なぜ報酬の話になるとモヤモヤするのか
報酬について話そうとすると、なぜか自分の中で言葉が詰まる。仕事の内容はスラスラ説明できるのに、「で、おいくらですか?」と聞かれた瞬間に頭が真っ白になる。これ、私だけじゃないと思う。特に士業の世界では、「お金の話をする=がめつい」という空気がどこかにある。別にボランティアでやっているわけじゃないし、生活もある。なのに、報酬を伝える瞬間はいつも緊張する。このモヤモヤの正体は何なのか、自分なりに整理してみたい。
言いにくいのは「金の話=いやらしい」という風潮
そもそも日本では、お金の話を堂々とすることに抵抗がある。ましてや士業のような“先生業”だと、「そんな俗っぽい話しないでください」とでも言われそうな雰囲気すらある。実際、開業したての頃は「金額を聞かれたらどうしよう」と毎回ドキドキしていた。「無料相談」なんて言葉が飛び交う中で、自分だけ相場より高い金額を提示するのが怖かった。
「士業だから崇高であるべき」みたいな空気
“士”という字がついているだけで、どこか神聖な職業に思われる節がある。「人助けが本分でしょ?」みたいな視線がたまに突き刺さる。でも、それでいて書類作成一つとっても時間はかかるし、責任は重い。人助けを否定する気はないけれど、こちらも生活がある。結局、その「崇高さ」と「現実」の間で、いつも板挟みになる。
報酬の正当性を自分で信じきれていない
実は一番の原因はここかもしれない。「この金額で本当にいいのか?」「高すぎるんじゃないか?」と、自分で自分の報酬設定に自信が持てていない。事務員とふたりでやっている小さな事務所だから、経費も見えるし、人件費も気になる。結局「まあこのくらいでいいか」と曖昧な基準で落ち着いてしまう。それが後々、「どうしてこの額なんですか?」と聞かれたときに言葉に詰まる原因になっている。
依頼人によって「感覚」が違いすぎる
もう一つの難しさは、依頼人によって報酬に対する感覚がまるで違うこと。「こんなに安くていいんですか?」と言ってくれる人もいれば、「え、それだけでそんなにかかるんですか?」と驚かれることもある。どちらの反応もあるから、ますます自信を持てなくなる。こっちは同じだけ手間も時間もかけているのに、受け取り方がここまで違うと、説明も慎重にならざるを得ない。
高いと言われるか、安すぎて不安がられるか
「え、高いですね」と言われると心がチクっと痛む。「じゃあ少し下げましょうか」と言いそうになる自分がいる。一方で、「安すぎて不安」と言われると、「やっぱり値上げすべきか?」と混乱する。結局どっちにしてもスッキリしない。この“ちょうどよさ”を見つけるのが本当に難しい。
比較対象がネット検索の料金表だったりする
最近は依頼人もネットでいろいろ調べてから来ることが多い。「○○司法書士事務所ではこの手続き○○円だった」と言われても、地域差もあるし、業務の中身も違う。だけど、そう説明しようとすると「言い訳がましい」と受け取られるリスクもある。説明が難しいからこそ、説明したくなくなる悪循環に陥る。
「報酬基準」を作っても説明がうまくいかない
事務所として報酬基準表は当然作っている。けれど、いざ説明となると、その紙一枚では伝えきれない。案件ごとに難易度も手間も異なるし、杓子定規に当てはめるのも現実的ではない。「この金額には何が含まれていて、なぜこの額になるのか」を説明しようとすると、すぐに話が長くなる。すると今度は「話がくどい」と思われる。難しい。
自分の中にある“曖昧な基準”の存在
結局、報酬の話が難しくなる一因は、自分の中にある曖昧な基準の存在だ。「このくらいなら納得してもらえるかな」といった感覚で決めてしまっていることが多い。それはまるで、定価のない魚屋で値段を決めているようなもの。客の顔を見ながら「今日はこれでどう?」みたいな。その曖昧さが、自分の中の不安として残り、説明のときに迷いとなって出てくる。
「この人は困ってるから…」で値引きしがち
人の相談に乗る仕事だからこそ、相手の事情に引っ張られてしまうことも多い。お金に困っていそうな依頼者には「じゃあ少し安くしておきますね」と言ってしまう。でもそれが続くと、今度は「じゃあ最初から安くすればよかった」と後悔する。こういう曖昧な運用が、説明をさらに難しくしてしまうのだと思う。
気づけば感情で動いてしまっている
淡々と事務的に処理できればいいのだけど、どうしても感情が入ってしまう。特に長く話を聞いた相手ほど、「助けたい」という気持ちが強くなってしまい、報酬のことが後回しになる。そして最後に金額を提示する段になって、自分で気まずくなる。このパターン、何度も経験した。