昨日の怒鳴り声、今日のごめんなさい──それでも信頼できる依頼人ですか?

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昨日の怒鳴り声、今日のごめんなさい──それでも信頼できる依頼人ですか?

怒鳴られる日常──地方の司法書士にとって珍しくない現実

「そんなの聞いてないよ!」「ちゃんとやってるのか!?」そんな怒鳴り声が電話口から飛んできたのは、決して初めてのことではありません。地方の司法書士事務所で仕事をしていると、感情の激しい依頼人に出くわすことも多いのが現実です。相続、登記、信託――人生の大事な局面に関わるからこそ、依頼人の不安も怒りに変わりやすい。でも、それをすべてこちらが受け止めるのは、やっぱりしんどい。今日は、そんな「怒鳴られたけど翌日謝られた」エピソードを通して、自分自身の中でどう向き合っていくべきかを考えてみたいと思います。

電話口での怒声、それでも受話器を置けない理由

受話器の向こうから怒鳴られても、こちらが一方的にガチャッと切るわけにはいきません。司法書士としての信頼、職業倫理、そして何より「トラブルを大きくしたくない」という現実的な判断。こちらが感情的になってしまえば、依頼人との関係は完全に崩れてしまいます。だけど、やっぱり腹は立つし、何より心が疲弊する。感情を殺して話を続けるのは、思った以上に消耗する仕事です。

「あの瞬間、こっちが悪い気がしてくる」感情のすり替え

不思議なもので、理不尽な怒鳴り声を浴びせられたはずなのに、「こちらに落ち度があったのでは」と自問し始める瞬間があります。これはまさに、怒りという強い感情によってこちらの感情がすり替えられてしまう典型例。自分を守るために冷静に対応した結果、「自分が冷たい対応をしたかもしれない」という罪悪感が生まれる。これって本当にやっかいなんです。

翌日の謝罪──信頼関係の再構築か、それとも単なる自己保身か

「昨日は言いすぎました。本当にすみませんでした」──怒鳴ってきた依頼人が、翌日になってわざわざ電話で謝罪してきたことがありました。一見すると誠意ある行動に見えますし、正直ホッとする気持ちもあります。でも、その謝罪は本当の意味で信頼の再構築につながるのでしょうか。それとも、単なる自己保身のためのパフォーマンスなのでしょうか。ここからが、悩ましいところです。

「昨日はごめんね」と言われてホッとする自分が悔しい

謝られて嬉しい、ホッとする。それ自体は自然な感情だけど、「それで全部チャラになるわけじゃない」と思う自分もいる。でも、現実的にはまた関係を続けないといけない。そこで「まあ、いいか」と折り合いをつける。でもこの「まあ、いいか」が積もり積もって、後々大きなストレスに変わっていくのも事実。謝罪を受け入れることと、感情を抑え込むことは、別物なんですよね。

誠意か演技かを見極めるための小さなヒント

謝罪の中に「具体的な反省」があるかどうかは、誠意を見極めるひとつのポイントです。たとえば「昨日は怒ってしまってごめんなさい」ではなく、「不安になって、感情的になってしまいました」といった、状況の説明があるかどうか。また、今後の対応について前向きな姿勢があるかどうか。そこに本音がにじんでいることもあります。ただし、見極めようとする自分もまた、疲弊していくのも事実ですが…。

依頼人との距離感──近づきすぎれば苦しくなる

依頼人といい関係を築きたいという思いが強すぎると、かえって自分を追い込むことになります。特に地方では、地域のつながりもあって「冷たい人だ」と思われることを極端に恐れてしまいがち。でも、その結果として感情を無理に抑え込んでしまい、心がすり減ってしまう。心の距離感の取り方を間違えると、燃え尽きるのは自分です。

「いい人」になろうとするほど消耗する

「丁寧に対応しよう」「感情的にならずに冷静に応じよう」…そう意識するほど、自分の内側に無理がかかっていきます。依頼人の顔色を伺いすぎると、自分の言葉さえ信用できなくなってくる。気づけば、誰のために仕事をしているのかわからなくなってしまう。いい人でいようとするより、「嫌な人と思われてもいい」という開き直りの方が、時に心を守ってくれるのかもしれません。

