誰にも気づかれない日々の積み重ね
司法書士として働いていると、日々膨大な量の作業に追われます。申請書の作成、登記情報の確認、依頼者対応……どれも重要で、しかも一つでも抜けがあれば大きな問題につながります。それなのに、その努力はほとんど表に出ることがありません。ミスがなければ「当然」とされ、感謝の言葉は稀。そんな日々が続くと、「自分は何のために働いているんだろう」と夜にふと思うことがあります。
「当たり前」に埋もれる努力
仕事をしていて「何も起きなかった」ことが評価されない世界。それが司法書士の現場です。たとえば、相続登記で揉めそうな親族間の感情の火種を、事前に電話一本で収めたとします。これは外からは「問題なく登記完了した案件」としか見えません。でも裏では何本もの電話と説明、根回しをしていたわけです。そんな努力は、なかったことにされがちです。
司法書士の仕事は「やって当たり前」なのか
依頼者にしてみれば、司法書士の仕事は「完了して当然」と思われている節があります。逆に、少しでも時間がかかると「遅い」「どうなってるんだ」と不満をぶつけられる。誠実にやっても、スムーズに行けば行くほど、「ありがたみ」が消えるのです。日常の中に潜むこの不条理が、心の疲れをじわじわと深くしていくのを感じます。
事務所を守るためにしていること
小さな事務所を一人で回すのは、正直言ってきついです。事務員さんがいてくれるとはいえ、最終責任はすべて自分。経理、雑務、事務所維持の細かなことまで、全部が自分の肩に乗っています。それでも続けられるのは、依頼者との信頼や、地域での役割を果たしているという気持ちがあるから。でも、それもときどきグラつきます。
スタッフ一人の重さとプレッシャー
私の事務所では、ひとりの事務員さんがいてくれていますが、その存在がどれほど大きいか。体調不良で休まれた日は、電話対応も書類整理も郵送準備も、すべて私一人。そうなると、肝心の法的業務に集中する余裕もなくなります。スタッフを雇うということは、人件費の不安もありますが、精神的にはとても大きな支えです。
依頼者には見えない裏側の仕事
例えば、登記申請書を出す前に、法務局の審査担当がどこをどう見てくるかを予想して、補正が来ないように事前準備を徹底します。でも、こうした“念のための努力”は誰にも伝わらない。「問題なく通った」ことだけが事実として残る。だからこそ、何も言われないことが評価だと自分に言い聞かせるようになります。
資料作成の地味な積み上げ
たとえば、戸籍謄本の収集や財産の洗い出し。ひとつひとつ照合して、漏れや間違いがないかをチェックします。しかも、依頼者から提供された情報が間違っていることも少なくありません。その修正や問い合わせを何度も重ねて、ようやく正確な資料がそろう。でもそれも、書面一枚で完結してしまうように見えるのが、虚しさを生むのです。
法務局とのやりとりの泥臭さ
「オンライン申請だから楽ですね」と言われることがありますが、現実は違います。法務局からの補正指示が来れば、内容を把握して追加書類を整え、また送る。電話での応対も含めて、かなりの神経を使います。しかも、そのやり取りは表に出ない。「何も問題なかったですね」と言われた瞬間、苦笑いするしかないこともあります。
「頑張ってるね」と言われないつらさ
どれだけ努力しても、それが「見えない」まま終わることの方が多い。それが司法書士の仕事の宿命とも言えます。しかも、褒められたり労われる機会はほとんどなく、黙々と自分を鼓舞しながら進むしかありません。でも、人間はやっぱり言葉が欲しい生き物です。たまには「頑張ってますね」と言ってもらいたくなる日もあります。
家族にも伝わらない司法書士のしんどさ
「いつもパソコンに向かってるだけでしょ?」と家族に言われたことがあります。悪気はないんでしょうが、グサッときました。依頼者のトラブルや感情を受け止めながら、ミスが許されない書類を深夜まで作っているのに、それが「ただの事務仕事」に見えるという現実。この孤独感は、なかなか埋まらないものです。
同業者との比較で感じる虚しさ
