平気なふりが、もう限界だった日

未分類

平気なふりが、もう限界だった日

「大丈夫です」って言い続けたツケ

司法書士として15年以上やってきた中で、「大丈夫です」と何度言ってきたことか。依頼者に、取引先に、そして家族にまで。気がつけばその言葉は、口癖のようになっていた。でもある日、その「大丈夫」がもう限界だったことに気づいた。自分の感情を押し殺して働き続けていた結果、何が残ったかといえば、ただの“消耗”だった。

気づけば疲れを感じなくなっていた

ある朝、目覚ましの音に気づかず寝過ごした。普段なら飛び起きるところだが、その日は身体が布団に沈んだまま動けなかった。「疲れてるな」と思うより先に、「今日はもう何もできないな」と諦めの気持ちが出てきた。忙しさに慣れすぎて、疲れにすら鈍感になっていたのかもしれない。

毎日の業務が“作業”に変わる瞬間

相続登記の書類を淡々と作成する毎日。初めの頃は一件一件に向き合って、「この人の背景にはどんなドラマがあるのか」なんて考えていた。だが今は、申請件数の多さと締切のプレッシャーに追われて、人間味のある部分をすっかり置き去りにしていた。もはや仕事ではなく、ただの“作業”になっていた。

小さなサインを無視していた日々

最近やけにミスが増えた。変換ミス、ダブルチェック漏れ、書類の再提出…。事務員さんに「先生、疲れてますか?」と何気なく聞かれたときも、「いや、大丈夫だよ」と返してしまった。本当は気づいていた。肩こりも、目のかすみも、夜中に目が覚めるのも。全部、自分の身体が「限界だ」と訴えていたのに。

「助けて」と言えない自分が嫌になる

「先生はいつも落ち着いていて頼りになりますね」と言われるたび、心の中では苦笑いしていた。本当は焦っているし、不安もあるし、泣きたい夜もある。それなのに、誰にも言えない。「助けて」って言ったら負けた気がする。そんなくだらないプライドが、どんどん自分を追い込んでいった。

頼れる人がいないわけではないのに

妻も事務員さんも、話を聞いてくれる人はいる。でも自分の中で「弱音を吐いたらいけない」というブレーキが強すぎたのだと思う。頼れば良かった。甘えれば良かった。でも“自分でなんとかしなければならない”と思い込んでいた。今思えば、それこそが独立して以来の一番の落とし穴だったのかもしれない。

司法書士の「孤独」はどこから来るのか

士業の世界は、とにかく“自分で抱え込む”構造が強い。とくに地方の小さな事務所でやっていると、誰かに相談する文化も環境もない。だから、気がつけば孤独の中で仕事を回していた。責任感という名の重荷が、静かに心を削っていく。

相談される立場ゆえの矛盾

日々の業務で、依頼者の悩みや不安を聞くのが仕事。でも自分の悩みを相談する相手はいない。相談されることに慣れすぎて、自分が“助けを求める側”になることを忘れてしまっていた。たとえ同業の友人がいても、仕事の愚痴や弱音はなかなか言いづらいものだ。

人の悩みを聞いて、自分の心を見失う

人の悩みを日々聞いていると、不思議と自分の感情が麻痺してくる。「この人に比べれば、自分なんてまだマシだ」なんて思いながら、知らず知らずのうちに感情を押し殺していた。気がついたときには、自分が何を感じているのかも、よくわからなくなっていた。

事務員さんにも気を遣ってしまう現実

ひとり雇っている事務員さんには、できるだけ負担をかけたくない。だから、多少自分が無理をしてでも業務をこなそうとしてしまう。「任せられない」のではなく「申し訳ない」気持ちが強すぎて、結局自分が抱え込んでしまう。そんな優しさ(のつもり)が、裏目に出ることもある。

「忙しい=充実」じゃない

一時期、「忙しい」という状態に安心していた時期があった。暇でいると不安になる。だから予定を詰め込み、土日も仕事を入れた。でもそれが「充実」かというと、まったく違った。心のどこかが、ずっと疲弊していた。

数をこなしても心は満たされない

1日に5件の相談、10件の書類作成、締切のある登記申請…。予定表は埋まっているのに、どこか虚しい。やりがいがあるはずの仕事が、数字とチェックリストに追われる“業務”になっていた。満たされない理由は、「何のためにこの仕事をしているのか」が見えなくなっていたからだと思う。

仕事が終わらないから休めない悪循環

一度休むと、積み残しが山のように出てくる。だから「休むこと」が恐怖になる。結果として、体調を崩すまで働き続ける。かつて風邪をこじらせて点滴を打ちながら書類を仕上げたことがあったが、そんなのは自慢にもならない。完全に悪循環だった。

効率化の限界とひとり事務所の壁

いろんなツールを導入して業務を効率化したつもりだった。でも結局、最終チェックや責任の重い部分は自分が担わざるを得ない。小規模事務所の限界を、いやというほど感じる瞬間だった。結局、“自分の限界=事務所の限界”という現実に直面するしかなかった。

限界を迎えた日のこと

ある日、依頼者からの電話にどうしても出る気になれなかった。「ちょっとお時間いいですか?」の一言が、なぜか心に重くのしかかった。「あぁもう無理だ」と思った。その日は何もせず、事務所の椅子で天井を見ていた。

小さな一言が涙の引き金になることもある

後日、事務員さんがぽつりと「先生、いつもありがとうございます」と言った瞬間、不覚にも涙が出た。自分でも驚いた。たったそれだけの言葉に、心が緩んでしまった。限界を超えていたのだと、そのとき初めて自覚した。

頑張り屋ほど黙って潰れる

「ちゃんとやってる」「ちゃんとやらなきゃ」が口癖の人ほど、限界まで我慢してしまう。特に、司法書士のような“責任”が重い仕事では、それが顕著に出る。頑張るのは美徳だけれど、それで潰れてしまったら意味がない。今はそう、はっきり言える。

「助けて」と言えるようになるために

「助けて」と言うのは、恥ずかしいことではない。それに気づくまでに、何年もかかってしまった。完璧じゃなくていい。少しずつでいい。弱さを見せられる環境が、きっとこれからの士業には必要なんだと思う。

同業者とのゆるやかなつながり

SNSでの情報交換、雑談ベースのZoom会など、敷居の低いつながりが増えてきた。完璧であることを求められない、緩やかな関係は本当にありがたい。情報だけでなく、気持ちの共有ができる場所があることで、気持ちが軽くなる。

一人で背負わないと決める勇気

自分で全部やらなきゃ、という考えをやめる。それだけで、肩の荷はかなり軽くなった。「できる範囲で、できることをやる」──それが、結局は依頼者のためにもなると気づいた。一人で背負わないことは、逃げではない。むしろ、長く仕事を続けていくための戦略だ。

「優しい性格」は自分にも向けていい

誰かに優しくするなら、まずは自分にも優しくあろう。そう思えるようになったのは、最近になってからだ。他人に配慮できる人は、自分に対しても配慮すべきだと思う。自分を傷めつけるほどの努力は、もうやめてもいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

未分類