終わらない確認作業…それ、本当に必要ですか?

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終わらない確認作業…それ、本当に必要ですか?

  1. 確認しても確認しても終わらない…そのループから抜け出せない日々
    1. ミスが許されないという恐怖
      1. 「万が一」が頭から離れない
      2. 過去のトラウマが今の確認回数を増やす
    2. 確認作業が仕事の大半を占めている現実
      1. 本来の業務より「確認」が多いという矛盾
      2. 事務員さんに任せきれない自分の弱さ
    3. やってもやっても「完璧」はない
      1. どこまでやれば「十分」なのか
      2. 「安心感」と「時間」のバランスの難しさ
  2. 確認作業に疲れ切ってしまう理由
    1. 信頼できない書類や情報の精度
      1. 役所の書類すら信用できない矛盾
      2. 「間違い探しゲーム」に付き合わされる日々
    2. 自分の確認だけでは済まないストレス
      1. 相手(依頼人・他士業)の確認不足が自分に跳ね返る
      2. 「自分が最後の砦」感のプレッシャー
  3. それでも確認をやめられない理由
    1. 責任の所在が重すぎる職業病
      1. 「念のため」がやめられない性格
      2. 自分を守るための過剰防衛
    2. ミス1つで信用を失う仕事の怖さ
      1. 一度の誤記が招いた大きなクレーム体験
      2. 「許されるミス」が存在しない世界
  4. 確認地獄との付き合い方を考える
    1. すべてを疑うのではなく、基準を定める
      1. 「ここまではOK」と自分に線を引く
    2. 自分の心を守る確認の仕組み化
      1. 再確認の「時間」を決めて、それ以上は見ない
      2. 事務員さんと役割を分けて明確化する
    3. 司法書士として「確認」にどう向き合うか
      1. 確認の精度より、確認の意味を考える
      2. 「疑って疑って、自分が疲弊しては意味がない」

確認しても確認しても終わらない…そのループから抜け出せない日々

司法書士として仕事をしていると、「確認」ほど心の平穏を左右する作業はないんじゃないかと思います。間違っていたらどうしよう、漏れがあったら信用を失う、そんな恐怖に駆られながら、何度も何度も書類を見直してしまう。頭では「そろそろ終わりにしよう」と思っていても、手が止まらない。これはもう、軽い呪いです。どこかで「これで完了」と割り切りたい。でも割り切れない。そんな確認地獄に、僕も何年も囚われています。

ミスが許されないという恐怖

「万が一」が頭から離れない

たとえば不動産の所有権移転登記。たった一つ番地を間違えただけで、全く別の物件になってしまう。依頼人から見れば「なんでそんなことも間違えるの?」と思われて当然。でも現場の実感としては、登記簿、固定資産評価証明書、委任状、すべて違う地番が書かれている、なんてことが日常茶飯事なんです。だから、確認作業に時間をかけるのは当然の防衛手段なのですが、その「当然」が日に日に重くなっていく感覚があります。

過去のトラウマが今の確認回数を増やす

一度、会社設立の定款でミスをしてしまったことがあります。PDFで送った書類の中に、役員の氏名の誤字。依頼人は笑って許してくれましたが、内心はどうだったのか。あれ以来、何度も名前を見直す癖がついてしまい、名前欄だけで5分は眺めてしまいます。確認って、やれば安心じゃなくて、「やっても不安」が残ることもあるんです。

確認作業が仕事の大半を占めている現実

本来の業務より「確認」が多いという矛盾

依頼を受けてから実際に登記完了するまでの間、資料を集める、書類を作る、連絡を取る、そして確認する。その確認の時間が、全工程の半分以上になっていると感じることもあります。本来ならもっと効率よく動けるはずなのに、自分で自分の足を引っ張っているような感覚。だからこそ、「本当に必要か?」と自問自答する毎日です。

事務員さんに任せきれない自分の弱さ

うちの事務員さんはよくやってくれています。でも、最後の確認だけはどうしても任せきれない。彼女を信用してないわけじゃない。ただ、もし何かあったときに責任を取るのは自分。だから「自分で見るしかない」と思ってしまう。結果、同じ書類を3人分くらいの目で見てるんです。疲れます。

やってもやっても「完璧」はない

どこまでやれば「十分」なのか

「完璧主義」なんてかっこいい言葉じゃ片付かない。やめどきが分からないんです。契約書の一字一句を目で追いながら、「いや、もう一度…」と戻る自分がいます。印鑑証明書と住民票の照合に30分もかける。誰も得しない。でも、自分の中では「これでいい」と言い切れない。なにせ、何かあったときに一番怒られるのは僕なんですから。

「安心感」と「時間」のバランスの難しさ

本当は、ほどよいところで切り上げて、次の仕事に進むべき。でも、「あの時、もう一回見ておけばよかった」と後悔するのが怖くて、切り上げられない。安心を得ようとすればするほど、時間が溶けていく。確認とは、安心を得る作業ではなく、不安をなだめる作業なのかもしれません。