SNSを見れば、「月○件受任しました!」「○○士とのコラボで注目されています」なんて投稿が溢れています。それを見て、落ち込む自分がいます。うちは地味に、目の前の一件を丁寧にこなしているだけ。派手さもないし、宣伝もしない。でも、誰かの大切な登記を無事に終えた。それだけでも意味があるはずなのに、見えない誰かとの比較で、自分を否定しそうになります。
それでもやめない理由
じゃあなぜ続けているのか、と聞かれれば、明確な答えはないかもしれません。それでも辞めなかった理由は、思い返せば小さな「ありがとう」や「助かりました」の積み重ねでした。見えない努力の先に、ほんの少しでも誰かの人生が前に進む瞬間がある。それが、この仕事を支えてくれています。
目の前の一人のためにできること
以前、認知症のお母様の財産管理で相談に来られた娘さんがいました。不安そうで、涙ぐんでいた彼女が、手続き完了後に「先生に頼んで良かった」と頭を下げてくれた。あのとき、自分の中にあった疲れや虚しさが少し消えました。派手な成果はないけれど、「この人の力になれた」という実感が、何よりの報酬なんです。
感謝される一言に救われた話
ある依頼者が、手続き完了後にポツリと「これで父も安心できると思います」と言ってくれました。その言葉は、感謝の言葉というより、祈りのようなものだった気がします。私は何も特別なことはしていない。ただ、必要な手続きをミスなく進めただけ。それでも、その一言が、数ヶ月分の疲れを癒してくれました。
「気づかれない努力」にどう向き合うか
気づかれないことを前提に、それでも努力し続けるというのは、なかなか骨の折れることです。でも、だからこそ、自分自身でその努力を認めてあげることが必要だと最近思うようになりました。誰かに褒められなくても、見えない努力をしている自分を、自分がちゃんと見てあげないと、心が折れてしまうからです。
自分で自分を認める練習
最近は、毎日終わりに「今日もよくやった」と口にするようにしています。誰も言ってくれないなら、自分で言うしかない。それだけでも少し救われることがあります。自分の働きを可視化するために、やった仕事を簡単にメモするようにもしています。「こんなに頑張った」と目に見えるようにすることで、自尊心の火を絶やさないようにしています。
同じ立場の誰かと話すことの意味
同業者の先輩や後輩と、時折雑談を交わすことがあります。愚痴を言い合うだけでも、心が軽くなる。何より、「ああ、自分だけじゃないんだ」と思えるだけで救われることがあるんです。SNSでは見えない「リアルな悩み」を共有できる相手がいるだけで、気づかれない努力に向き合う力が湧いてきます。
孤独を少しだけ和らげる方法
事務所の壁に、依頼者から届いた小さな手紙を貼っています。たまに眺めるだけで、「あの時の努力は無駄じゃなかった」と思える瞬間があります。気づいてくれた人が、一人でもいたなら、それで十分。そう思える仕掛けを、日々の中に少しでも作っておくこと。それが、孤独と折り合いをつけていく手がかりになります。
さいごに:それでも今日も仕事をする理由
司法書士という仕事は、目立たず、感謝されづらく、疲れやすい仕事かもしれません。それでも続けるのは、きっとどこかで、「誰かの人生を支えている」という確かな実感があるから。報われない夜もある。でも、その夜を越えていけば、また小さな「ありがとう」に出会える。今日もまた、そんな一日であることを願って。
「見えない努力」は確かにそこにある
努力が見えないからといって、無意味なわけじゃありません。それは地中で根を張るように、確かに誰かの人生の支えになっています。気づかれなくても、その価値が消えるわけじゃない。だからこそ、今日もまた、黙って机に向かいます。
誰かの人生の一部を支えている自分へ
自分のしていることを、誰よりも自分が誇っていい。結果が地味でも、誰にも気づかれなくても、あなたの努力は確実に意味がある。自分の背中に、そっと「よくやってるよ」と声をかけてあげてください。それだけで、明日の朝、少しだけ顔を上げられるかもしれません。