涙の先にあったもの――依頼人と一緒に泣いた日

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涙の先にあったもの――依頼人と一緒に泣いた日

泣いてしまった依頼人、そしてこちらも涙がこぼれた

司法書士として長く働いていると、いろいろな依頼人に出会います。冷静に手続きを進めるだけの日もあれば、妙に感情が揺さぶられる日もある。その日は、完全に後者でした。依頼人の女性が、話しながら泣き出してしまったのです。しかも声をあげて。こちらも、あまりに必死なその姿に、思わず目頭が熱くなってしまいました。プロとしてどうなのかと言われれば弱さかもしれませんが、人としての感情は抑えられなかったんです。

予想外の感情の波が押し寄せた瞬間

淡々と進む業務の中に、ふと差し込む人間らしさ

普段は、登記の準備や書類チェックなどルーチンワークの連続です。心を無にして淡々と処理することもあります。でも、その日は違いました。「すみません、もう無理かもしれません」と依頼人がぽつり。その瞬間から表情が崩れて、涙がこぼれ始めました。その姿を前に、私の手も止まりました。機械じゃないんだ、人と人だ。そんな感情が一気に押し寄せました。

事務所という空間に流れた、静かな涙

誰かの涙って、不思議と空気まで変えるんです。事務所の時計の音がやけに大きく聞こえる。事務員も言葉を発せず静かに席を外した。依頼人の手は震えていて、私はそっとティッシュを渡すだけしかできませんでした。自分が情けないなと思いながらも、同じように涙がにじんできて、「一緒に泣いてすみませんね」と言葉を返しました。

その依頼人との出会いから経緯まで

最初は事務的なやりとりだった

その方は、亡くなったご主人の相続登記の件で相談に来られました。書類もきちんと持ってきてくれて、話し方も理路整然としていました。正直、スムーズに終わりそうな案件だと思っていたんです。でも何か、「張りつめているな」と感じたのは初回面談の時でした。

積み重なる事情と、こちらににじむ違和感

何度か面談する中で、「子どもに迷惑かけたくない」と繰り返すようになってきました。自分一人で手続きを進めようと、がんばりすぎていたのでしょう。でも、細かい書類ミスや日程の変更が重なって、こちらも少しピリついていたと思います。「なんでこんなに無理してるんだろう?」という違和感が徐々に積もっていきました。

本人も気づかない“限界サイン”

最終的に泣いてしまった日も、まったく予兆がなかったように見えました。でも、振り返ると、あのときの言葉や態度は、限界のサインだったのかもしれません。見過ごした自分にも責任があります。もっと早く「大丈夫ですか」と声をかけていればと、後悔ばかりが残りました。

司法書士は感情を見せるべきではないのか

士業という仕事柄、感情を出すことは“未熟”とされがちです。でも、本当にそうでしょうか。今回の一件で、自分の中の固定観念が崩れた気がしています。依頼人の涙に、自分も泣くことで信頼が深まったなら、それは「感情」ではなく「共感」だったのではと思うようになりました。

冷静さと共感のバランスに悩む日々

感情を抑えることに慣れすぎていた自分

「泣くこと」はずっとタブーだと思ってきました。冷静に、ミスなく、効率よく。それが士業の価値だと信じていました。でも、心が動かない仕事に、どこか虚しさを感じていたのも本音です。そんな自分にとって、依頼人と一緒に涙を流したのは、ある意味では解放の瞬間でもありました。

でも“プロとして泣いた”って悪いこと?

あとで事務員に「先生、泣いてましたね」と笑われました。でも不思議と恥ずかしさはなく、「それでよかった」と思ったんです。依頼人にとって、無機質な専門家ではなく“味方”として感じてもらえたなら、それが一番の支援じゃないかと。泣いたことを悔いてはいません。

忙しさの中に見失っていたもの

日々の業務に追われていると、効率と結果ばかりに目が向きがちです。でも本当は、その過程で何を感じたか、どう寄り添ったかも大切だったはず。その気づきを与えてくれたのが、あの涙でした。時間に追われる日々に、あの日だけは少し立ち止まれた気がします。

業務量に追われると、人の痛みに鈍くなる

「こなす仕事」になっていなかったか

申請書を完成させて、提出して、完了通知を出す。それを繰り返していると、依頼人の顔や背景がどこか薄れていきます。でも、本来私たちの仕事は、人の人生の節目に立ち会う役割。それを忘れていた自分に、あの出来事は一石を投じてくれました。

一緒に泣いたことで取り戻した視点

涙が流れたあと、空気が変わりました。依頼人は「すみません、でもちょっと楽になりました」と笑ってくれました。その表情を見た瞬間、自分も救われた気がしました。事務的な対応では得られなかった“つながり”を、やっと感じられたのです。

ひとり事務所で働くということの孤独

小さな事務所で働いていると、相談できる相手も少ない。感情の処理もうまくいかず、溜め込んでしまうことが多々あります。だからこそ、依頼人との心のやりとりが自分自身のバランスを保つ一助になることもあるんだと気づきました。

相談できる相手がいないつらさ

事務員との温度差と感情の処理

事務員さんには感謝しています。でも、感情の深い部分までは共有しきれません。表面的な話でとどまることが多く、どうしても「ひとりで抱える」状態になりがちです。そうすると、感情の出口がなくなり、自分が壊れそうになることもあるんです。

「同業者には言えない」弱音の正体

同業者に話せば「甘い」とか「情に流されすぎ」と言われるかもしれない。それが怖くて、つい感情を隠してしまいます。でも、実際には皆、似たような悩みを抱えているのかもしれません。だからこそ、こうやって文字にして共有したいと思いました。

感情と向き合うことが、信頼を生む

感情を抑えることがプロフェッショナルとは限りません。むしろ、必要な場面では“感じていい”。その許しが、依頼人との信頼につながることもあります。今回の出来事は、私にとってそのことを実感させてくれる貴重な体験でした。

泣ける事務所であっていい

効率よりも“居場所”になった意味

依頼人にとって、ただの手続き窓口ではなく、安心して涙を流せる場所でありたい。そのためには効率やスピードよりも、「ここで話してよかった」と思ってもらえる空気を大切にしたい。時間はかかっても、それが自分の事務所の価値なのだと思っています。

それでもやっぱり仕事は回らない現実

そうはいっても、書類の締切は待ってくれないし、他の依頼人もいる。結局また夜遅くまで作業して、「なんで泣いてたんだっけ」と我に返る。理想と現実の間で揺れながら、それでも人との関わりに救われる。司法書士って、そういう仕事なんだと思います。

涙のあとに、依頼人が残していった言葉

「先生に頼んでよかったです」と、その方は最後に言いました。その一言が、どれだけ自分を支えてくれたか。泣いた日の記憶は、つらくもあり、あたたかくもあり。今も時々思い出しては、初心を取り戻しています。これからも、たぶん泣きながら仕事していくんだろうなと思っています。

「先生に頼んでよかった」の重さ

報われないようで、報われた気がした

士業は感謝されることが少ない仕事です。でも、たまにこうして言葉をもらえると、すべてが報われた気がします。あの日の涙は、自分にとって“誇れる仕事をした”と胸を張れる瞬間でした。だからこそ、また誰かの力になりたいと思えるのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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