朝イチのメールチェックで絶望が始まる
朝、事務所のドアを開けるのが憂うつになる日がある。そんな日は大体、メールを開いた瞬間に「やっぱり」となる。「至急対応希望」「今日中に処理してもらえませんか」…差出人は違えど、文面は似たようなもので、すでに受けている依頼の山に、さらに薪がくべられるような感覚になる。出勤して1分で頭痛が始まるのは司法書士あるあるかもしれない。
登記依頼は減らない、むしろ増える
年々、地方でも登記依頼の数は増えている。高齢化の影響もあるし、相続や売買の動きも読みにくい。特に年度末や税制変更のタイミングは恐ろしいほど重なる。こちらのキャパなどお構いなしで、あらゆるところから依頼が飛び込んでくる。数をこなしてもこなしても、翌日には元通り。まるで無限ループのようだ。
「至急お願いします」が常に2件以上ある現実
「至急」って、誰にとっての至急なのか。毎日、優先順位を入れ替えてばかりで、結局どれも中途半端になる。依頼者に悪気はないことは分かっているけれど、「なるべく早めに」という一言に、どれだけ自分の心がすり減っているか、伝えたい気持ちになる。しかも2件どころか3件、4件と「至急」が積み上がると、1件目の“至急”がもう“普通”に思えてくるから不思議だ。
予定が予定で終わる日々
「今日は〇〇の申請を終わらせて、午後には○○の打ち合わせを…」とスケジュール帳に書いたとしても、その通りに進んだためしがない。電話一本で流れがすべて崩れる。相続登記の相談に来たと思ったら、その場で「ついでに名義変更も」と追加され、午前中の予定がすべて吹き飛んだこともある。
タスク管理アプリも匙を投げる
タスク管理アプリを導入してみたこともある。通知が来るたびに「やってない」とプレッシャーになるばかりで、逆にストレスになった。結局、付箋と手帳に戻った。現場は常に変数だらけで、予定通りにいくという前提がそもそも合っていないのだ。
昼休憩?そんなものは都市伝説
弁当を広げた瞬間に電話が鳴る。ようやく一口食べたところで来客がある。昼休憩は存在するが、実行されることは稀だ。たまに一人でラーメン屋に入った時に、「あ、俺って今人間だったんだな」と思うくらい、機械のように働いている。
事務員一人、限界二人分
ありがたいことに、うちの事務員は本当に優秀だ。彼女がいなければ、この事務所は1週間も持たない。でも、だからこそ無理をさせたくない。結局のところ、責任のかかる業務はこちらに回ってくる。それが当然だと思っていても、疲れる日は疲れる。
ありがたい存在、でも任せきれない
登記申請はミスが許されない。形式のミス一つで補正がかかり、全体のスケジュールが狂う。だから「ここは任せたいけど、最後は自分が見るしかない」という部分が多すぎる。信頼してないのではなく、制度がそれを許してくれないのだ。
電話応対で一日が終わる日もある
「はい、○○司法書士事務所です」これを何十回言ったか分からない。電話対応がある日は、PCに触れる時間が極端に減る。事務員と手分けしても対応しきれない日もある。しかも話が長い依頼者に当たると、それだけで30分以上消える。
「簡単な登記なので」と言われた瞬間に構える
「簡単な登記ですから、すぐ終わると思いますよ」と言われると、背筋がピンと伸びる。そう言われた依頼の8割は、何かしら問題を抱えている。逆に「複雑で…」と不安そうな方がスムーズに終わる。これは経験上の統計だ。
その言葉、地雷のサインです
例えば「名義変更だけです」と言われた案件で、実は未登記建物があったり、筆界未定地が含まれていたり。「簡単です」という一言が、どれだけの時間を吸い取っていったか。依頼者の言葉をそのまま信じることは、もはや禁忌に近い。
オンライン申請が楽?それ言ったの誰?
