地方で司法書士を続けるということ
地方で司法書士をやっていると、「安定してていいですね」と言われることがある。でも現実は、そんなに甘くない。仕事は多岐にわたり、業務時間は際限なく、しかも「地元だからこそ頼まれる」というプレッシャーまで背負っている。誰かの役に立ちたいと思って始めた仕事だけど、ふと気がつけば、気力も体力も削られていた。
「先生」と呼ばれるけれど
ありがたいことに、地元では「先生」と呼ばれる。でもその言葉の響きが、時にしんどくなる。尊敬される存在でいなきゃいけない、完璧でいなきゃいけない。そんな無言の圧が、日々のプレッシャーになる。
実際は雑用係であり苦情処理係
例えば、法務局に出す書類の不備で登記が戻ってきたとき。「これどうなってるの?」と怒り口調で電話が来る。もちろんこちらの責任もある。でも、その前に「お願いしてよかった」と言われたばかりなのに、一瞬で信頼が消える。そういう落差に、何度も心が折れそうになる。
華やかに見せる余裕なんてない
HPには立派そうに「地域密着」と書いているけれど、実際は毎日ギリギリ。服装も髪型も気にする暇がない。昼ごはんもコンビニのおにぎり一つで済ませ、午後の相談に備える。正直、華やかさとは無縁だ。
事務員がいても、孤独は変わらない
事務員がいるから楽になると思われがちだが、実際はそうでもない。仕事を教える時間、確認する責任、そして失敗したときの最終責任。全部、自分に返ってくる。誰かに頼れるようでいて、結局は一人で抱える構造になっている。
仕事を任せる=気を遣う
一つの書類を任せるにも、丁寧に説明し、確認し、最後は自分の目で見る。その手間を考えると「自分でやった方が早い」と思ってしまう。そしてその思考が、ますます孤独を深める。
頼めば頼むほど、心が疲れる
「この件、やってもらえる?」と声をかけるたびに、相手の顔色をうかがってしまう。忙しそうにしているときは特に。結局、頼んだあとに「大丈夫だったかな」と心配し続けるのが常だ。
指示を出すにも精神力が必要
どんなに簡単なことでも、「お願いね」と言うまでに気を遣いすぎて、内心ぐったりしている。自分が思っている以上に「気を遣う」ことが多く、それが毎日の積み重ねになると、地味に効いてくる。
顧客対応の「疲弊」は積み重なる
お客さんと話すことは嫌いじゃない。でも、感情の受け皿になり続けるのは、思った以上に疲れる。相手の話に共感し、安心させ、希望を与える。でもこちらの心が限界に近いとき、そのすべてが重荷になる。
感情労働ってこういうことか
ある相続相談で、涙ながらに語られる家族の確執を2時間聴いたことがある。話を聞くのも仕事のうちだとわかっている。でも、その夜は自分の心がざわざわして眠れなかった。自分の感情に蓋をするのも、スキルの一つなのだろうか。
聞き役ばかりで、こっちの気持ちはどこへ
「先生、話を聞いてくれてありがとう」と言われるのはうれしい。でも、誰かに自分の話を聞いてもらった記憶が最近ない。いつからか、話すことよりも聞くことばかりになっていた。
「登記だけやってればいい」は幻想
昔は「登記屋」と言われていた司法書士。でも今は違う。相続、遺言、後見、成年後見、任意後見、場合によっては家庭内トラブルまで。登記だけをやっていればいい時代なんて、とうの昔に終わっている。
遺産分割、後見、家族の問題まで全部来る
「ちょっと聞きたいんだけど」と始まる相談の中身が、法的な話ではないことも多い。「兄弟が連絡を取ってくれない」「父が認知症っぽいが通帳を預かっている」など、複雑な事情が絡み合っている。対応を間違えば、信頼を一気に失う。
境界が曖昧すぎる司法書士の仕事
法律のことだけをやるならまだしも、「それって本当に自分の領域なのか?」と思うようなことまで頼まれる。行政書士?弁護士?いや、たぶん「誰かに相談したかった」だけなのだろう。でも、それを受け止めるのが自分になる。
休めない、止まらない、誰も代わりがいない
地方で一人事務所をやっていると、基本的に「自分が倒れたら終わり」というプレッシャーがある。風邪をひいても、熱があっても、誰かに頼めない。だから、無理をしてでも出勤する。それが当たり前になっている。
土日が潰れる恐怖
「平日は仕事があるので、土曜日にお願いできますか?」と聞かれるたびに、断ることができない。たまの休みに対応すれば、次も頼まれる。気づけば、休日は“予備日”にされている。
「今しかない」と言われたら断れない
「急ぎなんです」と言われたら、断る勇気が持てない。たとえ、自分の子どもの行事と重なっていても。仕事を取るか、家族を取るか。そういう選択を日常的に迫られるのが、この仕事のしんどさだ。
集客のことまで考えないと食っていけない
事務所を維持するためには、ただ真面目にやるだけではダメだ。「どうやって新規のお客さんを増やすか」を常に考えなければならない。営業、Web更新、広告出稿。司法書士である前に、自営業者なのだ。
営業下手は淘汰される
口コミだけで成り立つ時代ではない。SNSで発信し、Googleマップの口コミを気にして、SEOまで意識する。法律のことだけやっていたいと思っても、そうはいかない。
ホームページ更新も、自分でやってる
業者に頼む余裕はない。だから、文章も自分で書き、写真も自分で撮って、時にはHTMLを触ることもある。深夜にパソコンの前で「相続登記 流れ」なんてキーワードを入れて記事を書いていると、何屋かわからなくなる。
でも、それでもやめられない理由
これだけ大変な思いをしても、なぜ辞めないのか。自分でもよくわからない。でも、きっと「誰かの役に立てている」という実感が、すべてを支えているのだと思う。
「助かった」と言われるたびに思う
あるとき、高齢の女性から「あなたがいてくれて本当によかった」と言われた。その一言に、救われた気がした。見返りの少ないこの仕事でも、たった一言で報われる瞬間がある。
誰かの役に立てる実感は、何にも代えがたい
相手の顔が晴れたとき、自分の中にも少しだけ光が差す。忙しさも、不安も、孤独も、その一瞬だけは和らぐ。司法書士を続けている理由は、たぶんそこにある。
司法書士を目指すあなたへ、現実をひとつ
司法書士を目指している人がいたら、伝えたいことがある。資格を取れば安泰、なんて幻想は捨てたほうがいい。ここからが、本当のスタートだ。
資格を取ったあとが、本番です
勉強は大変だったと思う。でも、仕事の現場はもっと厳しい。法律知識だけじゃ通用しない。人間関係、経営、感情のコントロール。やるべきことは山ほどある。
理想と現実のギャップに、覚悟を持って
「人の役に立ちたい」と思うその気持ちは大切にしてほしい。でも、現実はかなりハードだ。夢だけでは食っていけない。それでもやりたいと思えるかどうか。そこに覚悟があるかどうかが、分かれ道になる。
おわりに:今日もため息をつきながら机に向かう
今日もまた、ため息をつきながらパソコンを開く。手帳にはびっしりと予定が詰まり、心の余裕はあまりない。でも、それでも机に向かうのは、誰かを支える仕事だから。そんなことを思いながら、明日の書類を確認している。