誰かの“不安”を背負って働くということ――見えない価値を見つめて

誰かの“不安”を背負って働くということ――見えない価値を見つめて

「安心の裏側」で踏ん張る司法書士の現実

「誰かの安心のために働く」――よく聞く言葉ですが、実際にその安心の裏側にいるのは、いつも不安と隣り合わせの私たちです。地方の司法書士として日々現場に立つ中で、安心を提供する側である自分が、安心からは最も遠い場所にいることに気づきます。登記も、相続も、成年後見も、依頼者にとっては人生を左右する重大事。その緊張感を真正面から受け止めるのが、この仕事の本質なのかもしれません。

依頼者の不安を受け止めすぎて、こっちが潰れそうになる

電話一本。「あの、母が亡くなりまして…」という静かな声から始まる一日。こちらはその一言で一気に緊張感が走ります。お客様の不安は、最初は「何をすればいいかわからない」という漠然としたもの。でも、話すうちに怒りになったり、涙になったり、理不尽になったり…。気づけばその感情の波を真正面で受けているのが自分。正直、心がすり減るときもあります。「専門家だから大丈夫でしょ」と言われても、こちらだって人間です。

「ありがとう」と言われることもあれば、文句しか言われない日も

あるとき、相続登記を終えて書類を渡したときに、「やっと落ち着きました。先生、本当にありがとう」と涙を浮かべて言われたことがありました。あの瞬間は報われた気持ちになります。でも、その翌日には「こんなに時間かかるなんておかしい」と怒鳴られる。手続きに必要な戸籍が揃っていなかったことを説明しても、「そっちの都合だろ」と聞く耳を持たない。たった数時間で天国と地獄を行き来するような、そんな仕事なんです。

見えにくい「価値」としての司法書士の仕事

この仕事の難しさは、成果が目に見えにくいことにあります。工事のように「建った」とか、料理のように「できた」とは違い、登記が終わっても「何が変わったの?」と言われることもあります。でも、法律上は確実に変化しているし、その人の生活の基盤が安定したという大きな意味がある。目に見えない価値を、どう伝えるか。それもまた、私たちの苦労のひとつです。

成果は目に見えづらい。だからこそ報われにくい

例えば、不動産の名義変更。書類を出すまでは苦労の連続。戸籍の取り寄せ、遺産分割協議書の作成、押印の取り付け…。やっと登記完了しても、依頼者の反応は「あ、もう終わったんですね」程度。いや、頑張ったんですよ、こちらは。評価されることの少ない舞台裏の仕事。でも、そこで崩れると、お客様の生活も崩れてしまう。だからこそ、やりがいと虚しさが表裏一体なんです。

書類1枚の背後にあるものを、誰も知らない

登記識別情報通知。紙一枚。けれど、その裏には何通の戸籍、何度の修正、何回の確認があったか。誰にも見えません。ある意味、司法書士の仕事は「結果だけを残して消える存在」。だからこそ、自分の中で納得していないとやっていけない。でも本音を言えば、「誰かちょっとでいいから、気づいてくれ」と思ってしまうんです。

“不安を背負う”ことが前提の仕事

この仕事、スタートがいつも「不安」なんです。相続でも売買でも、トラブルがあるから司法書士に話が来る。つまり、笑顔から始まることはほぼない。最初からピリピリした空気で、怒りや焦りを抱えた人と接する。それが当たり前のようになっている自分に、時々「大丈夫か」と思います。

相続、登記、家族の問題……すべて「不安の塊」から始まる

特に相続の現場は、人間関係の火薬庫。兄弟間の不信感、配偶者の無理解、親戚の詮索…。書類集めよりも、人の気持ちの調整の方が難しい。そんな空気の中で「中立」でいなければいけないのが司法書士。でも時には、「あんたはどっちの味方なの?」と責められることもあります。中立という立場は、孤独です。

感情の受け皿にされることもしばしば

相談中に泣き出す人、怒り出す人、黙ってしまう人。とにかく感情のすべてをぶつけてくる人がいます。きっと、家族や友人には言えないんでしょう。でも、こちらはその「受け皿」として淡々と対応するしかない。心の中では「ちょっと待って、僕にも感情あるよ」と叫びたくなります。

