連絡の取れない相続人――親戚の記憶だけを頼りに辿った先で待っていた結末

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連絡の取れない相続人――親戚の記憶だけを頼りに辿った先で待っていた結末

「連絡が取れない相続人」という現実

相続登記の手続きを進める中で、最も厄介なのが「連絡の取れない相続人」の存在です。戸籍を取り寄せてみたら見知らぬ名前が出てくるのはもはや日常茶飯事。その人に手紙を出しても返事がない、電話番号もわからない、役所でも転居先不明…。こちらとしては義務的に全員の所在確認が必要なのに、現実には壁だらけです。「なんでこっちがここまでしなきゃいけないのか」と何度思ったことか。気が重くなるのは当然です。

戸籍をたどっても行方知れず

まず戸籍を取り寄せてみると、見知らぬ兄弟や再婚相手、はたまた外国に渡った親族などがずらりと並びます。そこから住民票を追っていく作業が始まるのですが、最近ではマイナンバーの絡みもあって、転居情報がなかなか取得できません。転籍を繰り返していたり、名字が変わっていたりするとなおさら厄介。職員さんも「これ以上はわかりませんねえ」と匙を投げることもあります。

住民票も消えていた

あるケースでは、相続人の住民票が「職権消除」されていました。つまり長年、住民登録が更新されておらず、行政側が削除してしまったのです。こうなると転出先も不明、こちらからの連絡手段は完全に途絶えます。「これ、どうすんの?」と依頼者に聞かれても、「探すしかないですね」と答えるしかない自分が情けない。

過去の住所は空き地だった

さらに現地に行ってみたら住所は存在しても、そこはすでに空き地になっていた、ということもあります。昔はあったけど今は取り壊されたようです。近所に聞き込みに行っても「もう10年以上前に引っ越しちゃったね」と言われるだけ。手がかりはゼロに近くなります。正直、こうなると「もういいじゃん」と言いたくなる。

依頼者の「とにかく探してほしい」プレッシャー

相続手続きを進めたい依頼者としては、「なんとかしてくださいよ!」という気持ちになるのは当然です。でもこちらも限界があります。「連絡が取れない相続人」という壁の前で、依頼者と司法書士の間に温度差が出てしまう場面も多々あります。

感情的な要求と現実のギャップ

「なんでこんなに時間かかるんですか?」「兄の居場所くらいわかるでしょ?」と強い口調で言われたこともあります。いやいや、家族なのにあなたも知らないんでしょ?と心の中でツッコミたくなります。でも、説明を尽くしても納得されないケースも多く、疲弊していくばかりです。

報酬より精神的消耗が上回る瞬間

ここまでくると「これだけ調査しても報われないんだな」と感じることが多くなります。報酬も相場の中で決まっている以上、追加の手間に見合う額ではありません。精神的なストレスと実費のバランスが取れなくて、「やらなきゃよかったかも」と後悔する瞬間がちらほら出てきます。

親戚を辿るしかない、という選択

手詰まりになったとき、最後の望みとして残るのが「親戚づてに探す」手段です。どこに住んでいるかも知らない相続人を、記憶と人づての話だけを頼りに探していくわけです。正直、手間もかかるし、うまくいく保証もない。でもやるしかない。

唯一の手がかりは「昔話」

依頼者のおばあちゃんが「たしか東京に行ったって言ってたような…」とポツリと漏らした言葉。そんな曖昧な情報が手がかりになるんです。あるいは古い年賀状の束、電話帳に書き残された名前。そういう“手がかりのカケラ”を拾い集めて、点を線にしていくような作業になります。

おばあちゃんの記憶を頼りに

「昔ね、上京して役者目指してたのよ、たしか渋谷のあたりに…」そんな記憶を手がかりに、渋谷区の役所に問い合わせたり、古い知人に連絡を取ってみたり。結果的にまったく別の町に住んでいたのですが、その話がなければ辿り着けなかったのも事実。記憶って案外あなどれない。

