作業が、誰かの大きな節目を支えている。そう思える瞬間があるから、今日もまた書類に向かうのだと思います。
小さな「ありがとう」があるから
たまに言われる「本当に助かりました」「早くて助かりました」「先生のおかげです」。その一言だけで、何日分かの疲れが吹き飛ぶこともあります。すべてが報われるわけじゃないけど、その一言があるから、また頑張れる。それが、この仕事を続けていられる理由のひとつです。
誰かの人生の節目に関わっているという実感
不動産の売買、相続、会社の設立。そのどれもが、依頼者にとっては人生の大きな出来事。その一端を任されるというのは、やっぱり重みがあるし、やりがいでもある。派手ではないけれど、確かに誰かの役に立っている実感。書類の向こうには、ちゃんと人がいる。そう思えるからこそ、書類作業にも意味があると思えるんです。
同じように書類に追われてるあなたへ
もし今、あなたも書類の山にうんざりしているなら、声を大にして言いたい。「お疲れさまです!」と。書類に追われる毎日、ほんとしんどいですよね。でも、それでもこなしているあなたはすごい。決して当たり前じゃない。自分を少しだけ褒めてあげましょう。
完璧じゃなくてもいい
ミスを恐れて、確認ばかりして、時間ばかりが過ぎていく。でも、完璧じゃなくてもいい。もちろん仕事には責任がある。でも、自分を追い込みすぎたら長続きしない。少しだけ、気を抜ける瞬間を作ってもいいと思います。続けるために、肩の力を抜くのも必要なことなんです。
疲れたら、ちょっとだけ手を止めていい
疲れたときは、5分でも10分でもいい。手を止めて、深呼吸してみてください。それだけでも、少しだけ視界が開けるかもしれません。机の前で悩むより、一度立ち上がって歩いたほうが解決に近づくこともある。書類は逃げません。あなたの体と心が一番大切です。