笑顔の裏で、心はヘトヘト──“ちゃんとしてる風”の限界
「笑顔で対応」が求められる職業
司法書士という職業柄、相談に来る方の多くは不安やストレスを抱えています。そんな中、こちらが仏頂面をしていては、余計に相手を不安にさせてしまう。だからといって、自分の感情がどうであれ、常に柔らかく、丁寧に、笑顔で対応する。気づけば、それが「当然」のふるまいになっていました。しかし、その“当然”が、静かに心を削っていくこともあるんです。
無表情はNG?司法書士にかかる“感じの良さ”プレッシャー
「感じのいい先生」と思ってもらいたい。そう思って、柔らかい受け答えを意識してきました。でも、内心では「今日はあまり話したくないな」と感じることもある。体調が悪くても、嫌なことがあっても、それを顔に出すわけにはいかない。だからこそ、“無表情”が許されない環境というのは、思っているよりもプレッシャーが大きいんです。
お客さんの前ではニコニコ、それが“当たり前”の空気
窓口での対応も、電話口も、笑顔と丁寧語がデフォルト。ちょっとでも不機嫌そうに聞こえたら、悪い噂に繋がるのではないかと不安になる。実際、「電話の感じが悪かった」と言われた知り合いの事務所が、口コミで評判を落としたこともあります。それを見て以来、どんなに疲れていても「にっこり」が身に染みついてしまいました。
内心ぐったりの正体とは
外から見れば穏やかに話を聞いて、的確なアドバイスをしているように見えるかもしれません。でも、頭の中は常にフル回転。複数案件を同時進行しながら、目の前のお客様の話を聞いて、過去の案件の進捗も気にして…気づけば、脳のメモリが常に限界を超えている状態。そんな中での“笑顔対応”は、本当に骨が折れます。
心のHPが毎日削られていく感覚
朝の時点でHPが80%だとしても、午前中の電話対応と来客対応で既に残り30%。昼休憩を取る余裕もなく、そのまま午後へ突入。気づけば、夕方には心が空っぽのような感覚になります。ゲームだったら、とっくに「MPが足りません」と出てるような状態なのに、仕事は待ってくれません。
笑顔の裏で同時進行する事務処理とトラブル
お客様と面談している間にも、事務員さんから「この書類、どうしますか?」と声がかかる。郵便物はどっさり届いて、締切の書類がまぎれていたり。予定していた作業時間は、どんどん削られていく。笑って対応しながら、心の中では「今それ聞く?」と叫んでいる自分がいます。
「あとでやる」が積み重なる恐怖
「あとでやります」と言って保留にした書類が、机の隅にどんどん積み上がっていく。そして週末、静かな事務所でその山を前にして途方に暮れる。自分で自分を追い詰めている感覚に襲われます。最悪なのは、その山にうっかり大事な案件が埋もれていたときです。
突然の電話、急な来客、そして予定崩壊
今日は〇〇の申請を一気に進めよう、そう決めていた日ほど、電話が鳴る。来客がある。予想外の内容の相談が舞い込む。対応が終わった頃には、午前の計画は全滅。リスケする時間すら取れず、結局、帰宅時間が遅くなるだけ。予定通りに進む日の方が少ないのが、この仕事の現実です。
“ちゃんとしてる風”の落とし穴
見た目だけ「ちゃんとしてる」ことに、意味があると感じていた時期もあります。でも、内実がボロボロでも外面だけ保っていると、誰にも心配されない。逆に、「あの人は大丈夫そう」と思われてしまうことすらあります。そして気づけば、どこにも助けを求められない状態に。
周囲からは「しっかり者」に見られてしまうジレンマ
昔から「頼りがいがあるね」と言われてきました。でも、それが逆にプレッシャーになることも。無理して頑張っているのに、もっと頼られて、もっと期待されてしまう。「自分が休んだら困る人がいる」と思うと、体調が悪くても、気持ちが沈んでいても、出勤してしまう。悪循環です。
弱音を吐けない、相談できない構造
「忙しいよね、大変だよね」と共感してくれる人がいても、「じゃあ、仕事分けようか」とはなかなかならない。司法書士という職業柄、責任のある業務は自分が背負うしかない。結局、自分で抱えるしかなくなって、「まあ、みんなこんなもんだよね」と無理に納得してしまう。
