確認しても確認しても終わらない…そのループから抜け出せない日々
司法書士として仕事をしていると、「確認」ほど心の平穏を左右する作業はないんじゃないかと思います。間違っていたらどうしよう、漏れがあったら信用を失う、そんな恐怖に駆られながら、何度も何度も書類を見直してしまう。頭では「そろそろ終わりにしよう」と思っていても、手が止まらない。これはもう、軽い呪いです。どこかで「これで完了」と割り切りたい。でも割り切れない。そんな確認地獄に、僕も何年も囚われています。
ミスが許されないという恐怖
「万が一」が頭から離れない
たとえば不動産の所有権移転登記。たった一つ番地を間違えただけで、全く別の物件になってしまう。依頼人から見れば「なんでそんなことも間違えるの?」と思われて当然。でも現場の実感としては、登記簿、固定資産評価証明書、委任状、すべて違う地番が書かれている、なんてことが日常茶飯事なんです。だから、確認作業に時間をかけるのは当然の防衛手段なのですが、その「当然」が日に日に重くなっていく感覚があります。
過去のトラウマが今の確認回数を増やす
一度、会社設立の定款でミスをしてしまったことがあります。PDFで送った書類の中に、役員の氏名の誤字。依頼人は笑って許してくれましたが、内心はどうだったのか。あれ以来、何度も名前を見直す癖がついてしまい、名前欄だけで5分は眺めてしまいます。確認って、やれば安心じゃなくて、「やっても不安」が残ることもあるんです。
確認作業が仕事の大半を占めている現実
本来の業務より「確認」が多いという矛盾
依頼を受けてから実際に登記完了するまでの間、資料を集める、書類を作る、連絡を取る、そして確認する。その確認の時間が、全工程の半分以上になっていると感じることもあります。本来ならもっと効率よく動けるはずなのに、自分で自分の足を引っ張っているような感覚。だからこそ、「本当に必要か?」と自問自答する毎日です。
事務員さんに任せきれない自分の弱さ
うちの事務員さんはよくやってくれています。でも、最後の確認だけはどうしても任せきれない。彼女を信用してないわけじゃない。ただ、もし何かあったときに責任を取るのは自分。だから「自分で見るしかない」と思ってしまう。結果、同じ書類を3人分くらいの目で見てるんです。疲れます。
やってもやっても「完璧」はない
どこまでやれば「十分」なのか
「完璧主義」なんてかっこいい言葉じゃ片付かない。やめどきが分からないんです。契約書の一字一句を目で追いながら、「いや、もう一度…」と戻る自分がいます。印鑑証明書と住民票の照合に30分もかける。誰も得しない。でも、自分の中では「これでいい」と言い切れない。なにせ、何かあったときに一番怒られるのは僕なんですから。
「安心感」と「時間」のバランスの難しさ
本当は、ほどよいところで切り上げて、次の仕事に進むべき。でも、「あの時、もう一回見ておけばよかった」と後悔するのが怖くて、切り上げられない。安心を得ようとすればするほど、時間が溶けていく。確認とは、安心を得る作業ではなく、不安をなだめる作業なのかもしれません。
確認作業に疲れ切ってしまう理由
「間違えたくない」気持ちが先行するあまり、確認がどんどん複雑化していく。しかも、それが一人で完結するものではなく、他人の不備や曖昧さに振り回されると、さらに疲労感が増していきます。確認作業が疲れるのは、「自分のため」じゃなく「他人のため」にもなっているからかもしれません。
信頼できない書類や情報の精度
役所の書類すら信用できない矛盾
住民票に誤記、評価証明書に別人の情報、登記簿に旧字体。どれも実際に経験したことです。役所から出た書類だからって、100%信用できないのがこの仕事のつらいところ。「これ、本当に本人?」と確認するたびに、疑いの気持ちが疲労を呼び込みます。
「間違い探しゲーム」に付き合わされる日々
依頼人から届いた資料、表現が違う、日付が食い違う、印鑑がズレている。これを一つひとつ洗っていくのは、まるで毎日間違い探しのゲームを強制されている気分。でも、これはゲームじゃない。間違えたら終わる真剣勝負です。
