「あれ?自分だけ止まってる?」そんな違和感の正体
毎日慌ただしく過ごしていると、自分が「時代に取り残されている」という感覚に陥る瞬間があります。僕も45歳、地方で司法書士事務所を一人で切り盛りしていて、ふと気がつくと、世間のスピードに全然ついていけてないと感じることが増えました。まるで周囲だけ早送りされていて、自分だけコマ送りのまま取り残されているような、そんな感覚です。
昔はできていたのに、今は手が出ないこと
正直、昔はそれなりに新しいことにも飛び込んでいたと思います。パソコンも早くから導入していたし、ソフトの切り替えもわりと柔軟にやっていたはずです。でも今、たとえば「クラウドで管理しましょう」と言われても、すぐにはついていけない。「セキュリティが〜」「共有フォルダが〜」なんて言葉が飛び交うたびに、心の中では「ごめん、もう無理」とつぶやいています。
周囲の変化が早すぎて、気づけば置いてけぼり
一番辛いのは、変化のスピードが速すぎて、自分が立ち止まっていることにすら気づけないことです。若い司法書士さんたちは次々と新しいサービスやアプリを取り入れていて、いつの間にかそれが“当たり前”の基準になってしまっている。気づけば、自分のやり方が「時代遅れ」と言われかねないレベルになっていたりするんです。
事務所に流れ込む“新しいもの”への抵抗感
僕の事務所には、事務員さんがひとりいます。年下でとてもしっかりしていて助かっているのですが、その彼女から提案される「新しいやり方」に、内心ドキドキしています。便利なんだろうけど、それを理解する余裕もなければ、学び直す体力もない。そんな自分を認めたくなくて、つい曖昧にうなずいてごまかしてしまうことも。
クラウド管理?API連携?何それ美味しいの?
「このファイル、Googleドライブに入れておきますね」「この書類、API連携で自動処理できますよ」と言われても、正直なところ何が何やらわかりません。クラウドという言葉は聞いたことがあるけれど、実際にどう使うのか、何が便利なのかがイメージできない。説明されても頭がぼんやりしてしまって、「わかったふり」だけが上手になっていきます。
事務員からの提案に戸惑う日々
彼女は悪くないんです。本当に。むしろありがたい存在です。でも、提案されるたびに「自分が時代遅れでごめん」と感じてしまうのが辛い。こんな些細なことで自己否定してしまう自分も、また嫌になるんですよね。
「これやってみましょう」と言われて、心の中で苦笑い
ある日、「使って、定型メールを自動生成してみませんか?」と言われました。便利そうだけど、それを試すにもパソコンの前で手が止まる。「試す時間」も「試す勇気」も、自分の中に足りていない。結局「それはまた今度ね」と言ってしまった自分に、どっと疲れが押し寄せました。
SNS時代の情報発信についていけない苦しみ
今の時代、「司法書士も発信力が大事です!」なんて言われるんですよね。X(旧Twitter)やブログで情報発信をする司法書士も増えてきました。でも、僕にはそれが本当に苦手です。なにをどう書けば良いのか、誰に届くのかもわからず、結果として何も発信できないまま、焦りだけが募ります。
ブログやX(旧Twitter)で発信しろと言われても
一応ブログも作ってみました。でも、三日坊主です。記事を書こうとしても、「これは誰の役に立つんだ?」という疑問が湧いてきて、手が止まります。Xもやってみたけど、毎日投稿するような話題もないし、業務内容をつぶやいても反応はゼロ。それに傷つくのが嫌で、いつしか投稿ボタンすら押せなくなっていました。
“発信力”ってなんなんだ
若い先生たちの発信は、軽やかで明るい。それに比べて、自分の文章はどこか重たく、堅苦しい。そもそも“発信力”ってなんなんでしょうね。僕にはまだ、その正体すら掴めていません。
若手司法書士とのジェネレーションギャップ
最近、地域の勉強会で若い司法書士さんと話す機会が増えてきました。彼らの話す内容やスピードに、ついていけない自分が情けない。技術の話、営業の話、SNSの話……すべてが別の世界の出来事のようで、会話の中で浮いてしまっている自分に気づくたび、居心地の悪さを感じます。
「それ、今はこうやるんですよ」の一言に傷つく
別に悪意があるわけじゃないんです。「効率化のためにこうしてますよ」ってだけ。でもその一言が、「あなた古いやり方ですね」と言われているように感じてしまう。勝手に傷ついてる自分も、また嫌になるという負のスパイラルです。
ZoomやSlackが普通な世代との違和感
打ち合わせはZoom、連絡はSlack。若手の司法書士は当たり前のようにそれらを使いこなしていて、そこに入っていけない自分は「昭和の人間です」と貼り紙されてる気分になります。時代は変わったと頭ではわかっているのに、心が追いつかない。そんな日々です。
時代遅れなやり方を見直すべきなのか?
変わらなきゃとは思うんです。効率化すれば、もっと業務は回るだろうし、余裕もできる。でも、どこかで「昔ながらのやり方」にこだわっている自分がいるのも事実です。手書きの温もり、直接会って話す安心感、それを捨ててまで変わることが正解なのか、今も迷っています。
アナログにも良さはあると思いたい
僕は今でも、依頼者としっかり話して、目を見て確認することを大事にしています。ネットで完結できる時代だけど、それが不安な方もまだ多い。そんな人たちのために、自分のやり方は無駄じゃない、と思いたい気持ちもあります。
でも顧客は“効率”を求めてくる現実
しかし、現実には「PDFで送ってください」「電子申請できますよね?」という声も増えています。こちらが紙で出すと言うと、「じゃあ後でスキャンして送りますね」と、逆にフォローされてしまう始末。完全に立場が逆転しています。
手書きと印鑑だけじゃ信頼されない時代
手書きの書類にこだわっていても、それが「遅い」と思われたら終わりです。信頼を築くには、速さやスマートさも必要な時代になったんですね。それが頭ではわかってるのに、なかなか手放せないのが現実です。
小さな事務所だからこそ、今できること
変化が怖い、でも何もしないのも違う。そう思って、最近は「一つだけ試してみる」というやり方に切り替えました。すべてを一気に変えようとすると潰れます。でも、一つずつならなんとかなるかもしれない。小さな事務所だからこそ、柔軟さも持てるんじゃないかと思い始めています。
全部は無理でも、ひとつずつ試すことから
まずはGoogleカレンダーの共有から始めてみました。正直、最初はよくわからなかったけど、事務員さんに教えてもらいながら何とか使えるように。完璧じゃなくても、「やってみた」ことに意味がある気がしています。
「ついていけない」と諦める前に
ついていけないと感じたら、それは「試してないから」かもしれません。年齢を言い訳にして諦めるのは簡単。でも、少しでも前に進めたとき、自分がまた「動き出せた」ことに気づけます。小さな一歩を、今も踏み出し続けています。
“取り残されてる自分”を受け入れる勇気
正直に言えば、今も毎日のように「自分、古いなあ」と思います。でも、それを責めるのはもうやめました。自分は自分、できる範囲で進めばいい。そう思えたことで、ちょっとだけ肩の力が抜けた気がしています。
焦らず、でも放置せず
全部やらなくていい。でも、何もしないのはもっと怖い。そんなバランスでこれからも試行錯誤していこうと思っています。焦らず、でも止まらず。取り残されても、少しずつ追いつけばいいんだと思えるようになりました。
正直に「わからない」と言える強さ
わからないことは、わからないと認める。それが一番大事なのかもしれません。偉そうにしない、背伸びしない、でも学びは止めない。そんなスタンスで、この司法書士という仕事を、これからも続けていきたいと思っています。