自分の気持ちを誤魔化して働く毎日
「疲れているな」と感じても、手を止めるともっと大変なことになる気がして、止まれない。体のサインや心の声を無視して働いているうちに、「何がしんどいのか」すらわからなくなってくる。そんな日々が続くと、感情すら鈍ってくる感覚があります。
「まあ、これくらい普通だよね」が危ない
周りも同じように忙しそうだと、「自分だけが弱音を吐くのは甘えかな」と感じてしまう。でも、それって本当に正しいのか。無理を続けると、ある日、突然限界が来ます。僕も一度、朝起きて「もう動けない」と思った日がありました。その日は事務所を開けることすらできませんでした。
感情が死んでいくプロセスを自覚しているけど止められない
「楽しい」「嬉しい」と感じる感覚が薄れてきて、「また今日もこなすだけか…」という気持ちになることが増えてきた。そんな自分に気づいて、「このままじゃまずい」と思っても、変える手立てが見つからない。仕事が終わらない限り、止まれない。そんなジレンマに陥っていました。
本当は誰かに頼りたいけれど
事務員さんに「ちょっとお願い」と言いたい。でも、忙しそうにしている姿を見ると、なかなか頼めない。しかも、結局細かい判断は自分でやるしかない。だったら自分でやった方が早い…そんな流れができてしまって、ますます一人で抱えるようになってしまう。
事務員さんに負担をかけられない葛藤
ありがたいことに、うちの事務員さんはとても気が利いてよく動いてくれる。でも、「これ以上お願いしたら悪いな」と思ってしまう。お互い気を遣いすぎて、仕事の分担がうまくいかないことも。そういうとき、自分のキャパの狭さを痛感します。
「一人事務所」の孤独が押し寄せる瞬間
トラブルが起きたとき、最終的に責任を取るのは自分。相談できる上司もいない、同僚もいない。そういう環境では、孤独との戦いがつきものです。孤独に強いタイプだと思っていたけど、年を重ねるにつれて、その重さが増してきた気がします。
限界を迎える前にできること
ある日ふと、「こんな働き方、このままずっと続けられるのか?」と自問しました。そして、少しずつ働き方を見直すようになりました。完璧じゃなくてもいい、笑顔じゃなくても誠実ならいい、そう思えるようになるまでには、時間がかかりました。
まずは「しんどい」と言葉にしてみる
気づいたのは、「自分がしんどい」と誰かに伝えるだけでも、少し楽になるということ。事務員さんや、たまに会う同業者に「最近ちょっと疲れててさ」とポロっと言っただけで、気持ちが軽くなりました。言葉にすることって、本当に大事です。
完璧を手放すという選択肢
「すべてをきちんとこなさなければ」という思い込みをやめることで、少し気持ちに余裕ができました。多少のミスや遅れがあっても、誠実に向き合えば信用は失われない。そう思えるようになったのは、恥をかいたり、落ち込んだりした経験のおかげかもしれません。
“ちゃんとしてる風”を崩しても案外大丈夫だった話
ある日、お客様に「今日はちょっと疲れ気味で…」と正直に話したところ、「先生も人間ですよね」と笑ってもらえました。その一言がすごく救いになった。「ちゃんとしてる自分」を演じなくても、信頼は築けるんだと実感した瞬間でした。
まとめ:ちゃんとしてなくても、司法書士はやっていける
笑顔の裏でぐったりしている自分を、否定しなくていいと思えるようになったのは最近のことです。仕事の質を保ちつつ、無理をせず、等身大でいられること。そのバランスを探る毎日ですが、「ちゃんとしてない自分」も、仕事を支えてくれていると感じています。
“ちゃんとしてる自分”を演じることをやめたら
演じることをやめたら、むしろお客様との距離が近くなった気がします。「先生も大変ですね」と言われることが増えて、むしろ共感の輪が広がった。人間らしくあっていい。そう思えるようになった今の方が、心はずっと楽です。
笑顔じゃなくても信頼される関係を目指して
「いつもニコニコしている先生」でなくても、「この人に相談すれば大丈夫」と思ってもらえる存在になれれば、それで十分。笑顔の裏で無理をしていたあの頃より、今の方が、ずっと自然体で働けています。