“士業”って名乗ると、なんか違和感ある…そんなあなたへ

“士業”って名乗ると、なんか違和感ある…そんなあなたへ

「士業」って言葉に、なんとなくしっくりこない自分がいる

「司法書士です」と名乗ることに違和感はないのに、「士業です」となると、どうも肩がこそばゆい。これは私だけじゃない気がする。開業して十数年、事務所は地元密着、看板も控えめ、事務員はひとりだけ。そんな小さな現場の中で、「士業」という言葉が持つ“上から感”というか、妙に偉そうな響きに、ずっともやもやしていた。今回は、そんな「しっくりこなさ」について語ってみたい。

そもそも「士業」ってなんだっけ?

定義としての士業

「士業」とは、弁護士、公認会計士、司法書士、税理士など、特定の資格を持って専門業務を行う職業の総称だ。なんとなく「資格で飯を食ってる人」くらいのイメージで使われるが、実際は法律に基づいた独占業務を持つ専門職のことを指す。言ってしまえば堅い職業の代表格である。でも、定義は堅いけど、現場はそんなに堅苦しいもんじゃない。

世間が持つ「士業」のイメージ

「士業」と聞くと、世間はスーツ姿で書類をバサバサ捌いている姿や、重厚な事務所で顧客と面談している姿を思い浮かべるだろう。いわば“先生感”が強く出る職業イメージだ。でも実際は、コンビニでコピーしてたり、車で移動中にコンビニ飯食べたり、事務員の代わりにFAX紙詰まりと格闘していたり。そんな庶民的な日常が「士業」という言葉とどうにも重ならない。

司法書士なのに、「士業」の看板に違和感がある理由

「士業」と名乗るときの妙な気恥ずかしさ

自己紹介で「士業をしています」と言うと、なんだか自分で自分を格上げしているような気分になる。「士業」って名乗ることで、やたらと立派に見せようとしてるような。名刺の肩書に「司法書士」と書いてあるだけでいいのに、わざわざ「士業」と言う必要ある?と自問してしまう。これはたぶん、自分が思ってるほど立派な存在じゃないって自覚があるからなんだと思う。

地元での距離感と、看板のズレ

うちは田舎の司法書士事務所だから、地元のおばあちゃんに「○○先生」と呼ばれても、正直ちょっと照れる。看板には一応「司法書士○○事務所」と書いてあるけど、実際の相談内容は「隣の土地との境界がわからない」とか「息子が家に戻ってこない」とか、士業うんぬん以前に人生相談に近い。そんな毎日を過ごしていると、「士業」と名乗ること自体にギャップを感じざるを得ない。

周囲からの「士業扱い」に感じるプレッシャー

求められる“先生感”に疲れる

ときどき、初対面の人に「先生はやっぱりしっかりしてますね」と言われるが、内心「いや、さっきコンビニで買ったパン落としてテンパってましたけど…」と突っ込みたくなる。人から“士業=先生”として見られることで、完璧さを求められる感じがする。こっちは日々書類と締切と戦ってるただの中年男なのに、そのプレッシャーはなかなか重い。

「堅い仕事してるんですね」と言われる度に思うこと

親戚の集まりで「○○くんは堅い仕事してるから安心ね」と言われるたびに、なぜか罪悪感がわく。こっちは日々、家族よりも依頼人と話してる時間の方が長いし、堅実に見えても精神的には結構ギリギリ。むしろ毎月の経費計算のほうがよっぽど胃が痛い。見た目は堅くても、中身はボロボロなのがリアルな現場だ。

「士業だからしっかりしてるはず」という無言の圧

実態は雑務と走り回る日々

「先生はきっと几帳面でしっかりしてる」と思われがちだが、現実は、事務員が休んだ日は雑務の山。登記のオンライン申請と郵送のタイミングに頭を抱え、ついでにコピー機のトナーが切れてることに気づく。そんな日々で何が“士業”だ、と叫びたくなる。スマートなイメージの裏で、足元はバタバタなのだ。

事務員ひとりの現実とギャップ

たったひとりの事務員に頼りっぱなし。休まれると業務が回らないし、かといって人を増やす余裕もない。そんな中で「士業」として見られることが、本当にしんどく感じる時がある。「士業」って、もっと体制が整ってるイメージじゃないか?そんな言葉と現実の差が、じわじわ心をすり減らしていく。

名前に縛られない働き方もあっていい

「街の法律屋さん」でちょうどいいと思っている

「士業です」よりも、「何でも屋みたいなもんです」と言う方が、案外相手の表情が和らぐ。地元の人にとっては、肩書よりも“話しやすさ”のほうが大事。「ちょっと聞いてよ」から始まる依頼の方が、結果的に深い仕事になったりする。だから、士業って言葉に無理して寄せる必要はないと思う。

士業って名乗らなくても、信頼されることもある

名刺に「司法書士」とあっても、それ以上に「相談しやすい人」として覚えてもらえた方が嬉しい。士業という言葉に寄りかからなくても、真面目に、誠実に対応すれば信頼はついてくる。それがわかってから、肩の力が抜けた。「先生」と呼ばれなくても、必要とされてることが実感できれば、それで十分。

同じように感じている司法書士の声もある

共感された「しっくりこない」という一言

勉強会や同業者の飲み会で、「士業って言葉、なんか違和感あるよね」とつぶやくと、思いのほか「わかる!」の声が返ってくる。「あれ、俺だけじゃなかったんだ」と、正直ホッとする。自分だけが捻くれてるんじゃないかと不安だったが、みんなそれぞれモヤモヤを抱えていたんだ。

名乗り方で仕事のスタンスが見えることもある

「士業」と強く名乗る人ほど、ブランディングや営業色が強い傾向がある気がする。逆に、あまり肩書を押し出さずにやっている人の方が、地域密着で丁寧な仕事をしていたりする。名乗り方って、その人の仕事との距離感やスタンスが出るのかもしれない。だから、しっくりこないなら、それを大事にしてもいい。

士業という言葉に違和感があるあなたへ

無理に「士業の顔」しなくていい

もしあなたが、士業という言葉に違和感を覚えているなら、それはおかしなことではない。言葉に縛られず、自分のスタイルで働けばいい。士業の“型”に自分を無理に当てはめる必要はない。それより、自分らしく働ける形を探していけばいいのだと思う。

その違和感が、あなたの等身大かもしれない

違和感を感じるということは、自分を客観的に見られている証拠でもある。それは決して悪いことじゃない。むしろ、自分の等身大のスタンスを守るために必要な感覚かもしれない。「士業」という言葉がすべてじゃない。自分の言葉で、自分の仕事を語れることのほうが、よっぽど大事だと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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