登記の立会で依頼人が突然泣き出した日――その理由に言葉を失った

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登記の立会で依頼人が突然泣き出した日――その理由に言葉を失った

依頼人が泣き出した、あの日のこと

登記の立会なんて、正直言って事務的なものでしかないと思っていた。手続き通りに印鑑をもらって、本人確認をして、あとは淡々と説明して終わる。ところが、そんな「いつも通り」の日に、依頼人が突然泣き出した。最初は何が起きたのか分からなかった。こちらも戸惑ったし、事務員も気まずそうに目を逸らした。けれどその涙の理由を聞いて、私は心の中で深くうなだれるしかなかった。

登記の立会という“淡々とした業務”のはずだった

あの日の予定表には、「相続登記・立会」とだけ書いてあった。相続人は娘さん一人で、故人は母親とのこと。必要書類も事前にきちんとそろっていて、立会も問題なく終わるはずだった。だから、まさか泣き出すなんて展開、微塵も想像していなかった。私たちにとっては「一件処理」であっても、依頼人にとっては「母との最終の別れ」だったのだ。

妙な沈黙、そして突然の涙

手続きは順調に進んでいた。印鑑も押して、本人確認も終えて、あと数分で終わる、そんな時だった。依頼人がふと手を止めて、黙り込み、そして肩を震わせ始めた。最初は咳かと思ったが、それは嗚咽だった。事務員がそっとティッシュを差し出し、私は「大丈夫ですか」としか言えなかった。そうしか言えなかった自分が、今でも少し情けない。

事務的な説明の最中、依頼人の目が潤んでいた

思い返してみれば、説明をしているときから、どこか目が虚ろだった。何かを思い出しているような、でも聞いているふりをしているような、そんな感じだった。こちらは時間を気にして、淡々と話していたが、彼女の心の中では、まったく別のドラマが展開していたのだろう。

「こんなことになるとは…」とつぶやいた言葉

泣きながら、彼女は「母に、もっとちゃんとありがとうって言っておけばよかった」とつぶやいた。その一言に、私は何も返せなかった。司法書士としてじゃなく、人として、あまりにも重すぎる言葉だった。こちらの「手続き」は、彼女にとって「人生のけじめ」だったのだ。

私の頭の中で鳴った警報

その瞬間、頭の中で警報が鳴った。これはただの手続きじゃない。この人の人生に関わる“儀式”なのだと。そう思った瞬間、自分の態度や言葉、全部が軽く思えてきた。事務的に済ませることが正しいとは限らない。そう、ただ書類を処理しているだけじゃ、ダメなこともある。

これは普通じゃない、感情の爆発だった

時々、感情が溢れる依頼人はいる。でもあの涙は、ただの感傷ではなかった。後悔、喪失、謝罪、全部が混じった、人生の節目の涙だった。登記をするという行為が、それほど重たい意味を持っているとは、正直、改めて突きつけられた。

何を背負ってここまで来たのか

彼女は、一人で母親を看取ったそうだ。仕事を辞め、介護に専念し、夜中に何度も起こされ、でも「ありがとう」と言えた記憶がなかったと泣いた。登記の立会は、その母との決別の場であり、「これで本当に終わってしまう」という実感の瞬間でもあった。

こちらが想像していた“登記”とは別物だった

私は「登記=手続き」だと割り切っていた。でも依頼人にとっては違う。「登記=終わり」であり、「登記=再出発」でもある。そう思えば、こちらの言葉や振る舞いの重さにも、もう少し自覚を持つべきだったと痛感した。

登記という業務の裏にある“人生の節目”

登記の向こうには、必ず人がいる。しかも、その人は何かの区切りに立っている。だからこそ、単なる手続きではない。人生に触れる瞬間でもあるのだ。そう思って仕事をしている司法書士がどれだけいるのか、自問せざるを得なかった。

登記は“手続き”であって、“物語”でもある

売買登記なら、家を買った物語。相続登記なら、別れの物語。離婚に伴う登記なら、過去との決別の物語。登記の一つひとつに、それぞれの人生が詰まっている。そう考えると、「書類仕事」という一言では片付けられない。

相続、離婚、借金、再出発…すべてが書類に封じ込められている

たかが登記。でも、そこには「生きた証」が残っている。司法書士が関わる一枚一枚の書類には、誰かの苦悩や希望、あるいは終わりが込められている。そう思うと、ぞっとすることもある。自分は本当に、その重みに耐えられているのか?

だから司法書士は「感情を無視できない仕事」でもある

感情を切り離して仕事をするのは、ある意味で正しい。けれど、それだけでは不十分だとも思うようになった。依頼人の気持ちを想像できるかどうか。そこが、この仕事のやりがいでもあり、しんどさでもある。

この仕事、やっぱりしんどいよ

毎日が感情労働。しかもこっちは忙しい、締切に追われている。それでも目の前の人に寄り添うべきか、自分を守るべきか、いつも迷っている。だからしんどいし、時々「辞めたい」と思う。

誰かの人生の重みが、こちらにまで乗っかってくる

「気にしすぎだ」と言われたこともある。でも、気にしないとやってられないし、気にしなかったらただの事務屋になってしまう気がする。依頼人の涙が自分の胸にずしんと響く。そういう日が、月に一度はある。

でも、それを吐き出す場所もあまりない

愚痴をこぼす相手も限られているし、同業者には「甘い」と言われそうで話しにくい。だから私はこうやって、文章にしている。誰か一人でも、「分かる」と思ってくれたら、それだけで少し楽になる。

それでも、続けていく理由

こんなにしんどいのに、なんで続けているのか。正直、自分でもよくわからない。でも、誰かが「助かりました」と頭を下げてくれると、「もう少し頑張ってみようかな」と思ってしまうのだ。

「ありがとう」の一言に救われる瞬間がある

手続きが終わって、深々と頭を下げられたとき。泣きながら感謝されたとき。そんな瞬間があると、「今日もやってよかった」と思う。仕事の報酬って、金じゃなくて、言葉のこともある。

そして、自分もいつか誰かの涙を受け止められるように

あの日の自分は、何もできなかった。でも、次にまた誰かが泣き出したら、少しだけでも、ちゃんと向き合えるようになりたい。司法書士って、そういう仕事でもあると、今は思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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