確認作業に疲れ切ってしまう理由

「間違えたくない」気持ちが先行するあまり、確認がどんどん複雑化していく。しかも、それが一人で完結するものではなく、他人の不備や曖昧さに振り回されると、さらに疲労感が増していきます。確認作業が疲れるのは、「自分のため」じゃなく「他人のため」にもなっているからかもしれません。

信頼できない書類や情報の精度

役所の書類すら信用できない矛盾

住民票に誤記、評価証明書に別人の情報、登記簿に旧字体。どれも実際に経験したことです。役所から出た書類だからって、100%信用できないのがこの仕事のつらいところ。「これ、本当に本人?」と確認するたびに、疑いの気持ちが疲労を呼び込みます。

「間違い探しゲーム」に付き合わされる日々

依頼人から届いた資料、表現が違う、日付が食い違う、印鑑がズレている。これを一つひとつ洗っていくのは、まるで毎日間違い探しのゲームを強制されている気分。でも、これはゲームじゃない。間違えたら終わる真剣勝負です。

自分の確認だけでは済まないストレス

相手(依頼人・他士業)の確認不足が自分に跳ね返る

「これで合ってますよね?」って渡された書類が、全然合ってない。そういうこと、日常です。それをこっちで一から修正して、何度もやり取りして、それでも文句を言われると、心が折れそうになります。なんでこっちが全部背負わなきゃいけないのか。

「自分が最後の砦」感のプレッシャー

「最後に確認してくれるのは先生だけですから」と言われたとき、ありがたいけど正直つらかった。「全部任せられてる」という言葉の裏には、「ミスは許されない」という無言の圧。自分で自分を追い詰める瞬間でもあります。

それでも確認をやめられない理由

頭では「やりすぎだ」と分かっていても、やめられない。自分の性格もあるし、職業柄の責任感もある。そして何より、信用というのは一度失うと取り戻すのが難しいことを、身にしみて知っているから。確認は、信用の保険料のようなものなのかもしれません。

責任の所在が重すぎる職業病

「念のため」がやめられない性格

昔から心配性だったわけじゃないと思います。でも、この仕事を10年以上続けてきた中で、「最悪のケースを想定する」癖が完全に染みついてしまいました。だから「ここまで見れば大丈夫」と分かっていても、「いや、もう一回だけ」が止められない。

自分を守るための過剰防衛

確認作業って、依頼人のためにやってるようで、実は自分を守るためでもあるんです。もしクレームが来たとき、「自分はここまでやった」と言えるようにしておきたい。でも、その気持ちが度を超えると、今度は自分が潰れてしまう。難しいところです。

ミス1つで信用を失う仕事の怖さ

一度の誤記が招いた大きなクレーム体験

不動産の名義変更で、一文字違いの誤記をしてしまったことがあります。修正はできたけど、依頼人は「そっちがプロでしょ」と怒り心頭。結局、報酬の一部を返金して謝罪しました。それ以来、「一文字の重み」に怯えるようになりました。

「許されるミス」が存在しない世界

「人間だからミスもあるよ」と言ってくれる人もいます。でも、この仕事はそれじゃ済まない。ミスした瞬間に信頼を失い、紹介も減る。だから確認が過剰になってしまうんです。安心して間違えられる仕事じゃないんですよ。

確認地獄との付き合い方を考える

確認は大切。でも、確認に追われて心身を削っていては元も子もない。どうやったら「適切な確認」で終わらせられるのか、自分なりの工夫や限度を見つけることが大事です。完璧を求めるのではなく、「事故を起こさない範囲の最善」を探る感覚で。

すべてを疑うのではなく、基準を定める

「ここまではOK」と自分に線を引く

最近は「この項目まで確認したら終了」という自分ルールを作っています。全部を見ようとするとキリがない。信頼できる部分は信頼する勇気も必要なんだと、ようやく思えるようになってきました。

自分の心を守る確認の仕組み化

再確認の「時間」を決めて、それ以上は見ない

書類を印刷して、最終確認するのは「15分だけ」と決めました。それを超えると、むしろ集中力が落ちて見落としが出る。時間で区切るのは、精神衛生的にもいいように思います。

事務員さんと役割を分けて明確化する

「ここからここまでは事務員さん、それ以降は自分」という線引きをしてから、無駄な再確認が減りました。役割を明確にすることで、責任の所在もクリアになり、自分の負担も減らせます。

司法書士として「確認」にどう向き合うか

確認の精度より、確認の意味を考える

確認するのは、安心するため。でも安心のために確認しすぎて、不安が増していたら本末転倒。大事なのは、なぜ確認するのかを見失わないこと。自分を守るため、依頼人を守るため、その両方をバランスよくこなす必要があります。

「疑って疑って、自分が疲弊しては意味がない」

確認は必要。でも、それに疲れて心を病んでしまっては元も子もない。結局のところ、確認とは「信じること」と「疑うこと」の間にある揺れ動くラインを、どう引くかの問題。今日もまた、そのラインとにらめっこです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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