あの日、依頼人が突然泣き出した
忘れられない午後がある。いつものように家族信託の説明をしていたら、依頼人がぽろっと涙をこぼした。別に怒鳴ったわけでも、無神経なことを言ったつもりもない。淡々と、契約の話をしていただけのはずだった。でも、ふとした沈黙のあと、目元をぬぐう仕草。そして静かに「すみません」と一言。私はその瞬間、しまった、と思った。たぶん、触れてはいけない部分に足を踏み入れてしまったのだ。
たしかに普通の面談だったはずが
その日の面談は、60代後半の女性。息子さんと二人暮らしで、信託を使って財産管理を整理したいという相談だった。書類もきれいにまとめていて、どこかきちんとした印象の方だった。ただ、どこかよそよそしいというか、表情が硬いのが気にはなっていた。まるで、自分の話ではないように話すのだ。私は最初、それを「事務的な性格なのかな」と思っていた。
淡々と説明していただけのつもりだった
「こちらが信託契約書の雛形になります。受託者はご長男でよろしいですか?」いつものように確認していた。相手も「はい」と答えていた。でも、何かが違った。表情に曇りが見えたのだ。声が少しかすれていた。そして、私が「信託終了時はどなたに残す予定ですか?」と聞いた瞬間、沈黙が流れた。息子さんの名前を口にしようとして、止まった。そして、涙だった。
涙のきっかけは「ある一言」
「この子にちゃんと任せていいのか、正直わからなくて…」と、ぽつりとこぼれた言葉。私は返す言葉が見つからなかった。今まさに信託を組もうとしていた相手に対して、「信じられない」と思っている。でも、誰にも言えなかったのだろう。私の何気ない一言が、蓋をしていた想いを溢れさせた。書類上は問題ない。でも、心が追いついていなかった。
家族信託が「感情」に触れる瞬間
家族信託は制度としては実によくできている。でも、「家族」という言葉がつく以上、感情の領域を避けて通れない。契約と人間関係が交差するとき、司法書士は不意にその交差点の真ん中に立たされることがある。私はただの手続き屋でいたいのに、相手は「人生の相談」にまで踏み込んでくることがあるのだ。
制度の話ではなく、家族の話になっていく
最初は「信託ってなんですか?」という質問から始まる。でも、話していくうちに「実はうちの子、昔から…」とか「嫁ともうまくいってないみたいで…」という家族のエピソードが出てくる。信託契約は財産を管理する枠組みだが、その設計には「信頼」が前提にある。その信頼が揺らいでいる家族にとって、信託はまるで地雷のようなテーマになる。
想定外の心の痛みに触れてしまうことも
「泣くと思わなかったです」——依頼人が帰り際に言った言葉が忘れられない。私も泣かれるとは思っていなかった。でも、感情が動いたということは、その人にとって信託の話が本当に「自分事」になった瞬間だったのだと思う。とても重く、そして大切な場面だった。
実は多い、高齢者の「語られない想い」
信託の相談を受けていると、高齢者が抱えている「語られない想い」に直面することがある。老後の不安、子どもとの距離感、そして「自分の人生はこれでよかったのか」という漠然とした思い。制度の説明をしているうちに、ふとそういう想いが顔を出す瞬間がある。
書類よりも「想い」が優先される場面
法律上の理屈ではスムーズでも、本人の気持ちがついてこないことがある。信託の設計書を作る段になって、「やっぱりこの子に任せるのは不安で…」と白紙に戻るケースもある。そういうとき、司法書士として「正解」は出せない。ただ、寄り添うしかない。
「子どもに迷惑をかけたくない」という言葉の裏
よく聞くセリフだが、これはただの謙遜ではない。「自分が生きてきた結果を、子に託すのが怖い」という気持ちも含まれている。うまく関係が築けなかった、期待通りに育たなかった、そういう後悔もにじんでいる。だからこそ、信託を通じて「償いたい」気持ちも見え隠れする。
「私が死んだあとのことなんだけどね…」の重み
死後の話をするとき、多くの依頼人が言葉を選びながら話す。ときには笑い混じりにごまかす人もいるが、その裏には孤独や不安が見え隠れする。「私がいなくなったら、あの子はやっていけるかしら…」そんなつぶやきに、どれだけ私たちが向き合えるか。
司法書士としての対応のむずかしさ
泣かれることに慣れているわけじゃない。こっちだって戸惑う。でも、そこに人間の本音があるから、逃げられない。手続きのプロとして、感情に巻き込まれないようにしつつ、寄り添うバランスが求められる。これは簡単なことではない。
泣かれても、こちらも人間です
正直に言えば、こちらも感情を引きずる日がある。面談のあと、事務所でひとりぼんやりしてしまうこともある。でも、それは悪いことじゃないと思っている。依頼人の心に触れた証拠なのだから。
感情と手続きのバランスをどう取るか
「泣くからダメ」「感情的になるから厄介」と切り捨てたら、この仕事は続かない。制度はあくまで枠組み。その中に収まりきらない感情があるとき、どう扱うか。それがこの仕事の難しさであり、面白さでもある。
事務所の体制では受け止めきれない現実
私の事務所は、小さな地方の一拠点。事務員と私の二人だけの体制では、感情に長く付き合う時間も余裕もない。理想と現実の狭間で、何度もため息をつく。
一人事務所では「感情の余白」がない
次の予約が迫っている中で、依頼人の涙に付き合う時間が取れないこともある。冷たいと思われたかもしれない。でも、スケジュールは待ってくれない。
事務員にも負担がかかってしまう
泣きながら帰っていった依頼人を見て、事務員が「私、なにか失礼なこと言っちゃったかな」と気にしていた。私のケアが足りなかったのだ。チームで支えるには、もっと仕組みが必要なのかもしれない。
最後に:愚痴っぽくて申し訳ないけれど
本当はこういう話、誰かに聞いてほしかった。でも、同業の人にもなかなか言えない。だから、こうして書くことにした。泣かれた日は、疲れる。正直、めんどくさい。でも、あの涙をきっかけに信頼関係ができることもある。だから今日も、次の相談に向かう。
それでもこの仕事をやめられない理由
事務所を出るとき、夕陽がきれいだった。ふと思い出して、あの依頼人のことを考えた。「ちゃんと伝えられてよかった」と言っていたあの顔を。これがあるから、またやっていける。
また次の涙に備えて、今日も資料をそろえる
制度の説明、契約書の整備、全部大事。でも、それ以上に「人の気持ち」に向き合う覚悟を忘れたくない。明日もまた誰かの想いに出会うかもしれない。だから今日も、静かに準備を進めている。