登記簿が読めない…新人司法書士の冷や汗デビュー戦

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登記簿が読めない…新人司法書士の冷や汗デビュー戦

司法書士としての初日——誰にも言えなかった冷や汗の理由

司法書士としての初日。いよいよ現場に立つ日が来た。前日までは不安と緊張で眠れなかったが、どこかワクワクしていた部分も正直あった。ところが、現実は甘くなかった。初っ端から手渡されたのは登記簿謄本。お客様からの質問に即答する必要があったが、正直なところ、どこをどう読んでいいのかまるでわからなかった。冷や汗が止まらない。たった一枚の紙に、自信を根こそぎ持っていかれた。

登記簿の見方がわからない。それが現実だった

大学の法学部でも、司法書士試験の勉強でも、登記簿の理屈や法律的な構造はある程度学んできたはずだった。しかし、いざ実物の登記簿を目の前にすると、文字が読めるのに意味がわからない。いや、文字すら読み取りにくい書式で、フォーマットも一定ではない。手が震えるのを隠すのに必死だった。

学校では教えてくれなかった「実務」の壁

実務というのは、教科書には載っていない。学校で教わるのは「登記とは何か」「不動産登記法の条文」といった知識。でも、実際の書類はまるで別物だった。どこをどう見て、何を確認して、どんな用語が現場で使われているのか、それを実際に経験しないとわからない。まさか「地番」と「住居表示」の違いすら、混乱するとは思ってもいなかった。

どこを読めばいい?どこから手をつけていいかわからない恐怖

最も怖かったのは、「わからない」ということを自分でもうまく認識できていなかったことだ。どの情報が必要で、どの部分を答えればいいのか、その「判断」ができない。情報の羅列の中で迷子になっているようだった。例えるなら、英語が苦手な人が、急に英語でプレゼンを求められるようなもの。逃げ出したくても逃げられない。

あのとき、誰かに聞けていれば…でも聞けなかった

隣には経験豊富な先輩がいた。でも、聞けなかった。「今さらこんなこと聞くの?」という空気を勝手に感じてしまった。完全に自意識過剰だったと思うが、当時の私はプライドと焦りでがんじがらめだった。聞くこと自体が恥ずかしく思えてしまったのだ。

「そんなことも知らないの?」という空気が怖かった

先輩たちはみな忙しそうだったし、「登記簿の見方がわからない」なんて言ったら呆れられるんじゃないか…そんな考えが頭をぐるぐる回った。誰かに「わからない」と言うことが、まるで自分の無能さを晒すように思えてしまっていた。でも今ならわかる。あのとき勇気を出して聞いていれば、もっと早く前に進めていたかもしれない。

プライドと不安がせめぎあった初日

「司法書士になった以上、もう甘えは許されない」——そんな勝手な思い込みが、私の行動を縛っていた。今なら、あの時の自分に「もっと肩の力抜けよ」と言いたい。でも当時は、とにかく「できるフリをすること」が最優先だった。自分がミスをしたら、お客様の信頼も、事務所の評価も下がる。そんなプレッシャーに押し潰されそうだった。

なぜ登記簿はこんなにも読みにくいのか

読めば読むほど、登記簿の不親切さが浮き彫りになる。形式は決まっているはずなのに、書かれている内容やレイアウトが事案によって全く異なることもある。さらに、昔の登記簿になると手書きやカタカナ混じりで、もうほとんど暗号文。誰のための書類なのか、本当に疑いたくなる。

法律の文言と古い言い回しの壁

「所有権移転」「根抵当権」「仮登記」…そんな言葉たちが、当然のように登記簿には並んでいる。試験勉強では理解していたつもりでも、実際の現場で見ると意味がすぐに結びつかない。そして、昔の書式では使われる言葉も古めかしく、現代語訳したくなるようなものばかり。まるで明治時代の文献を読んでいる気分になる。

「地目」って?「所有権移転」の意味を咀嚼できずに立ち止まる

例えば「地目:宅地」という表記。意味は知ってる。けど、それが今この案件で何を意味するのか、自分に何を求められているのか、頭の中で整理できない。「所有権移転登記が完了しているか」も、どう確認するのか迷ってしまう。用語の理解と実務の判断は別物なのだと痛感した瞬間だった。

