「怒る司法書士」なんて聞いたことありますか?
司法書士という職業に対して、皆さんはどんなイメージを持っているでしょうか。冷静沈着、感情を表に出さず、黙々と書類を処理する職人のような存在。確かにそういう面もありますし、そうでなければ務まらない場面も多々あります。でも、私はときどき怒ります。依頼人のために、というより、依頼人の代わりに怒ることがあります。感情をコントロールするのが仕事なのに、それを破ることがある。それっておかしいでしょうか?
感情を出すのは“プロ失格”なんだろうか
プロフェッショナルは感情を排除し、常にニュートラルでいなければならないという考え方があります。私もかつてはそう思っていました。しかし、現実には感情がこみ上げてくる場面があるのです。たとえば、役所や銀行の窓口で依頼人がぞんざいに扱われているのを見たとき、心の中に怒りが湧いてきます。放っておけないのです。
でも、黙っていられないときがある
以前、成年後見の相談に来られたご家族が、行政機関でたらい回しにされたと話してくれました。あまりにひどい扱いに「それはおかしいですよ」と、つい声を荒げてしまいました。その場では冷静さを装いましたが、帰宅後にモヤモヤが収まらず、自分でも感情に飲まれていることに気づきました。
依頼人のために怒る――その裏にある現実
誰かのために怒るなんて、立派に聞こえるかもしれません。でも、実際はそんなに格好いいものじゃありません。怒った後に虚しさや自己嫌悪に襲われることもあります。感情を表に出したことで信頼を損ねたかもしれないという不安もあります。怒るという行為の裏には、複雑な感情が渦巻いています。
他人の問題に感情移入しすぎる性格
司法書士という職業柄、人の人生の転機に関わることが多いです。登記、相続、成年後見、遺言…。冷静に事務的にこなすべきなのはわかっていますが、私はどうしても他人事にできません。感情移入しすぎてしまう自分の性格に悩んだこともあります。
冷静に処理できない自分を責めた日々
ある相続の案件で、依頼人が兄弟間で理不尽な扱いを受けているのを目の当たりにしました。私は書類を整える傍ら、何度も「それは酷い」と心の中で叫びました。仕事を終えた後も、ふとした瞬間にその依頼人のことが頭をよぎり、「もっと何かできたんじゃないか」と悩み続けました。
それでも放っておけない案件
時には、「そんなこと司法書士の仕事じゃない」と思われるような内容にも首を突っ込んでしまいます。例えば、家庭内での虐待が疑われるケース。もちろん介入の限界はありますが、ただ書類を処理して終わり、にはできないのです。依頼人の背後にある“事情”に反応してしまうのは、良くも悪くも私の性分です。
怒る理由は「正義感」だけじゃない
依頼人のために怒るというと、美談に聞こえるかもしれません。でも、実際には正義感だけじゃない。もっと自分本位な理由もあります。怒りの根底には、自分の存在意義を問う気持ちや、自分が無力であることへの苛立ちもあります。
雑に扱われる依頼人を見ると腹が立つ
とある高齢の依頼人が、窓口で「それは関係ないから」と書類を突き返された場面に立ち会ったことがあります。その瞬間、私はその職員に対して強く言い返したくなりました。依頼人が不当に扱われているのを見ると、自分が軽視されているように感じるのです。
実は、自分が舐められているような気がしてしまう
「司法書士って何する人なの?」と聞かれることがまだまだ多いです。下に見られていると感じるときもあり、そのストレスが積もると、怒りとして表に出ることがあります。依頼人を守るというより、自分の立場を守ろうとしているのかもしれません。
怒ることのリスクと孤独
怒るという行為は、誤解を招くリスクもあります。依頼人からも、周囲からも、「この人は感情的で怖い」と思われるかもしれません。実際、怒った後には大きな孤独感が押し寄せてきます。私は事務員と二人三脚でやっていますが、彼女にも気を遣わせてしまうことがあります。
“面倒な人”と思われる怖さ
「クレーマー的な司法書士だな」と思われたらどうしよう、という恐れが常につきまといます。感情を出すことで、信頼を失うリスクを抱えているのです。それでも言わずにいられないときがある。そういう自分を制御できない自分も、また悩ましい存在です。
事務員にも気を遣わせてしまう
怒った後、事務員が静かになるのがわかります。何も言わないけど、気を遣っているのが伝わってくる。職場の空気を悪くしているという自覚があり、それもまた自己嫌悪の原因になります。感情の発露が、周囲の人に影響を与えてしまうのは避けたいところです。
それでも怒ることで救われた人がいる
全てがマイナスというわけではありません。感情を出してでも守ろうとしたことで、救われた依頼人もいます。ある依頼人に「あなたが怒ってくれて、救われました」と言われたことがあり、その言葉は今も私の中に残っています。
言ってくれてありがとう、と言われた夜
夜遅く、電話で「本当にありがとうございました」と言われたとき、少しだけ自分を許せた気がしました。怒ることが必ずしも悪ではない、という小さな肯定。それが、翌日もまた机に向かう原動力になったのです。
「誰かが味方でいてくれる」価値
理屈じゃない“味方”が一人いるだけで、人は踏ん張れる。司法書士としての仕事に、そういう役割もあるのだと感じるようになりました。書類の処理だけでなく、心の処理にも関わる仕事。それがこの職業の奥深さかもしれません。