あの日、依頼人の一言にフリーズした
それは、特別な登記案件でもなく、ごく普通の相続登記の相談中のことだった。依頼人は50代くらいの女性で、相続手続きが初めてだと言っていた。こちらが「では、登記簿を確認しまして…」と話し始めたところで、彼女がぽつりとこう聞いたのだ。「先生、登記簿って何ですか?」と。瞬間的に頭が真っ白になった。あまりにも基本的な質問に、こちらが固まってしまうとは思っていなかった。普段当たり前に使っている言葉こそ、実は説明が難しい。それを痛感した出来事だった。
登記簿という言葉が、喉に引っかかった
登記簿なんて、司法書士なら毎日見てるし、操作もしてる。でも、いざ説明しようとすると「うーん、不動産の情報が載っている記録で…」と、途端に曖昧になる。法律的には「不動産の権利関係を明らかにするための帳簿」なんだけど、それを素人にどう伝えるのかってなると、一気に難易度が上がるのだ。
毎日のように扱っているのに、説明するのが難しい
車の運転に例えるなら、運転はできてもエンジンの仕組みを説明しろと言われたら言葉に詰まるようなもの。登記簿は業務のど真ん中にあるけど、それだけに「説明すること」を意識してこなかった。しかも相手は法律にまったく馴染みのない人。だからこそ、余計に「どう伝えればいいんだ…」と悩む。
専門用語をどう噛み砕くか、それがいつも悩ましい
「不動産の履歴書みたいなもんですよ」と言ってもピンとこない人もいるし、「昔の登記済証が〜」なんて話を持ち出しても混乱させるだけ。説明の切り口は人によって変える必要があるし、それがまた難しい。専門用語を簡単にするのは技術だ。…けど、その技術、正直、私はあまり鍛えてこなかった。
なぜか恥ずかしかった。「説明できない自分」に
たぶん、あの瞬間が一番恥ずかしかった。プロとして当然の知識を、相手に伝えられない自分。依頼人が悪いわけじゃない。でも、自分の無力さが恥ずかしかった。実務ができるだけじゃダメなんだと痛感した。
司法書士=何でも即答できる存在であるべき?
依頼人の前では、常に落ち着いて、知識が豊富で、何でもすぐに答えられる存在でいなきゃいけない。そう思い込んでいた。でも現実はそんなに完璧じゃない。時には迷うし、言葉が出ないこともある。なのに、そういう自分を責めてしまうのが司法書士の性分なのかもしれない。
「知らない」と言われる恐怖が頭をよぎる
「この人、本当にプロなの?」と思われるんじゃないかという恐怖。登記簿ひとつ説明できないなんて…と、自分に対する信頼が崩れていくような気がして、焦りと情けなさが押し寄せた。依頼人はそんなこと思ってなかったかもしれないけど、自分の中の自信が、あの一言でぐらついた。
「説明力」は業務外だと思っていた
司法書士試験に合格するには、六法全書を読み込んで条文を覚えるしかなかった。だから、「どう伝えるか」なんて考える余裕はなかったし、それは実務の中でも二の次だった。でも、今思えば、それこそが一番必要なスキルだったのかもしれない。
試験では学ばなかったコミュニケーション
試験では「不動産登記法第○条に基づき…」と書ければ合格だけど、現場ではそうはいかない。相手が理解してくれなければ、どんな正論も意味がない。コミュニケーションって、実務を始めてからぶつかる最大の壁だ。
登記法と民法には強いけれど、人の気持ちには…
専門家であることと、信頼される人間であることは別物。登記の知識だけじゃ、人は納得してくれないし、安心もしない。言葉選びひとつで、依頼人との関係は良くも悪くもなる。そのことに気づくのが、だいたい独立して数年後なんだよな。
「わかりやすく」は、実は一番むずかしい
要するに、専門用語を省いて、かつ正確に伝えるってことなんだけど、それが本当にむずかしい。たとえば「所有権移転登記」だって、「名義を変える登記です」だけじゃ足りない。でも、細かく話しすぎても混乱させる。絶妙なバランスが求められる。
あの質問をきっかけに変わったこと
「登記簿ってなんですか?」と聞かれたのは、実は私にとって大きな転機だった。あの恥ずかしさがなければ、きっと今も説明力を磨こうとは思わなかっただろう。あれ以来、私は少しずつ自分の説明を見直すようになった。
説明のテンプレートをつくるようになった
どんな依頼人にも伝わるように、いくつかのパターンを用意するようになった。たとえば「登記簿とは?」という質問には、「不動産の履歴書」「誰が持ってるか書いてあるノート」「法務局にある公的な記録」など、相手によって例えを変えて説明している。
「登記簿とは何か」を3パターンで説明する練習
若い人にはスマホのアカウント情報に例えるし、高齢者には戸籍のようなものと伝える。とにかく「イメージできる言葉」で説明するよう意識するようになった。最初はぎこちないけど、何度かやってると少しずつ慣れてくる。
事務員とも共有して「誰が答えても安心」な環境を
一人で抱え込むのはやめた。事務員にも説明の流れを伝えて、共通の言葉を持つようにした。誰が出ても「同じ説明」ができれば、それだけで事務所全体の信頼感が増す。小さな努力だけど、現場では案外大きな意味がある。
依頼人の質問は、こちらの視点を整えるチャンス
面倒だと思ってた質問も、今ではありがたいと思えるようになった。依頼人が「え、それ何ですか?」と言ってくれることで、自分の説明を見直すきっかけになる。つまり、あれは成長のチャンスだったのだ。
専門家である前に、サービス業としての姿勢
結局のところ、司法書士って法律の専門職だけど、やってることはサービス業。相手が納得してくれて、初めて「仕事をした」と言える。知識を見せることより、相手の不安を減らすことが大事なんだ。
言葉に詰まる瞬間は、プロとしての学びの場
今でもたまに詰まる。でも、それでいいと思えるようになった。むしろ、その場面から何を学ぶかが大事。次に同じ質問をされたときに、少しでも上手に説明できれば、それだけでプロとして前進してる気がする。
それでも、まだ言葉に詰まる日がある
残念ながら、どれだけ準備しても、想定外の質問はやってくる。完璧な司法書士にはなれない。でも、それでもいいんじゃないかと思えるようになった。
完璧を求めすぎないほうがいいと気づいた
依頼人にすぐ答えられなくても、「少し調べますね」と言えることが誠実だと思うようになった。完璧に答えようとするより、きちんと確認する姿勢のほうが、よほど信頼される。そう自分に言い聞かせている。
司法書士だって、たまには「ちょっと待ってください」でいい
昔はそれが言えなかった。格好悪いと思ってた。でも今は、むしろそう言える勇気のほうが大事だと思っている。誰だって知らないことはある。司法書士だって、ひとりの人間。だからこそ、正直でいることがいちばんだ。
本当のプロは、わからないことをごまかさない
言葉に詰まったあの日を忘れない。あれがあったから、私は少しだけ成長できた。これからもまた詰まるかもしれないけど、誠実に向き合っていこうと思っている。それが、司法書士という職業の重さであり、面白さなのかもしれない。