話を聞いてるだけなのに…心がどっと疲れる日ってあるよね

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話を聞いてるだけなのに…心がどっと疲れる日ってあるよね

「聞くだけで疲れる日」がやたらと多い

司法書士という仕事は、一見すると「手続きの専門家」ですが、実際は「話を聞く専門家」でもあります。今日も朝から晩まで、依頼人の話を聞いて、聞いて、聞いて……。気づけば夕方、もうぐったりです。誰かと喧嘩したわけでもなく、大きなトラブルがあったわけでもない。ただ話を聞いただけなのに、どっと疲れている。そんな日が、最近やたらと増えた気がします。

話を聞いてるのに、なぜこんなに消耗するのか

人と話すこと自体は嫌いじゃないんです。でも、「聞くことに徹する」というのは、想像以上にエネルギーを消耗する行為です。相手の話を整理して、必要な情報を拾い上げ、同時に共感も見せなければいけない。心のCPUが常にフル稼働しているような感覚なんですよね。単なる世間話に見えて、こちらは裏で必死に情報処理している、そんなイメージです。

依頼人は悪くない…でも、正直つらい

誤解されたくないのですが、話してくれる依頼人が悪いわけじゃありません。むしろ、信頼して話してくれること自体はありがたいことです。でも、10人中10人が「ついでに愚痴も」…となると、やっぱりしんどいんです。こちらも人間ですから、体調が悪い日や、前の相談で気持ちが沈んでいるときには、何気ない一言に心が持っていかれることもあります。

人の話を聞く仕事の「見えない負荷」

「書類さえ作れればいい仕事」と思われがちな司法書士ですが、実際のところは「心のクッション役」でもあります。話をじっくり聞いて、安心させて、気持ちを和らげてからでないと、本題に入れないことも珍しくありません。気づかれにくいですが、この“見えない仕事”こそが、日々の消耗の原因だったりします。

感情労働としての司法書士業

感情労働という言葉をご存じでしょうか? サービス業や医療職などが代表ですが、実は司法書士も立派な感情労働者です。登記の相談に来た人が、家族の死、離婚、借金といった「重いもの」を抱えていることはよくあります。その重さを少しでも軽くしてあげたいと思うからこそ、私たちは心を動かして応じてしまう。そしてそれがまた、疲労を生むんです。

「聞いてあげなきゃ」が自分を追い詰める

「プロなんだから、ちゃんと聞いてあげなきゃ」。そう思うほど、自分に課すハードルが上がっていきます。どんなに疲れていても、眠くても、心が荒れていても、「聞き役」でいようとする。その結果、無理して自分を押し殺すことになり、蓄積されたストレスが爆発する…そんな悪循環に陥る危険もあります。

共感と受け流しのバランスが難しい

完全に共感しすぎると、こちらの感情が持たない。でも、機械的に処理しすぎると、相手は不満を感じてしまう。共感と受け流しのバランスが、本当に難しいんです。自分では「うまく聞けた」と思っても、相手にとっては「冷たくされた」と受け取られることもあり、落ち込むこともあります。

無意識のうちに“受け止めすぎている”自分

自覚がないまま、相手の気持ちや言葉を“抱え込んで”しまっていることがあるんですよね。夜、家に帰っても頭から離れない会話。夢にまで出てくる依頼人の言葉。知らず知らずのうちに、心の中が他人の感情でいっぱいになってしまって、自分の感情の居場所がなくなってしまう。そんな日が続くと、本当に疲れてしまいます。

「聞くこと」そのものに疲れてしまう瞬間

相談対応中、ふと「ああ、もう聞くのがしんどいな」と思う瞬間があります。相手は話したくて来ている。でも、こちらは気力の限界。そんなギャップを抱えたまま、愛想笑いで切り抜けるのがつらい。そんな“瞬間の疲労”が、積もり積もっていくんです。

登記相談が雑談大会になる時

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど…」で始まった相談が、気づけば1時間の世間話に。「昔の話になるんですが…」「この機会に全部しゃべっちゃおうと思って…」。話が止まらない方も多く、途中で切ることもできず、疲労だけが蓄積されます。しかも、登記の話は最後の5分。あるあるです。

相手の悩みを丸ごと背負ってしまう癖

「あの人、今頃どうしてるかな…」。相談が終わったあとでも、気にしてしまう自分がいます。何とか力になりたかったけど、結局あまり動けなかった…。そんな後悔も含めて、どこかで“自分の責任”のように感じてしまう癖が、ますます疲労を深めるのかもしれません。

話を聞くたびに、自分の中の“静かな時間”が削られる

朝から夕方までしゃべりっぱなし、聞きっぱなし。気づけば、自分が「無」でいられる時間がほとんどない。人の話を聞いていると、自分の内側がどんどん薄まっていくような感覚になります。静かな時間がないというのは、じわじわと心を侵食していくものです。

ひとりの時間が足りないと感じる理由

家に帰っても、テレビや家族の会話が待っている。自分だけの、誰の話も聞かなくていい時間。それが極端に少ないんです。だからこそ、昼休みに車でひとりコンビニ駐車場でぼーっとする時間が、最高の癒しになったりします。

無音が欲しい。とにかく、無音。

無音の空間に身を置きたくなることがあります。音楽もいらない、誰の声も聞きたくない。ただ、静かにしていたい。事務所のトイレが、唯一の“無音ゾーン”だったりするのが、なんとも切ないですが、現実です。

それでも話を聞く仕事を辞められない理由

疲れる。しんどい。もう話を聞きたくない…そう思う日もある。でも、それでもこの仕事を辞めたいとは思わない。なぜなら、人の話を「ちゃんと聞く」ことでしか得られない信頼が、やっぱり嬉しいからです。

「ありがとう」に救われることもある

「話を聞いてもらえて、本当によかったです」。この一言で、どれだけ救われたことか。愚痴っぽくなりながらも、最後には「頑張ってくださいね」と笑顔を返される。そういう瞬間があるから、また明日も話を聞こうと思えるのです。

聞くことでしか築けない信頼がある

「あの先生にお願いしたい」と言われると、やっぱり嬉しい。話をきちんと聞いて、必要なことを伝えて、そして納得してもらう。このプロセスがあるからこそ、信頼は生まれます。そこに、司法書士としての“やりがい”が確かにあると感じています。

自分をすり減らさないための小さな対策

話を聞くことはやめられない。でも、自分が壊れてしまっては意味がない。だから、すり減らないための「小さな工夫」を日々模索しています。

「今日は聞き役じゃない日」をつくる

スケジュールを詰めすぎない日を意識的につくっています。誰とも話さない日を確保するのは難しいけれど、「午後は電話に出ない」と決めるだけでも、気持ちが楽になります。週に一度の「聞かない時間」が、心のメンテナンスになっています。

聞くけど、背負わない。線引きの練習

これは簡単じゃないけれど、「聞いてあげるけど、自分が全部抱え込まない」と意識するようにしています。紙に書いて手放す、誰かに愚痴る、ほんの一言「しんどい」と言ってみる。小さな放出で、だいぶ変わります。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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