夜9時、まだ電話が鳴っている──終わらない一日が意味すること

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夜9時、まだ電話が鳴っている──終わらない一日が意味すること

夜9時、それでも鳴る電話──この仕事、どこまでが“営業時間”なんだろう

夜9時。もうとっくに事務員も帰宅し、夕飯もそこそこにパソコンに向かっていたら、携帯が鳴る。見ると、午前中に面談した相続人の一人。こういうとき、切るべきか出るべきか、一瞬だけ迷う。結局出てしまうのは、自分の性格と仕事の性質のせいだと思う。「急ぎの相談なんですけど…」と始まる話は、たいてい急ぎじゃない。それでも、こちらが断れば“冷たい人”にされる。それが地方で司法書士をやっている現実だ。

「営業時間外です」と言えない小さな事務所の現実

大手と違って、小さな事務所には「窓口を閉める」という選択肢がない。そもそも電話は個人の携帯に転送しているし、急ぎの相続や登記があれば、夜でも土日でも対応するのが“誠意”だとされている。事務所に来るお客さんの多くが年配で、「先生はいつでも出てくれる」という期待を持っている。善意から始まった柔軟対応が、いつの間にか“当たり前”になってしまっている。

お客様優先のつもりが、自分の生活を壊していた

以前、日曜日の午後に家族とスーパーへ行っていたら、お客さんから電話がかかってきて、どうしても「今日中に相談したい」と言われたことがある。家族には申し訳ないと言いつつ、一人事務所に戻った。これが一度や二度じゃない。「お客様のため」と言いながら、自分や家族との時間を削っていることに、最近ようやく気づいた。

電話を切った後の無力感と自己嫌悪

相談に応じてあげても、「ありがとう」の一言もないときがある。むしろ「もっとこうしてほしい」と不満を言われることすらある。そんな夜は、何のために自分は働いているんだろう、と考えてしまう。あの一件以来、携帯の着信音を聞くたびに、少しだけ胸がざわつくようになった。

事務員はもう帰っている、でも書類は明日まで

地方の事務所に事務員は一人。17時になれば当然のように帰ってもらう。働き方改革の波もあり、無理はさせられない。それでも、明日提出しないといけない書類は待ってくれない。結果として、夜遅くまで一人でチェック・製本・発送作業。電話も来るし、メールも溜まる。誰にも頼めないから、やるしかない。それが“個人事務所”というものだ。

誰にも頼れないから、自分で全部やるしかない

外注という選択肢もあるけれど、重要な書類を他人に任せるのはリスクが高いし、結局は細かなチェックを自分でやる羽目になる。だったら最初から自分でやった方が早い。そう思いながら深夜にハンコを押す作業を繰り返す。何度「もう一人雇った方がいいかな」と思ったことか。でも、そんな余裕はどこにもない。

「司法書士は便利屋じゃない」と言いたくなる夜

夜9時過ぎにかかってくる電話の多くは、別に今日じゃなくてもいい相談だ。しかも、こちらが専門ではない内容も多い。「成年後見ってどうすればいいの?」「遺言書って自分で書けますか?」など、Googleで検索すれば出てくるようなことばかり。とはいえ、切るに切れない。断れば「あの先生は冷たい」と言われてしまうかもしれない。それが一番怖い。

相談の内容は本当に司法書士に必要なものか?

実際、電話の3割くらいは司法書士に聞くべき内容ではない。税金の話や遺産分割の揉めごと、果ては親戚との人間関係の相談まで。そういう話は弁護士や税理士、場合によってはカウンセラーの領域。それでも、地元の人たちは「司法書士=なんでも屋」だと思っている節がある。正直、専門家としての線引きをもっとはっきりさせたい。

つい断れず、専門外の話まで聞いてしまう理由

「聞くだけなら」と思って電話に出てしまう。気づけば30分、ひどい時は1時間以上も話していることもある。結局、その時間はどこにも請求できない。自分の善意がどんどん消耗していく感覚。でも、断ったら次はもう来てくれないかもしれない。その恐怖が、電話を取らせる。

目の前の“親切”が、自分の首を絞めている

昔は「信頼されている証拠」と思っていた。でも今は、「このままじゃ続かない」と思うことの方が多い。断れない性格と、仕事の構造がかみ合ってしまうと、自分が壊れていく。やりがいと疲労が混在する夜。そんなときは、ふと「なんのためにこの仕事を選んだんだっけ」と自問する。

無意識に始まる「無償労働」──それ、本当に善意?

知識と経験を提供しているのに、見返りは「ありがとう」どまり。それすらないときもある。ボランティアじゃないのに、どこかで“いい人”を演じようとしてしまっている自分がいる。「無償労働」は、頼む側も罪悪感を持っていないから、どんどんエスカレートする。

“頼られる=嬉しい”が危ない罠になることも

開業当初は、「頼られる自分」に酔っていた部分もある。でも今は、ただの都合のいい人になってしまったような気もする。善意を出せば出すほど、相手の期待値は膨らんでいく。いつか「もう無理です」と言ったとき、その反動が来そうで怖い。

これから司法書士を目指す人へ、現場からの正直なアドバイス

司法書士という仕事は、資格だけでは語れない。特に地方で開業すると、人間関係・電話対応・書類仕事・心理戦…すべてが日常になる。やりがいもある。けれど、その裏には見えない疲れと、押し寄せる“善意疲労”があるということを知っておいてほしい。

「自由な働き方」は幻想かもしれない

「独立すれば時間は自由」と思っていた。確かに、朝10時に出勤しても誰にも文句は言われない。でもその代わり、夜9時に電話が鳴る。土曜の昼に相談が入る。それを断る自由もあるけれど、それは“次の仕事を失う”リスクと表裏一体だ。自由って、思っていたより高くつく。

独立すれば自由、のはずだったんだけど

自分の裁量で仕事ができるのは、確かに魅力。でもその“自由”の中には、誰にも助けを求められない孤独が含まれていた。自由と引き換えに、責任・疲労・不安が増えていった。やってみないとわからなかったけれど、予想よりもしんどかったというのが正直なところ。

地方ならではのプレッシャーと距離感

都会のように匿名性が高ければいい。でも地方では、一度関わったら“顔なじみ”。スーパーでも声をかけられるし、断ったことが噂になることもある。だから、より慎重になるし、より断れなくなる。司法書士としてだけでなく、“人として”見られている感覚が、プレッシャーになる。

それでもやっていく理由、やめない理由

愚痴ばかり言っているけど、それでもこの仕事を続けているのは、やっぱり誰かの役に立てる瞬間があるからだ。書類が完成して感謝されたり、「先生に頼んでよかった」と言われると、少しだけ報われた気がする。大変な日常の中にも、そういう小さな“灯り”があるから、何とか続けられている。

不満があっても、この仕事に向いてる人の特徴

一言で言えば「自分のことを後回しにできる人」。それが本当に良いことかはわからないけれど、そういう人じゃないと続かない気がする。忍耐強くて、人と話すのが嫌いじゃなくて、でも押しが強すぎない。そんなバランスの人が、この仕事に向いているのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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