全部自分のせいかもしれない、って思ってしまう夜に

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全部自分のせいかもしれない、って思ってしまう夜に

言い訳せずに受け止めたい夜がある

司法書士という仕事をしていると、言い訳が通用しない場面がたくさんあります。登記の締切、依頼者とのやりとり、法務局からの指摘──どれも言い逃れができない現実です。だからこそ、「これは自分の責任だ」と受け止める強さが求められる。でも、正直言って、それがしんどい時もあるんです。誰にも弱音を吐けず、夜中にひとりでパソコンに向かいながら、「全部自分のせいかもしれない」と呟いてしまう。そんな夜、ありませんか?

「責任感」と「孤独感」はいつもセットでやってくる

ミスがあったとき、誰のせいにもできないのがこの仕事の特徴です。僕は昔、登記申請の添付書類に不備があって、法務局から再提出を求められたことがあります。僕の確認ミスです。その日の夜、誰にも言えず、ひとり居酒屋で酒をあおりながら、「なんで俺はこんなに詰めが甘いんだ」と自分を責め続けました。責任を果たしたいという気持ちが強ければ強いほど、孤独は深まります。

何もかもがうまくいかない日、それでも業務は止められない

朝から電話が鳴りっぱなしで、依頼者の予定変更、法務局の修正要請、事務員の体調不良。三重苦の日ってあるんですよね。気がつけば昼飯も食べてない。気を抜くと書類のチェックも雑になってしまいそう。でも、止められない。業務は待ってくれない。帰宅しても書類の山、確認メールの嵐。「今日だけは休ませてくれ」と思っても、そんな日は、来ないんですよ。

誰のせいでもないことが、自分のせいに思えてしまう

トラブルって、実は誰が悪いわけでもないことが多い。でも、現場の責任者である以上、「これは自分のせいなんだ」と思い込んでしまう。特に、誰からも責められていないときほど、自分の中で勝手に「裁判」が始まるんです。自分が自分を有罪にしてしまう。これは本当に厄介です。

依頼者の言葉に、必要以上に傷ついてしまう瞬間

「先生、ちゃんと見てくれてるんですか?」──そう言われたとき、心がズキンとしました。決して怒鳴られたわけでも、責められたわけでもない。ただ、信頼されていないと感じた一言が、妙に刺さることがあるんです。何気ない一言が、自分の中で「能力不足」の証明のように響いてしまう。冷静になればわかるけど、その瞬間は冷静になれないんですよね。

事務員の表情が気になって眠れない夜

ある日、事務員さんが明らかに疲れた表情をしていました。「私、なにか無理をさせたかな?」と思い出すと、夜になってもその顔が頭に浮かぶ。帰り際にかけたつもりのねぎらいの言葉も、足りなかったのかもしれない。「辞めたいと思ってるのかな」と悪い方向に考えてしまい、布団の中でため息ばかり。自分が雇用主であるという責任が、こういうときにのしかかります。

「あの言い方、きつかったかな」と何度も反芻してしまう

たとえば、電話応対でミスがあった事務員に「もっと丁寧にね」と言ったとき、声のトーンが少し強かったかもしれない。相手は「はい」と答えたけれど、夜になって「あの言い方、きつかったかな」と気になって仕方がない。心配しすぎかもしれないけれど、こういう反省がぐるぐる頭を回る日って、ありませんか?

謝られないときほど、自分が悪い気がしてしまう

ミスがあっても、相手が無言でいると、逆にこちらが「なんか申し訳ないことしたのかも」と不安になります。特に職場の小さな空気感って、沈黙が一番つらい。責められるより、無反応のほうが心に響く。そういうとき、「全部自分のせい」と思ってしまうのは、たぶん優しさと不器用さの混合物なんでしょう。

司法書士という仕事の「受け止める力」

この仕事は、目の前の人の不安や怒りや悲しみを、全部受け止める仕事なんだと思います。相続の現場では、涙をこらえる家族を前に、冷静に説明しなければならない。成年後見では、家族間の対立に巻き込まれることもある。そのたびに、自分の感情を棚に上げて、相手の気持ちを受け止める力が求められるんです。

感情の受け皿であることが求められる職業

誰かの感情を引き受けるって、簡単じゃないです。ときに理不尽な怒りにさらされることもある。でも、それでも「専門家」として落ち着いて対応しなきゃいけない。感情をぶつけてくる人の背景を想像しながら、自分の内側を守る術を探す毎日です。

「誠実さ」と「割り切り」は両立しうるのか

正直者が損をするような場面もあります。「誠実にやっても、文句言われるじゃん」と思うと、投げ出したくもなります。でも、全部真に受けていたら身が持たない。「誠実でありたい」と「うまく割り切りたい」、その間で揺れる自分を、最近は少し認めるようになりました。

距離をとる勇気と、その罪悪感

ときには、距離を置くことも必要です。特に感情的な依頼者や、理不尽な要求が続く相手には、自分の心を守るための「線引き」が欠かせない。でも、それをするとき、どこかで「冷たいと思われたかな」と罪悪感を抱いてしまう。優しいだけじゃダメ。でも、冷たくもなりきれない。難しいですね。

「私は間違っていない」と言えるまでにかかる時間

何かトラブルが起きたとき、自分が正しかったとわかっていても、「それでも、もっとやれたのでは」と思ってしまう。周囲が何も言わなくても、自分の中で自問自答を繰り返す。納得するのに時間がかかるんです。時間が経って、「ああ、あれは仕方なかった」と言えるようになるのが、やっと最近の話です。

自分を責めることが、誰かを救うわけじゃない

昔は、「自分がもっと頑張れば、みんながうまくいく」と思っていました。でも今は少し違います。自分を追い込みすぎた結果、誰かの力になれるわけじゃない。むしろ、心がすり減ってパフォーマンスが落ちるだけ。だから、少しずつ、自分に優しくなろうとしています。

無理をしていることに気づけない日々

司法書士って、無理してることに気づかない人が多い気がします。自分もそうでした。「これくらい普通だろ」と思いながら、睡眠も食事もおろそかになって。ある日、鏡の中の顔がひどく老けていて、ようやく「あ、まずいな」と気づいた。もっと自分の体と心に、敏感にならないといけません。

「つらい」と言える司法書士でありたい

後輩司法書士には、「無理してるなら、つらいって言っていいんだよ」と伝えたいです。言い訳に聞こえるかもしれない。でも、言い訳でも言葉にしなきゃ、誰も気づいてくれないから。僕自身も、そんなふうに誰かに言ってもらえたら、もっと早く楽になれたかもしれません。

それでも明日はやってくる

どんなにつらい夜でも、朝はやってきます。そしてまた、登記の準備が始まる。依頼者とのやりとりが始まる。そんな日常の中に、小さな救いがあることも知っています。事務員の「お疲れ様です」の一言。クライアントの「助かりました」の一言。それだけで、また少しだけ、頑張れたりするんです。

眠れなかった夜を超えて、また登記の書類に向き合う

ぐっすり眠れなかった朝も、机に向かえば仕事は待っている。コーヒーを淹れて、パソコンを開く。ルーティンが、意外と自分を救ってくれていたりします。きっと今日も何かしらのミスはあるだろうけど、それでも前を向いてやるしかない。だって、それが僕の仕事だから。

完璧じゃなくていい。ただ、少しだけやさしくなれたら

完璧じゃなくていい。誰かを完璧に守ることも、自分を完璧に律することもできない。でも、失敗したとき、落ち込んだとき、少しだけ自分にも他人にもやさしくなれたら。それだけで、この仕事は少しずつ続けられる気がします。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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