「今はネットで全部できますよね?」と、たまに言われる。たしかにオンライン申請は便利な部分もある。でもそれは“スムーズにいけば”の話。添付書類の電子化、法務局の不備対応、本人確認の段取り…むしろ業務は複雑化している。
司法書士が感じる孤独とプレッシャー
どれだけ頑張っても、誰かに褒められる仕事ではない。むしろ「何かミスしてませんか?」という視線の中で常に気を張っている。自分で自分を監督しないと、どこまでも崩れてしまう。孤独と責任が背中にずっしりのしかかる。
「間違いのないように」が重たすぎる
「信頼してます」と言われるのは嬉しい。でもそれは、「あなたは絶対にミスしない前提でお願いしてます」という意味でもある。その重みを感じるたびに、肩が上がってしまう。気楽にやれる仕事ではない。
依頼者の笑顔がプレッシャーに見えることもある
「先生にお願いしてよかった」と笑顔で言われると、ホッとする反面、「次も絶対に間違えられないな」と緊張が増す。感謝の言葉がプレッシャーになるという矛盾に、心のやり場がない。
なぜこんなに登記に追われるのか
根本的な理由は、制度と現場の乖離にある気がしている。法改正があっても、その運用は各法務局で微妙に違う。しかもそれが明文化されていない。だから経験と勘で動かざるを得ない場面が多すぎる。
行政のルール変更に振り回される
例えば最近の相続登記義務化。施行前後で扱いが変わる部分が多く、現場は混乱の連続だ。「制度上こうなってます」と言っても、「前は違った」と言われる。こっちは説明するだけで消耗する。
「少しでも早く」が全方位から飛んでくる
不動産屋さん、依頼者、金融機関、それぞれの都合があるのは分かっている。でも全員が「早めに」と言ってくると、どこを優先するのか分からなくなる。結果として全方位に謝る日々が続く。
効率化?もうとっくにやってます
書類のテンプレート化、クラウド管理、電子申請の導入…考えられることは全てやってきた。それでも業務量は減らない。むしろ「早くできるでしょ」と要求が上がる。効率化はゴールではなく、通過点に過ぎなかった。
それでも追いつかない“波”のような依頼
登記依頼は“波”のようにやってくる。静かな日が続いたかと思えば、突然5件、6件と立て続けに来る。予測不能だから、心構えもできない。疲れのピークは、予告なく訪れる。
自動化の限界とアナログの必要性
書類の不備は、最後は目視でチェックするしかない。いくらデジタル化が進んでも、人の目と手で確かめる工程は消えない。ミスを減らすには、人が時間をかけるしかない。そこに限界がある。
自分の時間がゼロになる瞬間
「自由業でいいですね」と言われることがある。自由どころか、時間の奴隷である。子どもの授業参観を見に行けたのは、もう何年前だったか。週末も資料整理に追われ、気づけば一日が終わっている。
家族の顔を見るのは寝る前5分
子どもの成長を、写真やLINEで知るようになった。直接関わる時間はほとんどない。これは選んだ仕事だから仕方ない。でも、どこかで罪悪感が残っている。
趣味?そんなものは過去の話
昔はカメラが趣味だった。でも、今ではレンズのホコリを払う時間すら惜しい。趣味に没頭する余裕がある司法書士がいたら、ぜひ話を聞いてみたい。
それでも続けてしまう理由
矛盾しているけれど、やめたいと思いながらも、仕事が終わると「今日も無事に終わった」とホッとする自分がいる。依頼者の感謝の言葉に、報われる瞬間が確かにある。
依頼者の「助かった」のひと言
あるご高齢の依頼者が、涙ぐみながら「これで安心して眠れます」と言ってくれた。その一言で、3日間寝不足だったことが吹き飛んだ。そんな瞬間が、心のどこかでこの仕事を肯定してくれる。
責任と信頼の重さがやりがいになる皮肉
信頼されるから、辞められない。責任があるから、逃げられない。重いのに、心のどこかで誇りに感じている自分がいる。それが司法書士という職業なのかもしれない。
これから司法書士を目指す人へ
正直、楽ではない。むしろ地味で、孤独で、報われにくい仕事だ。でも、その分「人の役に立っている」実感は確かにある。向いているかどうかは、続ける中でしか分からないと思う。
華やかではない。でも必要とされる
士業というと、どこか専門的で格好よく見えるかもしれない。でも実際は裏方で泥臭い。誰かがやらなきゃいけない仕事。だからこそ必要とされる。それが誇りになる。
「向いている人」の本当の条件とは
几帳面で真面目なことは大事。でも何よりも「粘り強さ」と「孤独に耐える力」が問われる職業だと思う。自分を追い込みすぎず、でも責任を背負い続けられる。そんな人が、司法書士に向いているのかもしれない。