たった一人、でも大きな壁――登記が進まない現実
相続人が複数いる案件で、問題なく進むと思っていた手続きが、たった一人の「海外在住」というだけで完全に止まってしまったことがある。しかも半年間。自分の段取りが悪いのか、郵便事情なのか、それとも法律のせいなのか…。原因を突き詰めたところで現実は変わらない。依頼者の期待と焦りがこちらにも波のように押し寄せてきて、気づけば「進んでいないこと」そのものがストレスになっていた。
手続き自体はシンプルなはずだった
もともとこの案件は、遺産分割協議もスムーズに済みそうな内容で、被相続人も相続人も少なく、資料も揃っていた。唯一の難点が「相続人の一人が海外在住」というだけだった。正直、その時は「時間はかかるかもしれないけど、手続き自体はそんなに難しくないだろう」と思っていた。でも、それが甘かった。
「海外在住」というだけでここまで変わるのか
一人がアメリカ在住だったのだが、本人確認書類のやりとり、署名押印、印鑑証明の代替措置など、日本では考えられないくらいの「壁」が次々と立ちはだかった。日本の制度では想定されていない部分も多く、こちらも一つひとつ調べながら進めるしかなかった。その度に数日、あるいは一週間単位で時間が溶けていく。
連絡が取れない、書類が戻らない…苛立ちと不安の毎日
登記手続きで一番つらいのは「こちらではどうしようもないことを、ただ待たされる」時間かもしれない。連絡はしている。催促もしている。でも返事がない。依頼者には状況を説明しても、「なぜそんなに時間がかかるのか」と半信半疑の声が返ってくる。その板挟み状態が、精神的にとてもつらかった。
メールも国際郵便も“遅い”という現実
たとえば、日本から送った協議書が先方に届くまで1週間。そこから署名され、また戻ってくるまでさらに1〜2週間。それだけで1ヶ月が経過する。途中で誤字が見つかれば、また修正して再送。しかも、向こうの感覚ではそれが「普通」なのだ。こちらは胃がキリキリしているのに、相手は「まあ来週返すよ」くらいの温度感。文化の違いとはいえ、しんどかった。
依頼者からのプレッシャーが心に刺さる
依頼者には「海外の方がいるので時間がかかります」と何度も伝えた。だが、時間が経てば経つほど、その言葉は言い訳に聞こえてしまうらしい。
「司法書士さん、まだですか?」という無言の圧力
電話では言わなくても、言外にそう言われているような気がして、毎回心がざわついた。「こちらでもどうしようもないことなんです」と説明しても、納得してもらえたかどうか、毎回不安だった。返事の声のトーンが少し冷たくなるだけで、「怒ってるのかな…」と感じてしまう。
自分の責任ではないと分かっていても辛い
正直な話、自分の責任ではない。法制度上、やることはやっているし、最大限動いている。それでも「完了しない」という結果だけが突きつけられる。司法書士は「完了してナンボ」の仕事だ。だから余計に、完了できないことに対する無力感が大きくなる。
なぜこんなに時間がかかるのか?――手続きの流れを整理する
この体験を通して、なぜここまで長引くのかを冷静に見直す必要があった。ただの愚痴で終わらせたくない気持ちも、少しはあった。
遺産分割協議書と印鑑証明の壁
国内の相続人であれば印鑑証明を添付すればよいが、海外在住者の場合はサイン証明(在外公館での認証)や現地公証人による証明など、煩雑な手続きが必要になる。それらは郵送でやりとりされ、さらに日本語訳や認証の確認も加わるため、単純に「一筆書いてもらう」わけにはいかない。
署名押印のための現地対応とタイムラグ
先方が現地の日本領事館に出向く時間が取れなければ、そこでさらに数日、あるいは数週間遅れる。こちらが催促しても、相手が多忙であればどうしようもない。郵送の遅れ、現地の休日、翻訳の手配…。あらゆる要因が積み重なって、半年という時間になった。
日本の常識が通じない海外事情
