「そこまで丁寧にしなくてもいいですよ」と言われた日のモヤモヤ
ある日、お客様から「そんなに丁寧にしなくても大丈夫ですよ」と言われた。たしかに、書類の角を揃えたり、補足資料にコメントをつけたりと、私のやり方は少々細かいのかもしれない。でも、その一言で、なぜか胸の奥がザワついた。「え、それって…丁寧すぎた?」「逆に雑にしてほしかったの?」――言葉どおりに受け取れない自分が、情けないような、でもちょっと怒れてくるような、複雑な気持ちになった。
あれ、本当にそう思ってる?と疑ってしまう瞬間
司法書士として、相手の言葉を信じるのは大切だ。でも、「そこまで丁寧にしなくていい」と言われると、それが本心なのか、遠慮なのか、あるいは皮肉なのか、いろいろ考えてしまう。特に地方では、「そんなの気にしなくていいですよ」と言いながら、実際はちゃんとやってないと後からグチグチ言われるケースも多い。こういうの、本当にしんどい。
言葉を鵜呑みにして雑に対応した結果、地獄を見た話
以前、「軽くでいいですよ」と言われた案件で、内容を簡略化して書類を仕上げたことがある。すると、後日「やっぱりちゃんとしたほうがよかった」と言われて修正の嵐。結局二度手間になって、こちらの負担は倍増。しかも「最初からちゃんと提案してくれればよかったのに」とまで言われて、心が折れそうになった。
丁寧すぎる仕事は悪なのか?地方事務所の現実
効率と丁寧さは、常に天秤にかけられる。特に小規模な司法書士事務所では、すべてを完璧にやっていたら身体がもたない。でも、手を抜いた途端に信頼を失う。都会と違って評判が全ての地方では、一つのミスが長く尾を引くこともある。だから、どうしても“やりすぎ”になる。
効率を取るか、信頼を取るかの毎日の葛藤
業務を回すためには、ある程度の効率化が必要だ。だが、司法書士の仕事は信頼第一。特に登記や相続のような繊細な案件では、ミスが命取りになる。何が“丁寧”で、何が“過剰”なのか、その線引きが毎回難しい。丁寧にすればするほど「時間がかかる」と言われ、効率を求めると「雑だ」と言われる。
時間はかかる、でも手を抜くと信用が落ちる
以前、相続登記の申請書にわかりやすい補足をつけたら、「こんな丁寧な書類は初めてです」と感謝された。一方、時間が足りなくて急いだ案件では「こっちが確認しないといけなかった」と不満げな声が。仕事の質を落とせば信用が落ちる。それがわかっていても、体力と気力の限界はある。
「適当でいい」って、どこまでが“適当”なのか
「適当で大丈夫です」と言われても、その“適当”がどこまでを指すのかがわからない。こちらとしては、法的リスクや後々のトラブルを防ぐために一定以上の丁寧さは必要と考えている。でも、それを説明する時間もないし、相手の理解も限られていることが多い。だから、つい自分の中での“安全圏”で動いてしまう。
依頼人の「遠慮の言葉」にどう向き合うべきか
依頼人が口にする「そこまでしなくても」は、必ずしも本心ではない。多くの場合、それは“申し訳なさ”や“気遣い”の表れだ。でも、こちらがその言葉通りに動いてしまうと、結果的に不信感を生んでしまう。このギャップをどう埋めるかが、地味にストレスになる。
「そこまでしなくても」は信頼の裏返し…本当か?
「あなたなら分かってくれる」「プロに任せてるからこそ、細かいことは言わない」――そう思ってくれているとポジティブに受け取るべきか。でも、それって都合のいい解釈かもしれない。実際、「もう少し丁寧に説明してほしかった」と言われたこともある。「信頼されているからこそ」なんて、こちらの思い込みなのかもしれない。
曖昧な依頼には、曖昧な不満が残る
丁寧さの程度が人によって違う以上、「おまかせ」と言われても基準が分からない。そして結果が出たあと、「思ってたのと違った」と言われる。これが一番きつい。だから私は、たとえ時間がなくても、できるだけ具体的にすり合わせるようにしている。でも、それすら「丁寧すぎる」と言われることがある。
一人事務所のしんどさ、時間の限界と向き合って
事務員が一人、あとは私一人。電話対応も、書類作成も、相談対応もすべてこなさなければならない。どこかで丁寧さを削らなければ、回らない。だけど、その“削る”ポイントを間違えると、大きなトラブルになる。このバランス感覚が、一番難しい。
事務員1人、現場はいつも綱渡り
「今日は一息つけるかな」と思った矢先に、法務局からの問い合わせ。事務員に任せきれない書類は山積みで、息つく暇もない。そんななかで、「ちょっと見ておいてもらえますか」なんて軽く言われた日には、内心「簡単に言わないでくれ」と叫びたくなる。
ミスできない、でも全部やるのは無理がある
責任のある仕事だから、ミスは許されない。でも、全部に100%の力を注いでいたら、身体が持たない。だからといって、どこかで“妥協”するのは怖い。結局、自分で自分の首を絞めながら、完璧を目指してしまう。そして、終わらないタスクに追われて一日が終わる。
「そこまで丁寧に」の代償は、夜中の確認作業
「こんな時間まで何してるの?」と妻に呆れられることもしばしば。お客様に「丁寧ですね」と言われる一方で、その裏では夜中まで見直しや修正をしている。日中にはできない集中作業を、家族が寝静まったあとにこっそり片付ける。それが現実。
結局、どこまで丁寧にすれば「ちょうどいい」のか
結論から言えば、「ちょうどいい丁寧さ」なんて存在しない。相手や案件ごとに違うし、受け取る側の価値観によっても変わる。だからこそ、自分の中に「これだけは譲れない」という基準を持っておくしかない。誰かの“軽いひと言”に揺さぶられないために。
自分基準を持たないと、心がすり減る
「そこまでしなくても」と言われるたびに、対応を変えていたら、いつか自分が壊れてしまう。だから私は、自分なりの「ここまでやる」を決めている。それ以上は相手次第。それ以下にはしない。それが、長く続けていくための最低限の自衛だと思っている。
「ちゃんとやってよ」と言われてからでは遅い
結局、求められているのは「ちゃんとした仕事」だ。いくら遠慮の言葉があっても、結果が求められる。そして、その「ちゃんと」は、最初の段階ではわからないことが多い。だったら、最初から“ちゃんと”やっておいた方がいい。後で傷つくのは、こっちだから。