年賀状の古い住所録からの糸口

依頼者が押し入れから出してきた古い年賀状。その中に10年前の相続人の住所が書かれていたのです。今は転居していても、その住所から近所に聞き込みをすることで、次の手がかりが得られることも。紙の記録が命綱になる場面、意外と多いです。

電話帳とGoogleマップの旅

紙の電話帳やネットの住所検索を駆使して、「もしかしたらこれかも?」と思った場所に電話してみる。時にはGoogleマップで家の外観を確認してから「行ってみるか」と決める。まるで探偵のような仕事です。

知らない土地への出張と道の駅

ある日曜、軽自動車で3時間かけて山奥の町に行ったことがあります。途中の道の駅で地域情報を聞いてみたり、近所のおじいちゃんに話しかけてみたり。まさか司法書士の仕事で道の駅のソフトクリーム食べながら情報収集するとは思いませんでした。

「○○さん知ってる?」と聞いて回る日々

田舎だと「○○さん知ってますか?」という問いかけが意外に通じます。「ああ、あそこの納屋の隣に住んでた人だよ」と教えてもらえたりして。町内会の掲示板の張り紙からヒントを得たこともあります。アナログだけど、それが効くこともある。

ようやく見つけた相続人、その反応は…

そして、ようやくその人を見つけたとき。達成感でいっぱいになる…と思いきや、そうでもないんです。むしろ、そこからがまた一つの山場です。

まさかの「関わりたくない」宣言

連絡がついた相続人が「相続なんて関係ないから放っておいてくれ」と冷たく言ってきたときのショックといったら。調査費もかけた、時間も使った、その結果が「無視」や「拒否」だったとき、どう気持ちを整理すればいいのか。答えはまだ出ていません。

時間もお金もかけて辿り着いたのに

依頼者にも「ここまでやってもダメなんですね」と言われてしまい、こっちとしてもつらいです。手続きを進めるための苦労が水の泡になる瞬間って、本当にしんどい。自分でも「何やってたんだろう」と虚しくなる。

それでも義務は果たすという強がり

「連絡はした」という事実が重要になることもあります。結局その相続人から何の協力も得られなかったとしても、こちらとしては「やることはやった」という記録を残すしかない。報われない仕事の代表例ですね。

それでも、やるしかないのが司法書士

こんなに割に合わないと思っても、それでも私たち司法書士はやらなきゃいけない。誰かがやらないと、手続きは止まったまま。社会的な役割というやつです。

誰かがやらないと進まない

司法書士が面倒な相続人探しを引き受けるのは、制度上、誰かがやらなきゃ回らないからです。「あの先生ならやってくれる」と言われてるからこそ依頼が来る。でもね、心の中では「誰か代わってくれ」と毎回思ってますよ、正直なところ。

放置された相続登記の現実

相続登記が放置されると、その不動産は売れない、活用されない、固定資産税も払いっぱなし…。結局、地域全体の問題にもなってきます。私たちが手続きを進める意味って、そういうところにあるんだと思います。

自己満足ではなく社会のために

見えない仕事に対して報われることは少ないですが、それでも社会のためにやっている、という気持ちが支えになります。「あの物件、ちゃんと売れて今は人が住んでますよ」なんて聞くと、少しは報われた気になります。

経験としての「重み」

こういった経験は、自分の糧になります。今後また似たようなケースが来た時に「やったことある」と言えるだけで全然違う。無駄にはなっていないと思いたいです。

こんなケースが次の判断材料になる

「あのときこうしたらうまくいった」「あの方法ではダメだった」——そんな積み重ねが、次の仕事を楽にしてくれる。いつも手探りだけど、確実に経験が血肉になっていくのを感じます。

誰にも見えない努力は、自分だけが知っている

依頼者にも、家族にも、見えない努力。でも、自分だけは知っているし、誰にも評価されなくても、やった自分にだけは誇れる。そんな気持ちで、また明日も仕事に向かいます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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