記載形式がバラバラ——案件によって全然違う現実

一件目でつまずいた登記簿と、二件目に見た登記簿がまったく違う様式だったとき、正直絶望した。「覚えればなんとかなる」なんて考えが一気に吹き飛んだ。案件ごとに書き方が異なり、同じ言葉でも登記の背景が違えば意味も読み取り方も違う。要するに、テンプレでは対応できない。毎回「考える力」が求められる、それが登記実務だった。

どう乗り越えたか——読み方を身につけるまでの紆余曲折

あの冷や汗の日から、私は登記簿と毎日格闘するようになった。簡単な案件でも、必ず自分で原本を読み込んでから人に確認を取るようにした。間違えるのが怖かったし、何より少しでも「読めるようになりたい」と必死だった。試験勉強では味わえない、泥臭い努力の始まりだった。

先輩に聞けなかったので、自分なりの勉強法を模索

結局、自分でどうにかするしかなかった。最初のうちは、毎晩帰宅後に登記簿をスキャンしてPDF化し、印刷して赤ペンで読み解いていた。自分なりの「翻訳ノート」を作るような感覚だった。独学は非効率かもしれないが、当時の自分にはそれしか方法がなかった。

実際の登記簿をコピーして、ひたすら読み込む日々

ある意味、趣味のようになっていたかもしれない。事務所で使った登記簿(もちろん守秘義務に配慮して)を匿名化して、自分用にコピーして何度も読んだ。意味がわからない箇所に付箋を貼っておいて、後から確認したり、解説をネットで探したりして、少しずつ理解を深めていった。

「わからない言葉」は全部ググる。Google先生との共同作業

ネット検索は本当に助かった。昔の司法書士にはなかったツールだと思う。Googleに登記用語を投げて、法務省のサイトや先輩司法書士のブログを読み漁った。情報が玉石混交ではあるが、それでも何もしないよりはずっとマシだった。徐々にだが、「読める感覚」が身についていった。

やっと読めるようになったとき、ようやく司法書士になれた気がした

初めて「自信を持って登記簿を説明できた」と思えたのは、それから数ヶ月後だった。お客様に「わかりやすいですね」と言われたとき、思わず泣きそうになった。それまでの苦労が全部報われた気がした。資格を取っただけじゃ司法書士じゃない。「実務を通じて人を安心させられて初めて司法書士だ」と思えた瞬間だった。

これから司法書士になる方へ——「わからないこと」は恥じゃない

今になって思う。わからないことは、恥じゃない。むしろ、「わからないことを放置する方が恥」だ。実務は生きた知識の連続で、失敗も含めて成長していくもの。私のように「冷や汗」をかく人が、一人でも救われてほしいと思って、今回このコラムを書いた。

今でも正直、全部わかるわけじゃない

本音を言えば、今でも「これ、なんだっけ?」と登記簿を前にして悩むことはある。でもそれでいいのだと思う。大事なのは、自分で確認し、調べ、考える姿勢を持ち続けること。完璧を求めすぎて動けなくなるくらいなら、不完全でも前に進んだ方がいい。

経験年数=すべての知識ではない

年数を重ねても、すべてを知っているわけではない。それは当たり前だ。登記の世界は奥が深く、案件の幅も広い。一度経験したことがまた出てくるとは限らないし、新しい知識も常にアップデートされていく。「知らないこと」を恥じず、常に学び直す姿勢こそがプロとして必要なことだと実感している。

「何年やってても難しい」は本音です

「こんなの慣れれば簡単だよ」と言う人もいるが、私はあえて言いたい。「何年やってても難しいことはある」と。だからこそ、この仕事はやりがいがあるし、続けられる。難しいからこそ、自分が必要とされる。そう思えたとき、司法書士という仕事に誇りを持てた。

質問できる環境・人間関係を持つことの大切さ

最後にひとつだけ、これから司法書士になる方へ。質問できる環境、遠慮なく聞ける人間関係を持つことが、何よりも大切です。私はそれがなかったから、余計に遠回りしました。聞ける相手がいるなら、どんなに忙しくても頼ってください。司法書士は、ひとりで完結できる仕事ではありません。

おわりに:あの冷や汗を忘れないために

登記簿を前に冷や汗をかいたあの日。あの瞬間を忘れない限り、私はこの仕事に真摯でいられると思う。新人の頃の焦りや不安を思い出すことで、今後出会う若い司法書士や相談者にも、やさしく接することができる。冷や汗は恥ではない。それは、必死に向き合った証だと思いたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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