「ちょっと聞きたいだけ」の破壊力
「ちょっとだけ聞きたいんですけど…」という言葉には、なぜか妙な威力があります。一見すると気軽な相談に見えて、こちらとしては仕事として対応しなければならない状況に追い込まれることもしばしば。しかも、「無料でいいですよね?」という空気が漂っている。断ったら感じ悪く思われるかも…というプレッシャーに、正直なところうんざりしています。日々の業務の中で、こうした“ちょっと”が積み重なると、心も体もじわじわと削られていくのです。
気軽な一言が、なぜこんなに重くのしかかるのか
たとえば、スーパーで「これ、レジ通さなくても持ってっていいでしょ?」と言われたら、誰でも驚きますよね。でもなぜか、士業になるとそれが通じてしまう雰囲気がある。「相談だからタダでしょ?」という感覚が世の中に広がっていて、それが私たちにのしかかってきます。無料相談を提供しているところが多いのも原因でしょうけど、それが当たり前になるのは、やっぱり苦しいです。
“相談だけ無料”が暗黙の了解になりつつある現実
広告やWebサイトでも「初回相談無料」と書かれていることが多く、それがスタンダードになりつつあるように感じます。集客としては意味がありますが、その“無料相談”の後が続かないこともしばしば。時間を使ってアドバイスしたのに、「じゃ、検討してみます」とだけ言って帰られてしまう。なんだか、利用されただけのような気持ちになります。
無料相談に感じる3つのプレッシャー
「無料相談」に応じるとき、私たちはいくつものプレッシャーに晒されています。それは単なる時間の問題ではなく、精神的な負担、人間関係のバランス、そして報酬との兼ね合い。正直なところ、笑顔で対応しながら内心では胃が痛くなっていることもあるのです。
断りづらい人情の壁
地元の人間関係というのは良くも悪くも「近い」です。「相談くらいは乗ってくれるよね?」という期待が前提になっていて、断ると「冷たい」「付き合いがない」なんて言われる。実際、昔ながらのご近所さんに「ちょっとこれどうしたらいい?」と聞かれて、「それは有料になります」とは言いづらいんです。人情を大事にしたい。でも、それで自分が潰れてしまったら本末転倒ですよね。
「優しそうですね」と言われることの罠
「優しそうな先生ですね」と言われることがあります。もちろん悪い気はしません。が、そこに甘えてくる人が一定数いるのも事実。優しそう=頼んでも断られない、と思われてしまうと、「ちょっとだけタダで聞きたい」が連発します。気づけば、一日中“優しさ”を消耗しているような気分になってくるのです。
時間を奪われても「仕事」としてカウントできない
無料相談の厄介な点は、30分でも1時間でも、こちらの“拘束時間”になるのに、収入としてはゼロということです。他の仕事が後ろに詰まっていても、相談の相手は関係なし。「ちょっとだけ」と言われたのに、終わってみれば1時間超え。「じゃ、検討してみますね」で終わると、なんとも虚しい気持ちになります。
踏み込んだ話になると、責任感が逆に重くなる
無料相談でも、相手が本気で困っていると、ついこちらも真剣になります。つい熱が入ってしまって、深く事情を聞き込み、解決策を考え始める。でもその瞬間、「これはもう責任が伴うな」と思ってしまうのです。無料でやっているのに、万が一その助言でトラブルが起きたらどうしよう…。責任の重さと無償労働、このギャップに疲れ果てることがあります。
なぜ無料相談を求められるのか
「相談だけなら無料」という感覚が、なぜここまで浸透しているのでしょうか。それにはいくつかの背景があるように思います。社会全体の“無料文化”の影響、そして士業に対するイメージのズレ。ここを整理しておかないと、今後も同じ苦しみが繰り返される気がしてなりません。
「相談=サービス」という誤解
世間一般には、「士業=相談に乗ってくれる人」という印象があるようです。だから、「まずは相談だけでも…」という感覚になる。でも、それは本来、専門知識と経験に基づいた“有料の労働”であるはずなんです。「先生に相談して安心しました」と言われても、それで仕事が終わったわけじゃない。むしろ、そこからがスタートなんですよ。
テレビやネットの“無料文化”の影響
テレビ番組で専門家が無料でアドバイスしているのを見て、「相談って無料なんだ」と思う人が増えているのかもしれません。ネットでも「〇〇の無料相談受付中」といったバナーがあふれています。そうなると、“無料で聞けるのが当たり前”になってしまって、こちらが「相談は有料です」と言うだけで、怪訝な顔をされる。それって、変な話だと思いませんか?
