なぜ「値上げしたい」と言い出せないのか
「今の料金では正直きついな……」と感じる瞬間は何度もあった。それでも言えない。言った瞬間に関係が壊れるんじゃないかと思ってしまう。司法書士という職業柄、相手との信頼関係は何よりも大切だ。でも、その「信頼」が重くのしかかって、自分の本音を押し殺してしまっている。たとえば昔からの顧客に、今さら「すみません、報酬上げさせてください」とは言いづらいのだ。頭ではわかっている。でも心が追いつかない。
長年の関係性が“言いづらさ”を育てる
たとえば10年以上付き合いのあるお客様。若い頃にまだ駆け出しだった自分を信じて任せてくれた。その恩もあるし、「先生は昔から安くやってくれる」と周囲に言っているのも知っている。そんな人に、いまさら値上げの話を切り出すなんて、裏切り行為のようにも思えてしまう。相手は悪くない、むしろこちらの都合。でも、それでも口が重くなる。
「自分だけが我慢すれば」と思ってしまう心理
「まあ、自分が少し頑張れば済む話だ」——この考え方にどれだけ自分を縛られてきただろう。実際、1時間かかる作業を30分で終わらせて、休憩時間を削ってでも乗り切る。それで月末の収支がなんとかトントン。でも、それって本当に健全なんだろうか。自分が削っているのは時間だけじゃなく、健康やモチベーション、家族との時間だったりする。気づいた時にはもう手遅れかもしれない。
値上げしないことによる見えない損失
料金を据え置いていると、一見、何も変わらないように見える。でも実際には、見えない“損”がじわじわと蓄積していく。たとえば、収入が増えないのに物価は上がっている。生活費は圧迫され、事務員への昇給すらためらうようになる。結果、事務所全体のやる気や安定性にまで影響が出てしまうのだ。
時間単価が下がり続ける現実
昔は1件に2時間かけて2万円もらっていた。でも今は、その業務が複雑化して3時間かかるようになったのに、料金は変わっていない。つまり、1時間あたりの報酬が目減りしているわけだ。しかも、手間が増えたことで精神的な負担も大きくなっている。利益率は下がる一方で、余裕がどんどん失われていく。
業務の質が下がるリスク
「安く引き受けたんだから、最低限の仕事でいいか」——そんな考えがふと頭をよぎるようになってしまったら危険信号。自分の誇りにかけてそんなことはしたくないけれど、余裕がないと心がそうささやく。
限界まで詰め込んだ先にあるミスの怖さ
「あと3件だけ何とか今日中に」と詰め込んだ結果、確認漏れが起きたことがある。幸い、大きな問題にはならなかったが、冷や汗をかいた。その夜は眠れなかった。もしこれが致命的なミスになっていたら……そう考えると、値上げをためらうより、業務を減らしてでもクオリティを守るべきだったと痛感する。
余裕がなくなると「親切」が削られる
昔は、相続の話をじっくり聞いていた。「先生、ちょっとだけ聞いてください」と言われても、笑って対応できた。でも、今は次の予定が頭にあると、つい「それはまた今度で」と言ってしまう。お客様が本当に求めているのは、書類以上の“安心”だったりする。その余裕を失うのが、何よりも恐ろしい。
「言えば終わるのでは」という不安
「値上げの話をしたら、もう依頼してくれないのでは?」という恐怖がいつもある。特に地方では口コミや紹介が生命線。「先生、最近高いらしいよ」なんて噂が立ったら……と、考えすぎてしまう。
値上げ=関係終了という思い込み
一度だけ、思い切って長年の取引先に「実は少しだけ報酬を見直したい」と話したことがある。内心ガクブルだった。でも返ってきた言葉は「先生、それは当然ですよ」という一言だった。その瞬間、「勝手に思い込んでただけか……」と肩の力が抜けた。もちろん全てがそううまくはいかない。でも、全てが終わると決めつけるのは早計かもしれない。
本当に“それだけの関係”だったのかを考える
もし、値上げしただけで離れていく顧客がいたとして、それは本当に大切な関係だったのか? 付き合いが長いというだけで信頼していたけれど、実は一方通行だったということもある。関係性を見直す機会にもなると捉えるべきかもしれない。
言い出すために必要な準備と整理
ただ「値上げしたいんです」と言っても、納得してもらえるわけじゃない。やっぱり、それなりの根拠や伝え方が必要になる。自分の中で整理し、言語化しておくことで、自信を持って伝えることができるようになる。
価格の根拠を自分の中で言語化する
「値上げする」と一言で言っても、なぜそうするのかを説明できなければ相手は納得しない。だから、自分自身がまず納得する必要がある。業務量の増加、物価高騰、専門性の向上など、正当な理由をしっかり言葉にすることが大切だ。
過去との比較・実績の可視化
過去の案件数や所要時間、報酬額を見える化すると、どれだけ今の料金が見合っていないかがよくわかる。数字にして相手に示せば説得力も出るし、自分の自信にもつながる。
同業者との価格感のすり合わせ
同業者の報酬相場を調べてみると、「自分、こんなに安くやってたのか」と驚くこともある。他と比べて明らかに低い場合、それを補足情報として伝えるだけでも効果的だ。
値上げを伝えるタイミングと伝え方
「いつ」「どうやって」伝えるかも重要なポイント。タイミングを誤れば相手の反感を買ってしまうし、伝え方によっては関係を壊してしまうこともある。
「感謝」と「今後も続けたい意思」のセットで
「長年お付き合いいただきありがとうございます。これからも末永くお願いしたく…」という言葉を添えるだけで、値上げの印象はまるで違う。単なる価格改定ではなく、関係継続のための前向きな判断だという姿勢を見せるべきだ。
文書・電話・面談…どの手段が適しているか
ケースによって適切な伝達方法は異なる。文書なら丁寧に伝えられるが、誤解を生む可能性もある。対面で伝える勇気があるならそれが一番確実だ。事前に「こう伝えよう」とシミュレーションしておくとよい。
実際に伝えてみて見えたこと
勇気を出して一歩を踏み出してみると、意外なほどスムーズにいくこともある。もちろんすべてがうまくいくわけではないけれど、やってみなければわからない。
意外とあっさり受け入れられるケース
ある法人顧客に料金改定を伝えた際、「むしろ先生がこれまで安すぎたんですよ」と言われた。拍子抜けしたが、それだけ信頼されていたのかと嬉しかった。その後の関係もまったく変わっていない。
それでも離れていった人たちへの整理の仕方
値上げを理由に離れていった方もいる。でも、「ずっと安くやってくれる人」ではなく、「しっかりと価値を提供する専門家」として見てもらえなかったのだと思う。そう割り切ることで、少し気が楽になった。
“言えない自分”を責めないという選択肢
言えなかった過去を責めても、何も変わらない。むしろ、少しずつでも前に進もうとする自分を肯定することが、次の一歩につながる。
言えなかった過去も、学びの材料になる
過去に「言えなかった」経験があるからこそ、次は「どう言おうか」と考えられる。迷った時間も、悩んだ時間も、無駄じゃない。その経験が、次の判断の質を高めてくれるはずだ。