怒鳴られるのも、泣かれるのも、こちらの役目

ある日、成年後見の相談で「そんな制度なんて信じられない」と怒鳴られたことがあります。でもその数日後、同じ方から「あなたにお願いしたい」と言われました。怒りの裏にあるのは、不安と混乱。その感情をぶつけられるだけの信頼がある、という解釈もできるけど…やっぱり疲れますよね。

「先生だからわかるでしょ?」というプレッシャー

「専門家でしょ」「先生でしょ」「プロなら当然でしょ」…その言葉の裏には、答えを持っていて当然という期待が込められています。でも、法改正のたびに解釈が揺れるこの世界、即答できないこともある。それを伝えただけで不信感を持たれることもあるから、もう胃が痛くなります。

事務員一人だけ、地方事務所の孤独なリアル

うちは事務員が一人。とても助かってるし、いなければ立ち行かない。でも、結局のところ、責任は全部自分に降りかかる。相談も、登記の判断も、経営のことも、全部一人で抱える。地方で司法書士やってると「一国一城の主」って響きが、むしろ虚しくなるときがあるんです。

一人雇っても、相談相手じゃない。経営も孤独

職場に人がいるといっても、専門的な話は通じないことも多い。「今日はこういう相続だったよ」と話しても、「そうなんですね〜」で終わる。悪気はないのは分かってる。でも、一人で戦ってるような気持ちになる日もあるんです。

ミスすれば全部自分の責任。逃げ場がない

ある日、登記の記載ミスで補正通知が来ました。書類を見返すと、完全に自分の確認漏れ。でも、それを誰にも相談できない。事務員に「なんでこうなったの?」と聞かれても、「ごめん、俺のミスだ」としか言えない。誰にも怒られない代わりに、誰も助けてくれない。孤独な職業です。

それでも続ける理由は何か?

ここまで読んで「なんでやってるの?」と思う方もいるでしょう。自分でも時々そう思います。でも、たまに来る「ありがとう」があるから続けられる。ほんの一言が、数ヶ月分の疲れをふっと和らげるんです。それって、報酬よりも大きな力があると、信じています。

感謝の言葉に救われる、たまにだけど

「先生がいてくれてよかった」と言われた瞬間。何十件もの面倒な案件が、一瞬で許せる気がします。もちろん毎回言われるわけじゃない。でも、その一言を求めて頑張ってるところもある。報われたいと思うのは、贅沢じゃないと思うんです。

「自分にしかできない仕事」という変な誇り

大した肩書じゃないけど、自分がやらなきゃ誰もやってくれない。そんな案件がいくつもある。人の不安を受け止め、調整して、形にする。この仕事は、社会に必要な役割なんだと、信じたい気持ちはあります。

法律の知識で人の人生を助けている実感

登記が終わることで、相続が終わることで、人の生活が安定する。それを実感できるのは、司法書士だけの特権です。だからこそ、自分を律しないといけないし、信頼に応えたいという気持ちにもなる。

“安心”という見えない価値の提供者であること

登記完了通知を手渡すとき、「これで一安心ですね」と伝える。その言葉の裏には、たくさんのドラマがある。でも、それを表に出すことはありません。安心は見えない。でも、間違いなく存在していて、それを支えている実感が、誇りにつながっています。

最後に:司法書士を目指す人へのひと言

これから司法書士を目指す人に伝えたい。この仕事、かっこよさなんてほとんどないです。地味で孤独で、愚痴も多くなる。でも、そのぶん、誰かの人生にちゃんと関わることができる。それをやりがいと感じられるなら、向いてるかもしれません。

この仕事は「誰かの安心のため」だけでは続かない

誰かのため、という気持ちだけじゃ心が折れます。自己犠牲の精神だけでは、長続きしません。でも、「誰かの安心が、自分の誇りになる」なら話は別です。自分の存在価値を、少しでも信じられるなら、きっと続けられると思います。

それでも「やっててよかった」と思える瞬間もある

すべてがうまくいくわけじゃない。でも、たまに来る「ありがとう」の一言や、依頼者のホッとした顔。それだけで「やっててよかった」と思える。それがこの仕事の、不思議な魅力です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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