無料相談が招く職場へのひずみ
無料相談は私一人にとどまらず、事務所全体に影響を及ぼします。電話の対応やスケジュールのやりくり、フォローの準備…。無料なのに、意外とリソースを消費しているのです。
事務員に負担がしわ寄せされる
私の事務所では、事務員さんが1人だけ。だからこそ、無料相談が入ると、その対応が大きな負担になります。たとえば「今日○時に無料相談の人が来ます」となると、事務員も対応を準備しなければならない。でもそれって、本来の業務じゃないですよね。しかも、そこに感謝の言葉も謝礼もないと、「何のためにやってるんだろう」となってしまいます。
「ただで何かしてくれる場所」と思われる怖さ
無料相談を続けていると、「あそこは気軽に無料でなんでも教えてくれる」といった評判が広がることもあります。そうなると、それ目当てで人がやってくる。でもそれは“仕事”ではない。無料相談ばかりで日が暮れて、肝心の業務が回らなくなることも。なんだか、自分が無料情報提供マシーンになった気がしてきます。
どうすれば「無料の壁」を乗り越えられるのか
無料相談のジレンマからどう抜け出すか。これは、私自身ずっと考えてきたテーマです。理想と現実の間で揺れながら、少しずつ工夫してきたこと、そして見えてきた限界。それらを正直に書いてみます。
料金の明示は本当に効果があるのか
ホームページや名刺に「相談は有料です」と書いたこともあります。でも、それでも「初回は無料なんですよね?」と聞かれます。なかなか難しいんです。「有料です」とはっきり書くと、お堅い印象になる。でも書かないと無料相談が増える。いつも、そのはざまで揺れています。
“最初から有料”にすると依頼が減るというジレンマ
すべての相談を「初回から有料」にしたこともあります。たしかに無料の人は減りました。でも、それと同時に新規の依頼も減ったんです。「ちょっと聞いてみよう」がなくなると、仕事につながるチャンスも逃すことになる。このあたりのさじ加減が、本当に難しいです。
理想と現実のバランスをどうとるか
無料相談をゼロにするのは、理想ではあります。でも現実には、地域のつながりや信頼の構築も大事。結局のところ、“限定的な無料対応”や“時間制限”を設けるなど、線引きが必要なんですよね。最近は「15分まで無料、それ以降は有料」と明示することで、多少はバランスが取れるようになってきました。
「相談だけ」の裏にあるもの
そもそも「相談だけで済ませたい人」と「本当に困っている人」は、まったく別の層なのではないかと思うようになりました。誰のための相談なのか、本当に力になれるのは誰なのか。そこを見極める必要があるのかもしれません。
本気で悩んでる人ほど、実は相談しにくい
本当に困っている人ほど、相談するのに躊躇する傾向があります。費用がかかるかも、専門家に叱られるかも、という不安を抱えているんですね。そういう人にこそ、丁寧に向き合いたい。でも、無料で軽く聞いてくる人に時間を取られて、本当に困ってる人が後回しになってしまう。これは、避けたい構図です。
無料で済ませたい人ほど、時間も手間もかかる皮肉
不思議なことに、無料で相談してくる人ほど、話が長い。情報もまとまっておらず、最初から説明が必要。でも有料になると、皆さんびっくりするくらい準備してきてくれます。こういう経験があると、「やっぱり無料って、相手の本気度を下げてしまうんだな」と感じざるを得ません。
これから司法書士を目指す人に伝えたいこと
これを読んで、「司法書士って大変そうだな…」と思った方もいるかもしれません。でも、私はこの仕事が好きです。ただ、好きだからこそ、自分を守る工夫が必要なんです。これからこの業界に入る方には、ぜひその点を意識してほしいと思います。
「優しさ」と「サービス精神」を使い分けよう
優しいことは悪いことではありません。でも、サービス精神が行きすぎると、燃え尽きてしまいます。自分を守るルールを決めること。「ここまでは無料」「ここからは有料」と線を引くこと。それは冷たいのではなく、誠実さの一つの形です。
報酬を取ることは、誇りと責任の表れ
報酬をいただくというのは、責任を持って仕事に取り組むための仕組みです。タダでやることが「親切」だとは限りません。むしろ、しっかりと報酬を受け取ることで、より質の高いサービスが提供できる。司法書士としての誇りと責任は、そこにあると思います。