自分の確認だけでは済まないストレス
相手(依頼人・他士業)の確認不足が自分に跳ね返る
「これで合ってますよね?」って渡された書類が、全然合ってない。そういうこと、日常です。それをこっちで一から修正して、何度もやり取りして、それでも文句を言われると、心が折れそうになります。なんでこっちが全部背負わなきゃいけないのか。
「自分が最後の砦」感のプレッシャー
「最後に確認してくれるのは先生だけですから」と言われたとき、ありがたいけど正直つらかった。「全部任せられてる」という言葉の裏には、「ミスは許されない」という無言の圧。自分で自分を追い詰める瞬間でもあります。
それでも確認をやめられない理由
頭では「やりすぎだ」と分かっていても、やめられない。自分の性格もあるし、職業柄の責任感もある。そして何より、信用というのは一度失うと取り戻すのが難しいことを、身にしみて知っているから。確認は、信用の保険料のようなものなのかもしれません。
責任の所在が重すぎる職業病
「念のため」がやめられない性格
昔から心配性だったわけじゃないと思います。でも、この仕事を10年以上続けてきた中で、「最悪のケースを想定する」癖が完全に染みついてしまいました。だから「ここまで見れば大丈夫」と分かっていても、「いや、もう一回だけ」が止められない。
自分を守るための過剰防衛
確認作業って、依頼人のためにやってるようで、実は自分を守るためでもあるんです。もしクレームが来たとき、「自分はここまでやった」と言えるようにしておきたい。でも、その気持ちが度を超えると、今度は自分が潰れてしまう。難しいところです。
ミス1つで信用を失う仕事の怖さ
一度の誤記が招いた大きなクレーム体験
不動産の名義変更で、一文字違いの誤記をしてしまったことがあります。修正はできたけど、依頼人は「そっちがプロでしょ」と怒り心頭。結局、報酬の一部を返金して謝罪しました。それ以来、「一文字の重み」に怯えるようになりました。
「許されるミス」が存在しない世界
「人間だからミスもあるよ」と言ってくれる人もいます。でも、この仕事はそれじゃ済まない。ミスした瞬間に信頼を失い、紹介も減る。だから確認が過剰になってしまうんです。安心して間違えられる仕事じゃないんですよ。
確認地獄との付き合い方を考える
確認は大切。でも、確認に追われて心身を削っていては元も子もない。どうやったら「適切な確認」で終わらせられるのか、自分なりの工夫や限度を見つけることが大事です。完璧を求めるのではなく、「事故を起こさない範囲の最善」を探る感覚で。
すべてを疑うのではなく、基準を定める
「ここまではOK」と自分に線を引く
最近は「この項目まで確認したら終了」という自分ルールを作っています。全部を見ようとするとキリがない。信頼できる部分は信頼する勇気も必要なんだと、ようやく思えるようになってきました。
自分の心を守る確認の仕組み化
再確認の「時間」を決めて、それ以上は見ない
書類を印刷して、最終確認するのは「15分だけ」と決めました。それを超えると、むしろ集中力が落ちて見落としが出る。時間で区切るのは、精神衛生的にもいいように思います。
事務員さんと役割を分けて明確化する
「ここからここまでは事務員さん、それ以降は自分」という線引きをしてから、無駄な再確認が減りました。役割を明確にすることで、責任の所在もクリアになり、自分の負担も減らせます。
司法書士として「確認」にどう向き合うか
確認の精度より、確認の意味を考える
確認するのは、安心するため。でも安心のために確認しすぎて、不安が増していたら本末転倒。大事なのは、なぜ確認するのかを見失わないこと。自分を守るため、依頼人を守るため、その両方をバランスよくこなす必要があります。
「疑って疑って、自分が疲弊しては意味がない」
確認は必要。でも、それに疲れて心を病んでしまっては元も子もない。結局のところ、確認とは「信じること」と「疑うこと」の間にある揺れ動くラインを、どう引くかの問題。今日もまた、そのラインとにらめっこです。