疲れが限界を超えた、ある火曜日の午後
その日は朝から嫌な予感がしていた。予定していた登記申請が急遽延期になり、代わりに差し込まれた相談が3件。しかも、いずれも重たい案件ばかり。昼食をかき込む時間もなく、午後の面談に突入した時点で、すでに私の集中力は限界だった。パソコンの画面を見ていても頭に入ってこないし、ミスが起きそうで自分が怖かった。こんな日は「もう誰にも会いたくない」と思ってしまう。
午前中だけで3件の対応。頭がもう働かない
1件目は相続人が5人以上いる複雑な案件。2件目は成年後見絡みのややこしい相談。そして3件目は、本人確認すら曖昧な依頼。どれも気を張る案件だったので、通常の3倍は精神を使った。しかもそれを午前中に詰め込むという無謀。電話も鳴り止まず、途中で事務員さんから「ファイルが見つかりません」と呼び出され、さらに疲弊。そんな状態で午後の相談者に向き合うのは、正直つらかった。
「またトラブル?」事務員の顔色で察する午後
午後イチの面談は、前にも何度かやり取りした依頼人。事務員の微妙な顔色から「また何かあったな」と察した。案の定、書類の不備。しかも今回は、こっちの説明ミスも絡んでいたかもしれない。責任を感じながらも、頭はぼんやり。正直、目の前の人の話を聞く余裕すらなくなっていた。
淡々とした業務の中にひそむ、虚無感との闘い
司法書士という仕事は、社会の歯車のようなものだ。確かに人の人生に関わっている。でもその実感は、書類と印鑑の海に埋もれていく。淡々と手続きを進め、登記簿が正しく整えばそれで終わり。ありがとうと言われることもほとんどない。やりがいはどこにあるんだろうと、自問する日も少なくない。
人の人生に関わる責任と、報われなさ
ときどき、「そんな重たい案件、よう引き受けるね」と言われる。でも、断れないのだ。家族の問題、財産の問題、生き方の問題。それを受け止めるには覚悟がいる。けれど報酬は決して高くないし、誰かに褒められるわけでもない。正直、「なんでやってるんだっけ?」と思うこともある。
「どうせ誰も感謝なんてしない」って思っていた
長くやってると、どこかで冷めた目を持ってしまう。「ありがとう」と言われても、表面的な礼儀だろう、と受け流す癖がついた。でも、それすらない人も多い。感謝なんて期待しない方が楽。そんなふうに思っていた矢先、あの一言を受け取ることになる。
その依頼人は、正直、やりにくい人だった
その人は決して悪い人ではない。ただ、何度も書類を忘れてきたり、説明しても理解してもらえなかったりで、対応に手間がかかるタイプだった。表情も常に硬く、こちらが何かミスしたらすぐ怒りそうで、毎回身構えてしまう相手だった。
書類を何度も忘れる、不機嫌な表情
「また忘れました」と言われたときのガッカリ感は、なかなかのものだった。しかも、その後の態度も素っ気なく、「こっちの責任じゃないですからね」と言わんばかりの空気。正直、イラッとした。でも、怒ったところで状況は改善しない。こちらが感情を殺して対応するしかないのがこの仕事だ。
「この人、何かあるのかな」と感じてはいた
ときどき、不意に見せる寂しげな目が気になっていた。家庭の事情か、過去に何かあったのか。聞けるわけじゃないけれど、心のどこかで「この人も大変なんだろうな」と思っていた。ただ、それがこちらの負担を軽くするわけじゃない。
でもこっちも余裕がなかった
そう思えるほど、こっちにも余裕がなかった。その日は特に、心のキャパがすり切れていた。ちょっとしたことで苛立ち、声のトーンも無意識に低くなっていたと思う。まさに、プロとしては最低な状態だった。
登記完了後、ふいにこぼれた一言
すべての手続きが終わり、書類を返却したときだった。「先生のおかげで、本当に助かりました」──そう言われた瞬間、時が止まったように感じた。今までの疲れが一気にゆるんで、言葉が出てこなかった。たった一言が、こんなにも心に響くとは思っていなかった。
「先生のおかげで助かりました」
それは決して、儀礼的な言葉ではなかった。目を見て、まっすぐに伝えてくれた。その人の中でも何かが報われたのだろう。私も同じだった。今日までの苦労が、あの一言で救われたような気がした。
予想外すぎて、言葉が詰まった
何か返さなきゃと思ったけど、うまく言葉が出てこなかった。「こちらこそ、お疲れさまでした」とだけ返すのが精一杯だった。でも、それでよかったのかもしれない。余計な言葉はいらなかった。ただ、その場の空気がすべてを語っていた。
その一言が心に残って離れなかった
事務所に戻って、書類整理をしながらも、あの一言が頭を離れなかった。久しぶりに、心の奥に灯がともるような感覚があった。「これでよかったんだ」と思えた。誰かの役に立てた実感。それこそが、自分がこの仕事を選んだ原点だった。
あの日の疲れが、少しだけ軽くなった
肩の荷がすべて下りたわけではない。でも、確実に軽くなった。感謝の言葉には、そういう力があるのだと改めて思った。たとえひとことでも、人を救う。もしかすると、自分もそうやって誰かに救われていたのかもしれない。
「ああ、無駄じゃなかったんだ」と思えた
ときには、報酬が少なくても、感謝がなくても、やる意味を見失ってしまう日がある。でも、それでもやってきたことが、決して無駄じゃなかったと思える瞬間がある。あの日の「助かりました」は、私にとってそういう言葉だった。
司法書士という仕事の孤独と重み
誰にも見られず、評価もされず、ただ淡々と人の人生の裏側を支える。それが司法書士という仕事だ。孤独で、しんどくて、時には心が折れそうになる。でも、それでもやめられないのは、たまにくる「ありがとう」のためなのかもしれない。
褒められない、評価されない、でもやる
この仕事には拍手もなければスポットライトもない。どれだけ難しい案件を処理しても、「当たり前」と思われる。でも、それでいいと思える自分がどこかにいる。そう思えるようになるには、時間も覚悟も必要だけれど。
「ありがとう」を言われることが、どれだけ希少か
毎日が業務の繰り返しで、「ありがとう」と言われる日は月に一度あるかないか。でも、その一言が、ものすごく大きいのだと実感する。たった一人でも、心からそう言ってくれる人がいれば、それでやっていける気がする。
でも、それがあるから辞められない
「やっててよかった」と思える瞬間がある限り、この仕事を辞める理由が見つからない。報酬じゃない、名誉でもない。「助かった」と言ってくれる誰かがいる限り、私は明日もまた、机に向かうのだ。
同業の先生方へ──「やっててよかった」と思える瞬間は突然くる
この仕事を続けていると、自分の選択が正しかったのか疑うことも多い。無力感、焦燥感、不安。でも、ある日ふとした一言が、そんな気持ちを吹き飛ばすことがある。だから、踏ん張ってほしい。あなたの努力は、誰かの人生を確かに支えている。
不満だらけでも、ふと救われる日がある
私も日々、愚痴ばかりこぼしている。でも、それでも続けているのは、救われる日があるから。すぐじゃなくていい。いつか、ちゃんと報われる。信じられなくても、その一言がきっと、あなたのもとにも届く。
その日のために、今日も書類を作ってる
正直、今日も疲れている。でも、「その日」がまた来るかもしれないと思うと、不思議と机に向かえる。無駄じゃない。そう思えるようになるまでには時間がかかるかもしれないけど、私はこの仕事を、誇りに思っている。