境界線を引くために必要な心の習慣

「これは仕事の範囲」「これは感情の問題」と、自分の中で線引きする習慣を持つことが大切です。感情に巻き込まれすぎないためには、業務内容を明確に文書化することや、事前にトラブルの可能性を伝えておくといった、具体的な対策も有効です。気持ちを切り離すというより、「巻き込まれすぎない準備」を整えておくこと。それが自分を守る第一歩になります。

依頼人との関係は「対等」ではない

依頼人はあくまで「サービスを受ける側」、こちらは「提供する側」であって、感情的には対等でも、立場は違います。その認識が曖昧になると、「依頼人に嫌われないこと」が目的になってしまう。そうなると、専門職としての判断すら歪んでしまうことがあります。お金をもらう側だからといって、感情まで差し出す必要はありません。

信頼ってなんだろう?こちらばかり我慢する関係に思うこと

信頼関係って、一方が我慢し続けて成り立つものじゃないと思うんです。でも、現場ではつい「自分が我慢すれば丸く収まる」と考えてしまう。そうして関係を続けていくうちに、気づけば自分ばかりが消耗している。信頼とは、お互いが安心して本音を言えること。その基本を見失わないようにしたいと、怒鳴られた翌日の帰り道に考えていました。

「我慢=信頼」ではないという当たり前の話

我慢すればするほど、相手は「この人なら大丈夫」と思ってしまう。そうすると、さらに無理を強いられる構図ができあがってしまう。だからこそ、「それはできません」と言う勇気が必要なんだと思います。本当の信頼は、言いづらいことをきちんと伝えられる関係からしか生まれない。優しさと我慢は、似て非なるものです。

嫌われる勇気より「疲れない距離感」の方が大事

「嫌われてもいい」と思うのは強がりじゃありません。むしろ、「嫌われないように頑張る」方がよっぽど苦しい。嫌われる勇気を持つよりも、「疲れない距離感を保つ」ことの方が、ずっと現実的です。心のバランスを崩さないためには、一定の冷たさも必要です。

他の司法書士さんへ──こういうとき、どうしてますか?

正直に言うと、こういうとき、他の司法書士さんがどう対応してるのかを聞きたい。ネットの検索じゃ出てこない、現場でのリアルな対応方法。怒鳴られた後、どこまで許すべきなのか。それとも、次からは仕事を受けないべきなのか。判断に迷うことばかりです。誰かの失敗談や対応の工夫が、自分の支えになることってありますよね。

「私だけじゃない」と思える体験談が欲しい

こうしたトラブルの話は、なかなか表には出ません。でも、同業の仲間の間では「実はさ…」と語られることが多い。そんな話を聞くだけで、「ああ、私だけじゃないんだ」と救われる気持ちになる。司法書士は孤独な仕事だからこそ、こういう繋がりがもっとあっていいと思っています。

司法書士を目指す人へ──現場には感情の波がある

勉強をしていた頃、こういう仕事のリアルはまったく知らなかったと思います。民法や不動産登記法の条文には、「怒鳴られた時の対応」なんて出てこない。でも、現場は感情の波にさらされることが日常です。知識だけでなく、心をどう守るかも大切なスキル。これから司法書士を目指す方には、ぜひそれも知っておいてほしいです。

資格勉強では教えてくれなかった「人間関係」の難しさ

資格の世界は、正解がはっきりしていて居心地がよかった。でも、実務は違います。正解がなく、相手によって対応も変わる。感情を扱うスキルが、思った以上に求められる仕事なんだと、日々痛感しています。だからこそ、勉強の段階から「心の筋トレ」もしておいて損はないです。

怒鳴られても、感謝されても、結局は自分との対話

どれだけ感情をぶつけられても、最後に立ち戻るのは「自分がどうありたいか」という問い。司法書士として、そして一人の人間として、どんな働き方をしていきたいか。怒鳴られて悩む時間も、実は自分を見つめ直すチャンスなのかもしれません。少しずつでも、自分の軸を持てるようになりたいものです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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