誰も来ないセミナー、その原因は“集客以前”にあった
なぜ「誰も来ないセミナー」になってしまうのか
セミナーを開くたびに、胸のどこかに不安がよぎる。「今回も誰も来なかったらどうしよう」——司法書士として地域に貢献したい気持ちで始めた無料セミナー。しかし、実際は会場にポツンと置かれた椅子と沈黙だけが広がる。何度も経験すれば慣れるかと思いきや、そんな日は一向に来ない。誰かに届くはずの情報が、なぜ届かないのか。集客のテクニック以前に、もっと根本的な問題があるのではないかと感じている。
「セミナーをやれば仕事が増える」は幻想?
独立した当初、セミナーは営業の王道だと信じていた。実際、他士業の先生が「セミナーで顧客が増えた」と語るのを聞いて、刺激を受けた。ところが、実際にやってみると反応は鈍い。問い合わせもゼロ。地元の新聞に掲載し、知人にも声をかけたのに、まるで風のように人は通り過ぎていった。自分のやり方が悪いのか、それともこの地域では通用しないのか。どこから手をつければいいのかさえ見えなくなってしまった。
そもそも、誰のためのセミナーだったのか
今思えば、「誰に向けて話すか」が曖昧だった。相続について話したい、登記について伝えたい、そんな“こっちの都合”ばかりを押し付けていたように思う。たとえば、家族を亡くしたばかりの方に、登記の手続きの仕方を講義口調で語っても、心には響かない。相手が求めているのは、“安心”や“寄り添い”であって、“情報”ではないのだと、何度も空席を見て痛感させられた。
頑張って準備したのに集まらない虚しさ
パワポのスライドを夜な夜な作り、事務員さんにも案内の配布をお願いした。市の掲示板に貼り出すときは、ちょっと恥ずかしかったが、それでも一生懸命だった。でも、当日は誰も来ない。誰一人来ないときのあの空気、机の上の資料だけが整然と並んでいる状態——あれほど惨めな気持ちになる瞬間もなかなかない。
チラシも広告も出したのに…反応ゼロの現実
地元のフリーペーパーに折込チラシを入れたこともある。3万世帯に届くというから、さすがに反応はあるだろうと期待していた。でも、現実は甘くなかった。電話は1本も鳴らず、メールもゼロ。数万円の広告費が風に消えたようだった。事務所の経費も厳しい中で、これはかなり堪えた。結局、誰に届いて、誰に響いたのかがまったく見えなかった。
「知識を伝えたい」という気持ちが空回り
司法書士という仕事柄、正確に伝えることには自信がある。でも、それが逆に仇となった気がする。ついつい用語を正確に使おうとして、結果的に話が難しくなる。「所有権移転登記」「遺産分割協議書」など、専門用語を丁寧に説明しても、聞いてる側からすれば「で、結局どうすればいいの?」なのだ。知識を“伝える”ことと、“伝わる”ことの違いを思い知らされた。
原因は“集客”ではなく“設計”にあった
人が集まらない原因を広告や広報のせいにしていたが、実はセミナーそのものの“設計”がズレていた。誰に、何を、どう届けるか。その設計図が最初からボヤけていたのだから、来るわけがない。これは自分にとって一番つらい気づきだった。
ターゲット不明のセミナーは、誰にも刺さらない
「どんな人向けですか?」と聞かれて「誰でもどうぞ」と答えていた自分が恥ずかしい。ターゲットが定まっていないと、内容もぼやけるし、案内文も弱い。仮に興味を持った人がいても、「自分のことじゃないな」と感じてしまう。相続に悩む60代の人なのか、将来に備える40代の人なのか。そこが定まらない限り、どんなに頑張っても届かない。
「無料だから来る」は嘘。時間を奪う覚悟が足りない
無料なら気軽に来てもらえるだろうと思っていた。でも、今の時代は“無料”が価値にならない。むしろ、貴重な休日の時間を奪う行為として警戒される。だからこそ、「この時間を使ってでも行きたい」と思わせるだけの“理由”が必要だった。そこを見誤っていた。
本当に聞きたいことは、こっちじゃなかった
話す内容は真面目で大事なことばかり。でも、相手が聞きたいのは“法律”ではなく“生活の不安をどうすればいいか”だった。僕たちの言葉と、聞き手の関心ごとには大きなズレがあったのだ。
相続・登記より「お金」「揉め事」が関心ごと
過去に開いたセミナーで、「兄弟でもめてるんですけどどうしたら…」という個別の質問ばかりだったことがある。登記の流れを話している最中でも、参加者の目はどこか上の空。リアルに困ってるのは、制度ではなく“人間関係”なのだと気づかされた。
士業が話す内容は、だいたい難しすぎる
「言ってることは正しいけど、よく分からなかった」と言われたときのショックは大きかった。きちんと伝えていたつもりが、伝わっていなかった。だから最近は、なるべく「専門用語を使わずに説明できるか」を自分に課している。それでも、難しい。話し手として、もっと努力しなければと感じている。
結局、「信頼」と「関係性」がないと集まらない
広告や話術以前に、“この人の話なら聞いてみたい”と思ってもらえる存在であることが前提だった。地域密着で信頼を積み重ねることの大切さを、改めて思い知らされている。
地域の顔にならないと話す場にも立てない
地元のスーパーでよく声をかけられるようになった頃、セミナーにもぽつぽつと人が来るようになった。結局は日常の中での信頼関係がベースになる。「先生が言うなら安心だね」と思ってもらえたとき、ようやくスタートラインに立てるのだ。
日頃の相談対応が、そのまま“集客”になる
日々の電話相談や来所のやりとりの中で、「実は今度こういうセミナーやるんです」と伝える方が、はるかに反応がいい。広告は広く薄く、日常は狭く深く。どちらを選ぶかではなく、やっぱり“地道な対応”がすべての土台になる。
それでもやりたいなら、割り切りが必要
もうセミナーはやらないと決めたこともある。でも、それでも「またやろうかな」と思ってしまうのが士業の性なのかもしれない。誰にも聞かれなくても、話したいことがある。そういう“こだわり”がある限り、割り切って向き合っていくしかない。
集まらないセミナーでも、意味はある?
一人だけ来てくれたセミナーがあった。60代の女性で、最後に「今日話を聞けて本当によかったです」と笑ってくれた。その一言だけで、準備した時間や労力が報われたような気がした。だからこそ、“無駄だった”とは思わないようにしている。
「一人でも来たら成功」と言い聞かせる日々
今日もまたセミナーを開いた。来てくれたのは一人だけ。でも、その方と1時間じっくり話せた。そんな“密度のある時間”を積み重ねていくしかないと思っている。たくさん集めるより、一人ひとりと向き合う。そんな覚悟で、これからも地味に続けていくつもりだ。