気持ちが追いつかない日の正体とは
朝起きて、スーツを着て、いつものように出勤しようとする。でもなぜか足が重い。体は動いても、心がどこか遠くに置き去りにされているような感覚。そんな日が、年に何回かやってくる。いや、年に何回どころか、月に何回かある気がする。特に、繁忙期明けや、大きな案件が片付いた直後。張りつめていた糸がぷつんと切れて、何もしたくなくなる。これはサボりじゃない。ただ、気持ちが追いついてこないだけなのだ。
やる気が出ない=怠け?その誤解
「今日は気が乗らない」と誰かに漏らすと、冗談まじりに「怠けてるな〜」なんて返される。だけど、それは違う。やる気というのは勝手に湧いてくるものじゃないし、ボタン一つでオンになるようなものでもない。司法書士という仕事は、常に緊張感と責任の中で動いている。だからこそ、ふと気が抜けると、まるで全部がどうでもよくなる瞬間がある。そんなときに自分を責める必要なんて、本当はないのだ。
「何もしたくない」は心のSOS
忙しさに追われていると、自分の心の声を無視してしまう。でも「今日は何もしたくない」と思ったときこそ、自分の内側が叫んでいる証拠だ。過去に一度、忙しさを言い訳にして休まず働き続け、最終的に軽いパニック発作のようなものを起こしたことがある。手が震え、呼吸が浅くなり、「これはまずい」と思った。結局、身体よりも先に壊れかけていたのは、自分の感情だった。
地方の司法書士は、常にフル回転
都会のように業務が分業されていない分、地方の司法書士は何でも屋だ。登記だけでなく、相続の相談、農地転用、後見、裁判書類作成…全部ひとりでこなさなければならない。しかも、顔見知りの付き合いも多く、断ることができない依頼も多い。日々、締切と依頼に追われていて、「自分のペース」なんて言葉は忘れかけている。
午前は相談、午後は役所、夜は申請書作り
典型的な一日は、午前中に2、3件の相談。その合間に市役所と法務局、時には裁判所にも立ち寄る。午後は急ぎの書類確認と電話対応、そして夜になってやっと静かになった事務所で申請書をまとめる。帰宅するころには22時を過ぎていることも珍しくない。家では最低限の会話だけ交わして、風呂に入って寝る。そんな日が何日も続くと、心が置いてきぼりになる。
「休む」という選択肢が消えていく日常
本当は一日休みたい。ゆっくり本を読んだり、散歩したりしたい。でも現実は「明日までにこれを仕上げなきゃ」「依頼者に連絡しなきゃ」という義務感に押しつぶされて、休むという選択肢すら見失う。しかも、誰も代わりがいない。自分が倒れたら、それでおしまいなのだ。そんなプレッシャーを背負いながら、今日も机に向かっている。
事務員が一人、全部は任せられないジレンマ
ありがたいことに、信頼できる事務員がいてくれる。でも、やっぱり専門的な判断や責任の伴う業務は、自分がやるしかない。任せたいけど任せられない。そのもどかしさと罪悪感が、ますます疲れを生む。
簡単に仕事を手放せない現実
「もっと任せていいんじゃない?」と言われることもある。だけど、司法書士という仕事は、ほんの少しのミスが大きなトラブルになる。だからこそ、細かいところまで自分で見てしまう。これは性格の問題もあるけど、結局のところ「責任の所在」が明確だからだ。全部、自分に返ってくる。
「ありがとう」と言われるけど、限界はある
お客さんに感謝の言葉をもらうこともある。それは本当に嬉しい。だけどそのたびに、「それに応えなきゃ」という無言のプレッシャーが積もっていく。ありがとうと言われるほど、自分に課すハードルが上がっていくような感覚がある。
気持ちが切れる瞬間と、その後の空白
「あ、もう無理かも」と感じた瞬間があった。それは年末の繁忙期、数十件の登記と相談が重なったある日だった。朝から一件も手をつけられず、ただぼーっと机に向かって座っていた。焦る気持ちはあるのに、体も心も動かない。まさに、気持ちが切れた瞬間だった。
疲れすぎて、感情が置き去りになる
やるべきことは頭の中にある。でも、気持ちがまったく追いついてこない。そんな状態では、感謝も達成感も感じられない。ただ時間が過ぎるのを待っているだけ。仕事をしていても、生きている実感が薄れていくような感覚だった。
依頼者の前では演技している自分
それでも依頼者の前では笑顔で対応する。丁寧に話を聞き、穏やかに説明する。まるで舞台の上の俳優のように。でも、内心では「早く終わってくれ」と思っていた。そのギャップがまた、自分を責める材料になっていく。
「ちゃんとしなきゃ」が逆に苦しめる
真面目で責任感が強い人ほど、「ちゃんとやらなきゃ」と思い込んでしまう。でもそれが、自分を追い込む一番の原因になる。完璧を求めすぎて、心がついていかなくなるのだ。少しぐらい抜けてもいい、失敗してもいい。その許しが、自分に出せなかった。
それでも自分を責めないでほしい理由
何もしたくない日があっても、それはサボりじゃない。立ち止まることも、ちゃんと生きてる証拠だ。自分を責めてしまいがちな司法書士の方々に、まずは「それでいい」と伝えたい。
動けなくても、ちゃんと仕事してる証
たとえ机に座ってぼーっとしてしまっても、頭の中ではちゃんと考えてる。どこかで気を張ってる。それだけで十分なのだ。自分では「怠けてる」と感じても、外から見れば、十分頑張ってるように見えている。
「今日は何もしない」が自分を守る方法
意識して休む。スマホも閉じて、依頼のことも忘れて、ただぼーっとする。そんな日があることで、心が回復していく。自分を守る手段として、何もしない日を作ってもいい。それは決して逃げではない。
司法書士を目指す方へ伝えたいリアル
この仕事は、やりがいもあるし、人の役に立つ喜びもある。でも、きれいごとだけでは続かない。むしろ、しんどいことのほうが多い。だからこそ、最初から「無理しすぎない心構え」を持っていてほしい。
きれいごとではない日々もある
ドラマやネットに出てくる司法書士像は、美しく整理されすぎている。現実はもっと泥臭いし、地味だし、孤独だ。でも、それを乗り越えた先に、やっと「続けてよかった」と思える瞬間がある。
でも、それでも続けている人もいる
私も何度も辞めようと思った。でも、今日もこうして事務所を開けている。それは、支えてくれる人がいるからであり、自分自身を少しずつ許せるようになったからだ。もしあなたがこの道を選ぶなら、自分の気持ちを大事にすることを忘れないでほしい。