外から見える「専門家」という仮面が重い

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外から見える「専門家」という仮面が重い

「専門家」という肩書きに押しつぶされそうになるとき

司法書士として働いていると、いつの間にか「専門家」という仮面を被っていることに気づきます。依頼者から「先生」と呼ばれ、役所からは「申請のプロ」と見られ、間違いがないことが前提で話が進む世界。だけど、中身の自分はただの普通の人間。ミスもするし、迷うこともあるし、自信をなくすことだってある。でもその素顔は、誰にも見せられない。見せてしまったら信頼が崩れるんじゃないか。そんな不安を抱えながら、今日も仮面をつけて仕事をしているのです。

頼られることの重みと責任

「専門家なんだから、間違いはないですよね?」——依頼者からそう言われたとき、胸が少し痛くなります。信頼してもらえるのはありがたいけれど、その一言がプレッシャーに変わることもあるんです。「間違えたらどうしよう」「本当にこれでいいのか」と自問自答しながら書類を仕上げる毎日。ミスが許されないというのは、言葉にすれば簡単だけど、実際にそのプレッシャーを抱えて働くのはかなりしんどいです。

「先生」と呼ばれることへの違和感

司法書士として活動していると、日常的に「先生」と呼ばれます。最初の頃は少し嬉しかったけれど、次第にその言葉に違和感を持つようになりました。だって、僕自身は「先生」と呼ばれるような立派な人間じゃないから。朝寝坊することもあるし、晩ご飯はコンビニの弁当ばかり。家に帰ってテレビを見ながらビールを飲んで、気づいたら寝落ちしている。そんな生活を送っている自分が「先生」と呼ばれるたびに、「自分じゃない誰かを演じている」ような感覚に襲われるんです。

ミスが許されないというプレッシャー

司法書士の仕事は、ミスが即トラブルにつながることも多い。書類の記載内容、印鑑の位置、添付資料の順番。どれも完璧にこなさなければならない。ほんのわずかな誤記が原因で、補正通知が届いたときの胃の痛さといったら…。しかもそれが依頼者の信用を損なうことになるかもしれないと思うと、夜中でも確認したくなってしまう。専門家としての責任とは、つまり「人間らしさ」を抑えてでも完璧を求められることなのかもしれません。

外から見える姿と中身のギャップ

周囲の人たちは「司法書士=しっかりしている」「法律に強い」「間違いをしない人」と思っているようです。それに応えたい気持ちはある。でも実際には、書類の山に埋もれて目が回りそうだったり、手続きの進め方に悩んで手が止まったり、そんな毎日です。外から見える「安心感」と、自分が抱えている「不安感」のギャップが大きすぎて、時々その差に押しつぶされそうになります。

完璧に見られがちな職業

司法書士は「完璧で当然」と思われがちな職業です。知識もあって、経験も豊富で、冷静に対応できる。それが世間のイメージ。でも、そんなふうに振る舞っているのは、期待に応えたい気持ちの裏返しであって、本当は毎日が不安との戦いです。正直に言えば、「これでいいのか?」と迷いながら進めている案件だってあります。でも、それを表に出したらプロ失格なんじゃないかと考えて、また仮面を被ってしまうんです。

実際は毎日が手探りと迷いの連続

経験年数を重ねても、初めてのケースは次々に出てきます。相談されたときに即答できず、「ちょっと調べますね」と言うことだって少なくありません。でも、内心では「もっと頼れる存在でいたい」と焦っているんです。自分の知識や経験がまだまだ足りないと感じる瞬間、それでも「専門家」でいなければならない苦しさ。手探りで進める仕事に、常に不安がつきまとっています。

一人で抱え込む弱さと孤独

誰にも相談できず、自分で判断しなければならない場面が多いこの仕事。事務員に相談できることも限られていて、結局は一人で結論を出さざるを得ない。そのたびに、「これで本当に良かったのか」と自問自答し続ける。周囲は頼ってくるけれど、自分が頼る場所はない。そんな孤独を、笑顔でごまかしながら日々を過ごしています。

仮面の下にある「普通の人間」としての自分

外から見れば立派な「司法書士」かもしれません。でも、仮面の下には、ただの普通のおじさんがいます。朝が弱くて、週末はゴロゴロして、コンビニのポイントを無駄に貯めているような、そんな生活。なのに、仕事では常に「できる専門家」でいなきゃいけない。そんなギャップに、だんだん心が擦り減っていくんです。

落ち込む日もある、泣きたい日もある

うまくいかない日、理不尽なクレーム、補正の連発。そんなときは正直、机に突っ伏して泣きたくなることもあります。でも泣いたところで誰かが助けてくれるわけじゃない。だから感情をぐっと飲み込んで、また仮面をつけて立ち上がるしかないんです。専門家としての「強さ」は、時に自分自身を追い詰める「弱さ」にもなることを感じています。

相談できる相手がいない現実

友達も少ない。同業者と飲みに行くこともほとんどない。気軽に「今日こんなことで落ち込んでさ」と言える相手がいない。だから、弱音はすべて自分の中に溜め込んでいくしかないんです。「男なんだから」「専門家なんだから」と言い聞かせて、気がつけば心が疲れ果てている。孤独って、声に出せないと余計に深く染み込んできます。

自分を甘やかすことへの罪悪感

たまの休日に昼まで寝て、テレビを見ながらポテチを食べて過ごす。そんな時間すら「こんなことしてていいのか」と罪悪感が湧いてくるんです。「もっと勉強しないと」「次の案件に備えないと」と頭の中で仕事がリピート再生される。仮面を外す時間すら、自分で許せていない。これが「専門家」として生きることの副作用なのかもしれません。

それでもこの仕事を続ける理由

愚痴ばかり書いてきましたが、それでもやめないのは、やっぱりこの仕事が嫌いじゃないからなんでしょう。誰かの役に立てたとき、心から「ありがとう」と言ってもらえたとき。その一瞬がすべての疲れを吹き飛ばしてくれる。仮面をつけてでも立ち続けたいと思わせてくれる瞬間が、この仕事には確かにあります。

誰かの役に立てた実感がすべてを癒やす

登記が無事に終わったあと、依頼者から届く「ありがとうございました」のメール。それだけで「また頑張ろう」と思える。たとえ仮面を被っていても、その仮面越しに届いた感謝の言葉が、素の自分に届く瞬間があります。そんな瞬間があるからこそ、今日もまた一歩前に進めるのだと思います。

仮面の裏でも、人は人でいい

専門家だからといって、いつも完璧である必要はない。そんなこと、頭ではわかっているけれど、実際にそう思えるようになるには時間がかかります。でも少しずつでも、自分に「仮面の下にいてもいい」と言ってあげたい。他の誰かの役に立つためにも、まずは自分を大切にすることから始めなければ。専門家である前に、一人の人間として。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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