「簡単って聞いたんですけど…」から始まるため息
遺言書の相談を受けていて、何度となく耳にするのが「簡単って聞いたんですけど…」という一言。たしかに、テレビやネットの記事には「遺言書の作成は意外と簡単」なんてタイトルが踊っている。でも、現場の実感としてはその“簡単”の裏には、想像以上の準備や手続き、心理的なハードルが横たわっていることが多い。今日もまた、そんなギャップにため息をつく一日が始まった。
世間の「遺言書=お手軽」イメージとのズレ
ネットで「遺言書 書き方」と検索すると、テンプレートやフォーマットが山のように出てくる。それを見て「なんだ、こんなもんか」と思って相談に来る方も多い。だけど、いざ実際の家族関係や財産状況を聞いてみると、「この内容でトラブルにならないだろうか」と頭を抱えることになる。形式通りに書けば終わり、という話じゃないのが現実なのだ。
なぜそうなった?テレビとネットの影響力
「テレビで芸能人が“簡単だよ”って言ってたんですよ」と言われたこともある。わかる、わかるよ。メディアは極端な例を取り上げて、話をわかりやすくまとめがち。でもそれが結果として、司法書士の現場に「誤解」と「不信感」を生む火種になっていることを、どれだけの人が意識しているだろうか。
実際の現場は、そんなに甘くない
「遺言書はただの紙じゃない」なんて、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、それくらいに思っていた方がいい。作成するには、気を使うポイントが山ほどあるし、家族や関係者の人間関係が複雑なら、なおさら配慮が必要だ。そこを「簡単」で片づけられると、こちらとしては頭を抱えてしまう。
本人の意思を「証明する」難しさ
特に高齢の依頼者の場合、意思能力があるかどうかの確認が大きな課題になる。「元気そうに見えるから大丈夫」と思っていても、後で「その時の判断力に問題があった」と争われるリスクは常にある。だからこそ、私たち司法書士は神経質なくらい記録を残し、第三者としての証拠を意識する。
認知症リスクとその線引き
以前、90代の女性が自筆で遺言書を作りたいと来所された。受け答えも明快で、字もはっきりしていた。でも後から聞けば、最近物忘れがひどく、近所では「少し心配」と言われていたらしい。誰が見てもOKとは言い切れない。だからといって無下にできない。この“グレー”な状況こそが、私たちを悩ませるのだ。
親族との関係性がややこしいケース
遺言内容に不満を抱く親族が一人でもいれば、その遺言書は火種になる。特に内縁関係、前妻との子、絶縁状態の親族…と事情が入り組むほど、こちらの負担も跳ね上がる。感情のこじれに、法的な正当性だけでは太刀打ちできない現場も多い。
「文面を書けば終わりでしょ?」と言われた日
「書くだけなんですよね?」「ひな形ありますよね?」と言われるたび、心の中で「そんなに単純なら苦労しません」と呟いている。文面だけで済むなら、公証人もいらないし、相談も必要ないはず。でも現実には、文面の一語一句に重たい意味が乗ってくる。
公正証書遺言と自筆証書遺言の落とし穴
「公正証書は費用がかかるから自筆でいい」という判断は、費用だけ見れば正しいかもしれない。でも後で無効になったり、家庭裁判所の検認に時間がかかったりと、結果的にトラブルになるケースは後を絶たない。目先の手軽さに飛びついた結果、家族が困ることになる。
公証役場の手続きが“面倒”と感じる人たち
「なんでこんなに人が関わるんですか?」「わざわざ公証人に会うの?」とよく聞かれる。制度としては意味があるけど、依頼者からすれば「自分のことなのに、なんでここまで管理されるんだ」と思うのも無理はない。信頼と安全性の裏にある“手間”をどう伝えるか、悩ましい。
自筆の破綻率は意外と高い
過去に見た自筆遺言書の中には、印がなかったり、日付が「平成〇年」としか書かれていないものもあった。形式不備で無効になる可能性があるにもかかわらず、「本にそう書いてあったから」と言い張られたときの徒労感たるや…。その一文が原因で、家族が何年も争うこともあるのに。
トラブルになってからじゃ遅いのに
遺言書の価値が本当に試されるのは、作成後ではなく“死後”。つまり、その時点で本人の声はもう届かない。だからこそ、最初から「揉めるかもしれない」という前提で、しっかり作っておく必要がある。後悔しても、本人はもう修正できないのだから。
「家族仲が良いから大丈夫」が一番危ない
実際、揉めた家庭の多くが「うちは大丈夫」と思っていた。特に、曖昧な分配や希望が書かれていると、それを“都合よく”解釈し合って対立が起きる。遺言書に必要なのは、明確さと公平性、そして少しの覚悟だ。
実際に起きた“争族”の現実
以前、全財産を一人の子に譲るという内容の遺言書をサポートしたが、他の兄弟が激怒し「親は騙された」と家庭裁判所に訴えた。結局、遺言の効力は認められたが、家族は完全にバラバラに。そういう場に立ち会うと、「事前に話し合っていれば…」と悔しさがこみあげる。
司法書士としてどこまで踏み込むか
依頼者の本音を引き出すのは簡単じゃないし、ましてや「それでは危険です」と伝えるのも勇気がいる。言いすぎれば反感を買い、黙れば自分が責任を問われる。毎回、綱渡りのような感覚だ。
「そこまで言っていいのか」悩む判断ライン
親族への配慮が足りないと感じたとき、正直に指摘するべきか、それとも黙って受け止めるべきか。その判断に悩んだ夜は数知れない。でも、誰かが言わなければ、将来もっと苦しむのは家族だから。そう思って、今日も言葉を選びながら話している。
依頼者の感情とどう付き合うか
ときには怒鳴られ、ときには泣かれる。司法書士は感情のゴミ箱じゃないけれど、誰かがその気持ちを受け止めなければ進まないのも現実だ。冷静と共感、そのバランスを探しながら、日々の相談に向き合っている。
事務員さんに支えられて
事務所を支えてくれている事務員の存在は、本当にありがたい。私が疲れ切っているときでも、穏やかに依頼者の電話を取ってくれる。小さな気遣いに、救われることがどれほどあるか。
孤独な現場での小さな救い
一人で判断し続ける仕事の中で、「ちょっとこれはどう思う?」と相談できる人がいる。それだけで、精神的な負担が半減する。事務員さんの存在は、単なる“補助”なんかじゃない。
説明責任の分担と負担の偏り
それでも、法的な説明や判断はどうしても司法書士に集中する。どれだけ疲れていても、結局は私が最終的に背負う。だからこそ、事務員さんのケアも含めて、自分の限界を見極める目が必要なのだと思う。
志望者の方へ:遺言業務のリアル
もし司法書士を目指している方がこれを読んでいるなら、知っておいてほしい。遺言書の仕事は華やかでもなければ、感謝されることも少ない。むしろ、気を遣って気を削られる。でも、それでもやりがいはある。
見えない苦労と向き合う覚悟はあるか
人間関係、感情、法律、全部が絡み合うこの分野。きれいごとだけでは通用しない。それでも、「家族の未来を守る一助になる」という想いがあるなら、ぜひ挑戦してほしい。
「ありがとう」よりも先に「は?」が来る
どんなに丁寧に説明しても、最初の反応が「は?」ということは多い。それでも負けずに、相手の立場に立って言葉を尽くす。その繰り返しが、信頼につながっていくのだと思う。
でも、やっぱり必要とされる仕事
最初は不信感があっても、手続きが無事終わったときに「あなたに頼んでよかった」と言われる瞬間がある。それが、また頑張ろうと思える原動力になる。