気づけば2時間…登記簿とにらめっこしてる自分に呆れる日

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気づけば2時間…登記簿とにらめっこしてる自分に呆れる日

登記簿とにらめっこする日々が増えてきた

最近、ふと気づくと2時間くらい登記簿の画面を見つめている自分に呆れることがある。昔はもう少しパッと判断できていた気もするのに、今では「これで大丈夫かな?」と確認に次ぐ確認。登記簿はただの記録のはずなのに、その奥にある人間のドラマや、過去のややこしい事情まで読み取ろうとしてしまうからタチが悪い。疲れてくると、頭の中で住所が踊り始める始末だ。

「またか…」とため息をつく瞬間

朝イチで開いた登記簿に、いきなりわかりづらい地目が出てくると、「ああ、今日は時間かかるな」と直感する。その瞬間のため息は、事務所の空気を重くする。登記簿が悪いわけじゃない。でも、自分が少しでも見落としたら後で面倒になるから、どうしても慎重にならざるを得ない。ちょっとした覚悟をもって読み始めるのが日常だ。

紙の山に埋もれた現場のリアル

登記情報は今やオンラインで取れる時代だけど、過去の謄本、閉鎖謄本、補完書類など、結局は紙で確認するしかないことも多い。ファイルから必要なものを引っ張り出して、机に並べて…気づいたら机の上が紙だらけ。頭の中で整理していても、ふと見落としが出てきて、結局最初から読み直す。これをやってると時間なんてあっという間に溶ける。

なぜこんなにも時間がかかるのか

誰に見せても「ただの記録じゃないの?」と言われそうな登記簿。でも、やってる側からすると、これがとんでもない情報の塊。特に古い物件や相続絡みの案件になると、細かいところに落とし穴がゴロゴロしている。とにかく見落としが許されないというプレッシャーの中で、すべてを“自分の目”で確認しないと安心できないのが原因だ。

地番のクセと表記ゆれに振り回される

同じような番地が並ぶ地域では、地番の誤記がないか何度も確認しなきゃならない。「この一字の違いが命取り」と自分に言い聞かせながら、何度も何度も見比べる。特に地目や権利部の記載に表記ゆれがあると、「これはミスか、仕様か?」と疑ってしまう。そのたびに調べ直して、正解のないパズルを解いている気分になる。

一文字違いの恐怖

「五番地二」と「五番地三」、たった一文字の違いなのに、間違えたら依頼者に迷惑をかける。以前、補正指摘を受けたことがあって、それ以来、恐ろしく慎重になった。しかも、現地のプレートと登記簿の記載が一致しないケースも多く、「あれ?」と思ったら現地確認からの法務局問い合わせコース確定だ。

「この住所どこ?」に時間を吸われる

住所が変わっているのに登記がそのまま、なんてことはよくある話。中には、旧町名や合併前の地番が混在していて、「この場所って今でいうどこだ?」と調べるところから始まる。Googleマップと地理院地図を並べてにらめっこ、古い住宅地図を引っ張り出す…時間がかかるわけだ。

司法書士の性(さが)としての“慎重さ”

もしかしたら性格の問題なのかもしれない。昔から「慎重ですね」と言われることが多かった。けれど、それがこの仕事では“長所”でもあり“業務効率の敵”でもある。誰にも文句を言われないように、確認に次ぐ確認。だけどそれをやりすぎて、自分の首を絞めている気もする。

調べすぎてドツボにハマる悪循環

一度「おかしいかも」と思うと、そこから抜け出せなくなる。結局、周辺情報を全部確認してからじゃないと次に進めなくなるから、1つの登記簿に2時間かけるのも珍しくない。途中で「これ、終わるんだっけ?」と我に返る瞬間すらある。まるで自分の中の「間違えたくないマン」と戦っているような感覚だ。

結局、「念のため」で終わる作業の数々

「念のためにもう一回見ておこう」がクセになってしまっている。その“念のため”が3回も4回も続くと、もはや業務の一部として成り立っている。頭では「もう十分確認した」とわかっていても、手が止まらない。この性格、直したいような、直したくないような。

事務員に任せられない作業のジレンマ

事務員さんにお願いできればどんなに楽かと思う。けれど、責任の重さや判断の複雑さを思うと、最後はやっぱり自分で見なきゃ気が済まない。だから忙しい日でも、つい登記簿の確認に時間を取られてしまうのだ。

判断が絡むからこそ、結局自分でやる羽目に

登記簿の中の文言や履歴をどう読むかは、機械的な作業ではない。どこまでの範囲を確認するか、どう扱うか、リスクはどこにあるか…。そういった判断は、経験と責任の上に成り立っている。だから結局、「念のため自分でやろう」となってしまう。

効率化したくてもできない理由

業務効率化は永遠の課題だけど、こと登記簿の確認に関しては「自分で見ないと不安」という壁がある。ツールを使ったとしても、判断が必要な場面ではどうしても手作業になる。効率を求めたい。でも、それ以上に「間違えたら怖い」という気持ちが勝ってしまう。

「あとで間違いが見つかったら…」という不安

補正、登記完了後のトラブル、クレーム対応…。一度でも痛い目にあったことがあると、「あの時、もう一度見ておけば…」と後悔する。だから、今の自分は“慎重すぎるくらい慎重”になった。その姿勢が間違っているとは思わないけど、もう少し自分を許してあげてもいいのかもしれない。

ITツールを使うにも限界がある

登記情報提供サービスは便利だけど、レイアウトが読みづらい。PDFを拡大したり縮小したり、紙に印刷して手元で確認したり…アナログとの併用が欠かせない。ましてや古い謄本の文字がかすれていたり、手書きの修正が入っていたりすると、もうツールでは対応できない。

登記情報提供サービスの使いづらさ

画面スクロールのたびに位置がずれたり、保存期間が短かったりと、細かいストレスが積み重なる。業務で何度も使うからこそ、こうした使い勝手の悪さはモチベーションを削ぐ。改良されればいいのに…と何年も思ってるが、いまだに変わらない。

どう向き合うか、どう付き合うか

登記簿を読む時間は減らせない。でも、気持ちの持ち方は変えられるかもしれない。完璧主義を少しだけ緩めて、「8割でもいい」と思えるようになること。それが今の課題なのかもしれない。

時間がかかる前提でスケジュールを組む

登記簿に1件あたり30分なんて、現実には無理。だったら最初から「この案件は2時間かかる」と見込んでおけば、焦らず取り組める。時間配分をコントロールすることで、ストレスも多少は減る気がする。

完璧を目指さず「良し」とする勇気

自分の性格を急に変えるのは難しい。でも、「これで十分」と自分に言い聞かせる勇気は持てるかもしれない。完璧主義を手放すことは、自分を甘やかすことじゃない。むしろ、自分を守る術でもある。

最後に:今日もまた、登記簿に向かう自分へ

朝から晩まで、ひたすら登記簿を読み解く日々。たまに、「自分、何やってんだろう」と思うこともある。でも、誰かの大事な権利を守るために、必死になって目を凝らしている自分を、ちょっとだけ誇らしくも思う。今日もまた、静かに登記簿とにらめっこを始めるのだ。

仕事としての誇りと、正直な疲労感

この仕事が嫌いなわけじゃない。でも、疲れるのは事実だ。登記簿を読むという行為の中に、集中と緊張と孤独が入り混じっていて、それが何よりもしんどい。でも、誰かがやらなきゃならない仕事なら、自分が引き受けよう。それが今の自分の役割なんだと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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