相談中に資料が画用紙に変わった日──依頼人の子どもにやられた話
司法書士をやっていると、いろいろな相談者が来る。中には小さなお子さんを連れて来られる方もいて、もちろんこちらとしては歓迎したい気持ちもある。ただ──その日だけは、ちょっと違った。いつものように相続登記の説明をしていたその最中、私の目の前で、大切な書類に赤いクレヨンが走った。あっという間だった。本当に一瞬の出来事で、言葉を失った。笑って済ませたけれど、心の中では「どうするよ、これ…」と叫んでいた。
予想外の出来事が仕事を直撃する瞬間
何度も経験しているつもりだった。書類の準備も万端、説明用の資料も用意し、予定された時間通りに相談が始まった。子どもが一緒に来ると聞いていたので、塗り絵とクレヨンのセットも用意していた。しかし、まさかそのクレヨンが、登記事項証明書に舞い降りるとは思わなかった。書類一式を机の上に広げた状態で説明していた私にも隙があったのだろう。だが、まさか本当にやられるとは──まさに油断大敵。
打ち合わせに突然現れる“小さな画伯”
その子は3歳くらいだったと思う。最初はおとなしく塗り絵をしていたが、飽きてしまったのか、ふと手を伸ばしてきた。何かに引き寄せられるように、彼の手は資料の束に到達し、ためらいなく「作品」を完成させていった。ぐるぐると巻かれる赤と青の線。ある意味、表現力は豊かだった。ただ、そこに描かれていたのは固定資産の評価証明書だった。思わず「うわっ…」と声が漏れた。
こちらの動揺とは裏腹に、親は気づかない
さらに辛かったのは、親御さんがそのことに気づいていなかったことだ。「あら〜、もうお絵かき好きなんだから」と笑って終わった。私の心の中はまったく笑っていなかった。「え?ちょっと…それ、明日法務局に提出する予定の…」とは口に出せなかった。事務所の空気を壊したくなかったし、依頼人を責めたくもなかった。でも、心のダメージはしっかり蓄積された。
子どもが悪いわけではない…でも仕事は進まない
子どもはただ自由にふるまっているだけで、悪気なんてこれっぽっちもない。それに対して、こちらも大人として対応する。でも、手続きの説明や契約内容の確認という、繊細な場面で子どもが走り回ったり資料を触ったりすると、どうしても集中が途切れる。結果、説明にかける時間が2倍、3倍に膨れ上がってしまう。業務として考えると、やはり非効率は否めない。
資料を守るか、空気を守るか
本当に難しいのは、この二択に迫られる瞬間だ。子どもが資料に手を伸ばした時、それを止めるべきか、そのまま笑って受け流すべきか。どちらも正解ではないし、どちらも間違いではない。ただ、どちらを選んでも、自分の中にモヤモヤが残る。「次からは別の資料をコピーして使おう」と思っても、毎回完璧な準備ができるわけではない。だからこそ、悩みは尽きない。
“キレない大人”でいることの消耗
どんなに疲れていても、どんなに困っていても、表面上は笑顔で対応する。それが司法書士としての“姿勢”だと思ってきた。でも、正直な話、内心では泣きたくなるようなことも多い。今回のように、大切な資料にクレヨンで絵を描かれたとき、その場では「大丈夫ですよ〜」と笑った。でもそのあと、書類を再取得する手間と費用を考えて、しばらくデスクに突っ伏した。
待合スペースでは済まない現場のリアル
相談室とは別に小さなキッズスペースを作った時期もあった。でも、子どもが親と離れることを嫌がるケースも多く、結局は相談テーブルの横に一緒に座ることになる。そこまではいい。ただ、目の前でお菓子をこぼされたり、ボールペンで机に落書きされたりすると、「やっぱり難しいな…」という現実に引き戻される。
おもちゃを置けばいいってもんじゃない
子どもが退屈しないようにと、絵本やぬいぐるみ、お絵かきセットも用意した。でも、そこから目を離したほんの数秒で、重要書類の上にその道具がやってくるのだ。こちらが話している間、完全に目が届くわけではない。だから、どれだけ工夫しても「事故」は防ぎきれない。その無力感が、地味につらい。
重要書類にクレヨンの軌跡──復旧不可能
先日、登記原因証明情報にしっかりと「にじ」の絵が描かれていた。なぜかグラデーションまでついていて、子どもなりの力作だったのだろう。だが、それは法務局に提出できるものではない。再度作成し、署名押印を取り直し、日付を修正して、すべてをやり直した。依頼者には説明しづらく、「こちらで対応しておきます」とだけ伝えたが、内心はため息が止まらなかった。
怒れない。でも正直ショックはデカい
その書類を作るのにどれだけ時間がかかったか。確認、照合、製本、押印の準備…一通一通が積み重ねの結果なのだ。それを一瞬で上書きされると、さすがにしんどい。「怒ってはいけない」と自分に言い聞かせても、心はなかなか追いつかない。それでも表情には出せない。このストレスの処理方法、いまだに分からない。
費用と再取得の手間は誰が負担するのか
書類を再取得するには、手数料もかかるし時間も取られる。しかも、その費用を依頼者に請求するわけにもいかない。結局、こちらが泣き寝入りするしかない。こういう“見えないコスト”が、積もり積もっていくのだ。
「大丈夫ですよ」と笑って済ませる限界
一度ならまだしも、これが繰り返されると限界が来る。「大丈夫です」と言うたびに、自分にウソをついているような気がしてくる。そしてある日、ふとした瞬間にそれが爆発する。そうなる前に、何か対策をしなければと、毎回思うのだ。
本音は言えず、モヤモヤだけが残る
「すみません」と一言でもあれば、こちらも少しは救われる。でも、「子どものすることですから」とだけ言われると、こちらの感情のやり場がなくなる。何も言えず、ただ笑って受け流す。そうして溜まったモヤモヤが、じわじわと精神を削っていく。
せめて事務員と笑い飛ばせる日まで
クレヨンまみれの証明書を見て、しばらく落ち込んだ日の夕方。事務員さんにその話をしたら、「画伯の作品ですね」と笑ってくれた。それだけで少し救われた。今日もまた、画用紙にならないよう、資料をそっと抱えて相談室に向かう。