「書類にハンコを押す」「役所に行く」この日本では当たり前の感覚が、海外ではまったく異なる。メールやPDFで済まされる文化圏の人にとって、原本主義の日本の制度は“面倒すぎる”らしい。それをこちらが必死に説明しても、「なんでそんなことを?」という反応をされて、会話すら成り立たないことがあった。
現地の公証制度の違いと翻訳・認証の罠
たとえば、アメリカの公証制度は州ごとに異なる。どこで認証してもいいのか、どう書類を整えればいいのか、日本の感覚では判断が難しい。さらに、日本語の協議書を理解できないため、先方が自前で翻訳を依頼したが、その翻訳内容がズレていたりすると、また最初からやり直し。何重にも手間がかかる。
精神的に一番きつかったのは“待つだけ”の時間
最終的には、手続きが複雑というより、「ただ待つ」ことが何よりもつらかった。こちらは動けないのに、依頼者は「進んでない」と思っている。そのギャップが心に重くのしかかった。
自分ではどうにもならないという無力感
毎朝メールを確認し、ポストを覗き、「今日こそ書類が届いているかも」と期待する。でも何も来ていない。その繰り返しが続くと、何もやっていないような気持ちになってくる。他の案件も抱えているが、この一件の存在がずっと心に引っかかっていた。
モチベーションの維持がとにかく難しい
正直、こんな状態が続くと気力も削がれる。書類が届くまでは動けない。でも依頼者は進捗を知りたがる。その板挟みで、だんだんと自分の中の「やる気スイッチ」も鈍くなっていった。
ようやく終わった…でも残ったのは達成感より疲労感
最終的に書類がすべて揃い、無事に登記が完了した日、思わず「終わった…」と一言つぶやいた。けれど、達成感よりも圧倒的な疲労が勝っていた。
半年という時間の重さ
半年と聞くと大したことないように思えるかもしれないが、仕事の中で「一件が半年動かない」というのは精神的に相当くる。しかも原因が外的要因ならなおさらだ。ずっと心に重しを載せたまま、他の業務をこなすのは本当にきつかった。
「これ、また起こるのでは…」という予感
今回は偶然かもしれない。でも、今後また同じようなケースが来る可能性は十分にある。そのことを考えると、「またか…」という気持ちが先に立ってしまう。対応策を考えておかないと、次はもっとこたえるかもしれない。
対策はあるのか?――今後に備える知恵と工夫
愚痴っていても仕方ないので、今回の経験から学んだことを次に活かすための備えを考えた。
最初のヒアリングで“海外在住”を見逃さない
まず、依頼時点で相続人が海外在住かどうかを明確に確認し、特別なフローが必要だと判断したら、その場で説明すること。できれば、本人と直接Zoomなどで連絡をとり、意思確認や動いてくれるタイミングを確認しておくのが理想だ。
最悪のケースを先に説明しておくべきだった
「もしかすると半年くらいかかるかもしれません」と、最初に伝えておくだけで、依頼者の心構えは全く違っただろうと思う。
依頼者の期待値コントロールが鍵
司法書士の役割は「期待通りに終わらせる」こと以上に、「状況に応じた説明と納得」を届けることだと感じた。期待が高すぎると、ちょっとした遅れが大きな不満に変わってしまう。そのバランスを取るのが、この仕事の難しさだ。
それでも司法書士は続けるのか?
つらかった、しんどかった、何度もやめたくなった。でもそれでも、結局また依頼を受けている自分がいる。
この仕事が好きなわけじゃない、でもやめられない理由
好きかどうかは正直わからない。ただ、感謝の言葉や、完了した時の依頼者のほっとした顔を見ると、「やっててよかったな」と思える瞬間がある。たぶんその繰り返しで、なんとか続けているのだと思う。
いつか誰かの役に立っていたと信じたい
報われないことも多い。でも、「この人はあなたに頼んでよかった」と言ってくれたことを、何度も思い返しては自分を励ましている。自分の仕事が、誰かの人生の一部に関われたとしたら、それだけでも意味がある――そう信じていたい。