印鑑がない――その瞬間、時が止まった

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印鑑がない――その瞬間、時が止まった

あの日、印鑑がなかった――登記立会中の“沈黙”

地方の司法書士事務所を営んで20年近くになりますが、いまだに慣れないのが「突然の予定外」。その日も朝からバタバタと立会準備を進め、書類はそろえ、事務員とも段取りを確認し、「今日はスムーズに終わるな」と思っていた矢先でした。依頼人が席を立ち、帰ろうとした瞬間、私は目を疑いました。「印鑑が…ない?」そうです、依頼人が実印を持ってきていなかったのです。空気がピタリと止まりました。書類はすべて揃っていたのに、たったひとつの印鑑で全てが崩れる――そんな瞬間でした。

立会の準備は万端だった、はずだった

事務員と二人、朝から事務所のチェックリストを確認し、必要書類や印鑑、委任状、本人確認書類まで一通り揃っていました。電話でのリマインドも事前に済ませ、依頼人にも「当日は実印をお忘れなく」と念を押していたはずでした。それなのに、当の依頼人は「持ってきましたよ」と言いながら、なぜか三文判しかバッグに入っていなかったのです。あの瞬間、「あ、今日はダメだな」と悟りました。

依頼人が「じゃあお願いします」と帰った瞬間

書類を読み合わせ、最後に押印という段になって、依頼人がふと立ち上がり「じゃあ、これでお願いしますね」と言い出しました。その言葉に違和感を覚えつつ、ふと視線をテーブルに移すと、そこに実印がありません。「え、実印は…?」と尋ねた瞬間、依頼人の顔が固まりました。「え?…あ、それは…家に置いてきたかも…」あの間。時が止まったようでした。

なぜ誰も気づかなかったのか

思えば、依頼人の「持ってきました」という言葉に安心してしまったのが敗因でした。こちらで印鑑を直接確認するまで油断してはいけない、という基本が抜け落ちていたのです。忙しさの中で「まぁ大丈夫だろう」という甘えが出たことを、深く反省しました。

その場の凍りついた空気

立会人の不動産業者も、私も、事務員も全員無言。依頼人も気まずそうにスマホをいじり出し、「取りに戻ってきます」と言うのが精一杯の様子でした。その場で「どうしようもないですね」としか言えない無力感。これが現実の登記立会です。

登記って、印鑑ひとつで全部止まる

何十ページも準備した書類、何人もの予定を合わせて組んだスケジュール。それらすべてが「印鑑ひとつ」で無効になることもあるんです。しかも、再度日程調整が必要になれば、関係者全員に連絡を取り、書類も日付を直し、やり直し。ミスをした本人はこちらの責任ではないけれど…疲れるのは、こっちなんです。

法的には当たり前、でも現場は地獄

実印がなければ契約は成立しません。当たり前です。でも、現場でその当たり前が発生すると、段取りがすべて吹き飛ぶ。「ハンコ文化なんてやめちまえ」と愚痴のひとつも言いたくなりますが、現実の登記実務ではそんな理屈は通用しないんです。

立会が複数ある日には地獄の連鎖

この日、午後にも別の登記立会が入っていました。時間を押しての再調整で、昼食はコンビニおにぎりを3分でかきこみ。お腹よりも気持ちの整理のほうが大変でした。現場は“効率”じゃなくて“根性”で回ってる――そんな感覚です。

司法書士の仕事は“段取り8割”ではない

一般的には「段取り8割」なんて言葉がありますが、登記の現場では段取りが完璧でも、依頼人ひとつで全てが狂います。想定外を想定する――これが一番難しい。しかもそれが毎回、毎月、何度でも起きるのがこの仕事の怖さです。

予定通りにいかないことが予定、とは言いたくないけど

「この業界、そういうもんですよ」と言われたこともあります。でも、毎回何かしらのトラブルがあるたびに、「やっぱりおかしいよな」と思ってしまいます。慣れるしかないとわかっていても、毎回心がすり減っていくのを感じます。

事務員のせいにしない。でも、正直しんどい

うちの事務員はよくやってくれてます。でも、完璧じゃない。完璧じゃない人間が、完璧を求められるこの仕事。その中で、「なんでこれ抜けてたの?」と責めるのは簡単ですが、言ったところで状況がよくなるわけでもない。ただ、心の中で何度もため息をついてしまいます。

トラブルの“本質”はどこにあるのか

こういうトラブルの本質は、「誰かが悪い」という話ではなく、「全員が少しずつ気を抜いてしまう」ことだと思っています。そして、その連鎖がどこかで爆発する。それが今回であり、次回はまた別の形で来る――そういうものです。

依頼人との意思疎通不足が招く小さな大事件

「言ったはず」「聞いてない」この応酬、もう何回目でしょうか。言葉だけでは伝わらない。確認の上に確認。LINEだけでなく電話、電話だけでなく文書。正直、過剰かもしれないと思うくらいやらないと、この仕事は成立しません。

「自分で気づいてください」は通じない現実

司法書士はプロですが、依頼人は素人です。そこを忘れてはいけない。自分が常識と思っていることは、相手には未知のこと。それを前提に、伝え方・進め方を組み立てないと、トラブルは減りません。

誰のための登記なのか、自分のためなのか

立会や登記は、誰かの人生の一部を動かす瞬間です。私たちはその裏方ですが、時にそれが大きな責任となってのしかかってきます。書類1枚、印鑑ひとつ。軽く見られがちですが、そのひとつひとつに命を吹き込むのが司法書士です。

責任を背負う重さと、割に合わなさ

「先生、ちょっと見といてよ」と気軽に頼まれて、責任は全部こっち。費用は数万円。でも、リスクは数千万。そんな仕事、他にあるでしょうか。愚痴を言いたくもなります。

それでも私は司法書士をやめない理由

それでもこの仕事を続けるのは、やはり「誰かの人生の節目に立ち会える」からです。時に腹も立ちますが、終わったあとの「ありがとう」には、なんとも言えない達成感があります。これは、この仕事をしている人にしか分からない感覚だと思います。

「ありがとう」の一言が支えになる瞬間

帰り際に「本当に助かりました」と言われたとき、心がふっと軽くなるんです。それまでの疲れも、書類のやり直しも、まあいいかと思える瞬間。司法書士って、意外と“人情”の仕事なんです。

愚痴は多くても、志は消えない

正直、愚痴ばかり言ってます。でも、それでもやってるのは、自分なりの誇りがあるから。誰かがやらなきゃいけない仕事なら、自分がやる。そんな気持ちで、今日もまた印鑑の確認から始めています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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