カタカナのサインってアリなの!?—動揺のはじまり
司法書士として日々さまざまな書類に目を通していると、時折「これは想定外だな…」というケースに出くわすことがあります。ある日、法人登記に必要な代表者の署名が書かれた書類が届き、何気なくチェックしていた私は、手が止まりました。なんと、その代表者の署名が“カタカナ”だったのです。いわゆる「ヤマダタロウ」といった感じの、あのカタカナ。署名欄にしっかりと印字されたような堂々たる筆跡で、しかしそこにあったのは漢字ではなくカタカナ。目の前の現実に、私は一瞬フリーズしてしまいました。
まさかの“カタカナ署名”に出くわした
今まで何百通、いや、もしかすると千を超えるかもしれないほどの書類を扱ってきましたが、カタカナで書かれた代表者のサインは初めてでした。おそらく、本人としては“自筆であれば良い”という認識だったのでしょう。法律的には必ずしも漢字で書かなければならないという明文はなく、ひらがなやカタカナであっても「本人の意思に基づく記載」であれば原則OKというのが実情です。でも……そうはいっても……いや、やっぱり違和感が拭えない。
一瞬、悪質な冗談かと思った
あまりに想定外のスタイルに、「誰かのいたずらか?」とすら思いました。特にこの仕事は、なりすましや詐欺などのリスクもあるだけに、些細なことにも敏感にならざるを得ません。今回の書類も、表面的にはすべて整っている。だけど、その“整いすぎたカタカナ署名”が逆に私の警戒心を刺激しました。
書類は揃っているのに、どうにも引っかかる違和感
書類チェックの業務というのは、慣れてくるとある意味「リズム作業」になります。ところが、そのリズムが狂わされる瞬間というのがあり、それが今回のようなケースです。書類自体に不備はなく、押印も代表者印で間違いなし。でも「これは本当にこの人の意思なのか?」という、根本的な不安がよぎります。形式的な問題ではなく、感覚の問題。こういうとき、妙に疲れます。
形式的には問題なし?でも心がざわつく
法的には通る。だけど納得できない。書類を見るたびに「これでいいのか?」という問いが頭に浮かび、その度にため息が漏れる。忙しい時期だったこともあり、「どうせ問題ないだろ」と片付けてしまいたい気持ちと、「いや、ここで見落としたら…」という不安とがせめぎ合っていました。
事務員も「え、これでいいんですか?」と困惑
事務員にも確認してもらいました。彼女も最初は「うーん、ちょっと変ですよね」と、あまりに率直な反応。私が「一応、本人確認書類と照らしてチェックはしてるんだけど…」と答えると、「いや、それはそうなんですけど、名前って普通漢字じゃないですか…」と戸惑いを隠せない様子でした。こういう時、事務員との信頼関係がありがたい反面、責任が重くのしかかります。
法的にはどうなのか?誰に聞けばいいのか?
今回のような「グレーな事案」は、書籍やネットを見ても明確な答えが出てこないことが多く、結局は「どう判断するか」が問われます。そんな時、自分の中に知識の“穴”を感じるのが一番つらい。自信が揺らぐと、普段当たり前にできていた判断さえ怖くなるんですよね。
ネット検索では答えにたどり着けない現実
「カタカナ 署名 登記 有効」などで検索しても、出てくるのは同じような質問ばかりで、公式な見解はなかなか見つかりません。法務局のサイトも抽象的な表現にとどまっていて、現場の司法書士が感じるような「この違和感にどう対処すべきか」という実践的な指針は見当たりません。
先輩司法書士に聞いてみた結果
最終的には、信頼している先輩司法書士に電話で相談しました。回答は「まあ、本人確認がきちんとできてれば通るよ。ただ、気になるなら事前に法務局に問い合わせた方がいいかもね」というもの。正論です。でも、なんというか、あの微妙な含みがある感じが引っかかりました。
「あり得るよ。けど、気になるよね…」という微妙な反応
この「あり得るけど気になる」という言い方、まさに私の中のモヤモヤを言語化したものでした。つまり、法的には正しい。でも実務的には悩ましい。そして、そこに“判断の責任”が発生する。この責任感が、独立してからというもの、心にずっと重くのしかかってる気がします。
結局、受け取ったけれどモヤモヤが残る
最終的には、本人確認書類と照合し、間違いないと判断して受理しました。登記も無事完了。形式的には問題ない。でも、心の中ではずっと「これでよかったのかな…」という思いが残ったままです。この違和感こそが、この仕事のしんどさだと感じます。
責任の所在がどこにあるのか不安になる
何かあったとき、最終的に責任を問われるのは誰か?自分自身です。だからこそ、ほんの少しでも「おかしいかも」と思ったら慎重にならざるを得ません。こういった感覚は、経験を積めば積むほど強くなっていくような気がします。
本人確認の重さを痛感する瞬間
カタカナのサインを見て思ったのは、「本人確認の重要性」は形式以上に“感覚”や“直感”も必要だということです。証明書や印鑑証明でカバーされる部分はありますが、最終的には「この人に、このサインを書かせて、本当に大丈夫か?」という職人的な勘も問われているような気がします。
教訓:サインの“見た目”に惑わされない力
今回の件を通して学んだのは、「常識」に頼りすぎると判断を誤る可能性があるということでした。サインは漢字であるべき、という思い込みがどこかにあったんだと思います。でも、実務では“見た目”に惑わされず、ちゃんと裏付けが取れていればよしとすべきなんですよね。
形式より実質が大事…と言い聞かせてはみたけれど
書類を処理しながら「これは形式的には正しい」と自分に言い聞かせても、気持ちの中でスッとしないときがあります。そんな時こそ、「なぜそう感じたのか」を言語化しておくと、次に同じようなケースに出くわしたときに判断材料になります。そういう“引っかかり”を記録しておくことが、司法書士としての成長なのかもしれません。
「ちょっと聞いてもいいですか?」と声を出せる環境づくり
今回、事務員がすぐに「これ変じゃないですか?」と聞いてくれたことが救いでした。彼女の存在が、私のモヤモヤを共有してくれる存在になっていたんです。どんなに忙しくても、「ちょっと聞いていいですか?」と言える空気は事務所に必要だと思います。
事務員との信頼関係がクッションになった
毎日の積み重ねが、こういうイレギュラーな瞬間に大きな意味を持ちます。事務員が気軽に話しかけられない雰囲気だったら、私はこの違和感を誰にも共有できなかったでしょう。独立してから、孤独との付き合い方にはまだまだ課題が山積みですが、少なくとも一人でも理解者がいるというのは本当に大きな支えです。
おまけ:こういうケース、皆さんどうしてます?
正直、今でも「これでよかったのか」は答えが出ません。たぶん、こういうのは“絶対解”なんてないのだと思います。この記事を読んでくれた司法書士の方、あるいはこれから司法書士を目指す方。もし似たような経験があれば、ぜひ聞かせてください。こういう実務の“生の悩み”こそ、共有する価値がある気がします。
現場の悩みはマニュアルじゃ解決しない
マニュアルやFAQでは語りきれない現場の“違和感”。それを無視せず、でも過剰に恐れず、丁寧に扱っていくことが、私たち司法書士の役割なのかもしれません。カタカナのサイン一つで、こんなに悩む仕事も、なかなかないと思います。