電話の向こうで怒鳴られた日、僕の胃がキリキリ痛みだした

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電話の向こうで怒鳴られた日、僕の胃がキリキリ痛みだした

あの日、電話のベルが鳴った瞬間からすべてが変わった

普段と変わらない平日の午前10時、いつものように事務員が電話を取った。だが、そのあとすぐに僕に受話器が回ってきた。「おたくが送ってきた書類、間違ってるじゃないか!」。受話器の向こうから響いた怒鳴り声に、手が震える。慣れているはずのはずだった。でも、初めての“怒り”が直接ぶつかってきたあの瞬間、背筋が凍り、胃の奥がひゅっと冷たくなった気がした。

司法書士になって十数年、それでも「初めて」がある

司法書士として十数年やってきて、それなりの場数は踏んできたつもりだった。書類のチェック、期限管理、依頼者との調整――どれも淡々とこなしていたつもりだったが、「クレームの電話」はこれが初めてだった。いや、厳密にいえば怒られたことはあった。でも“怒鳴られた”のは初めてだった。予想以上に堪えた。

相手の怒声に体が固まる——言葉よりも響いた「圧」

「こんなミスで済まされると思うなよ」──声自体よりも、その“圧”が強烈だった。言ってることは正論。でも、言われた僕の頭の中は真っ白だった。身体のどこかに力が入ってしまい、いつの間にか胃の奥がしくしくと痛み出していた。人の怒気って、こんなにも体に響くのかと知った日だった。

クレーム電話の内容と、僕の何が問題だったのか

問題の電話は、相続登記の書類に記載ミスがあったことに対するもので、しかも期限ギリギリの案件だった。焦りと怒りが混じる口調の向こう側に、相手の立場の重さを感じた。けれど、その時僕は「この程度、よくあるミスなのに」と思ってしまっていた――それが一番の誤りだったのかもしれない。

原因は書類の誤送付……でもそれだけじゃなかった

確かに事実としては、こちらの書類に誤記があった。ただ、もっと根深い問題は、事務所内のオペレーションが回っていなかったことだった。見直すべきは作業フロー全体だったのに、僕は「たまたまの失敗」として片付けようとしていた。これではいけないと、後から痛感した。

忙しさにかまけて、確認不足が常態化していた

正直に言うと、忙しい時期だった。依頼が重なり、精神的にも体力的にも余裕がなかった。でもそれを言い訳にしてはいけないのだろう。確認作業はどんどん雑になり、目を通しているつもりが“流し見”になっていた。書類は人を動かす責任ある道具。それを扱う覚悟が、少し緩んでいた。

「事務員任せ」の甘えが見抜かれていたのかもしれない

もうひとつ、痛かったのが「確認は事務員に任せてたんで……」という言い訳がましい気持ち。事務員は優秀で助けられている。でも最終責任は僕にある。相手にはそんな“他責の姿勢”が見透かされていたのだろう。怒声の中には、そういう部分への失望も滲んでいた気がする。

身体は正直だ——その日の午後、突然の胃の痛み

午前中の電話が終わったあとも、何となく気持ちが落ち着かなかった。そして午後、突然キリキリとした痛みが胃を襲った。「あ、これストレスってやつか」と妙に冷静な自分がいた。痛み止めを飲んでも効かず、ただ椅子に座ってうずくまるしかなかった。

我慢すればするほど、どんどん痛くなる

この痛みは、声を出して「辛い」と言わない限り続くんじゃないか。そんな気さえした。しかも「まだ何か怒られるかもしれない」「あの人、また電話かけてくるんじゃないか」という不安が追い打ちをかけた。物理的な痛みと精神的な恐怖が重なり、逃げ出したい衝動に駆られた。

「またかかってきたらどうしよう」と電話恐怖症に

それから数日、電話のベルが鳴るたびに胃が収縮する感覚があった。「もしかして、またあの人じゃ……」。事務員が電話に出ても、つい耳をそばだててしまう。電話応対が怖くなるなんて、想像もしなかった。でも現実には起こった。そして、それは業務に深刻な影響を与えていった。

誰にも言えない「怖さ」と「情けなさ」と

クレームに対する恐怖や、自分のミスに対する後悔。こんな気持ちを誰に話せるだろうか。事務員に話せば心配をかけるし、同業者には格好悪くて言えない。結局、ひとりで抱え込むしかなかった。だけどそれが、もっとしんどさを増幅させていた。

事務員にも見せられない弱さ

僕は「頼れる上司」でありたかった。でも実際は情けない姿だった。胃薬をこっそり飲みながら、何とか仕事を回していた。事務員の前ではいつも通りを装っていたけれど、内心はズタボロだった。「もう辞めたい」とまで思ったのは、このときが初めてだったかもしれない。

相談相手がいない孤独——地方事務所の現実

田舎で司法書士をやっていると、気軽に相談できる相手が少ない。飲みに行く仲間も、仕事の悩みを共有できる人も、近くにはいない。都会ならまだしも、地方の個人事務所は孤独だ。その孤独が、クレームのダメージを何倍にもしていたのかもしれない。

それでも次の日も電話は鳴る——自分を立て直すしかなかった

現実は変わらない。翌日も、またその次の日も、電話は鳴り続ける。逃げられない以上、立て直すしかなかった。まずは書類チェック体制の見直し。事務員とのダブルチェック体制を明文化した。小さなことから変えていった。自分の意識も、少しずつ修正した。

怒られても、逃げずに対応した「その後」

結果的に、あの怒っていた依頼者とはその後もやり取りが続いた。こちらの誠意が伝わったのか、最後は「ちゃんとやってくれてありがとう」と言ってもらえた。震えながら対応した時間が、ようやく報われた気がした。

見直したチェック体制と、事務所の「仕組み」

これを機に、すべての案件でチェックリストを導入。誰が確認し、どこを確認したかを記録に残すようにした。「また同じミスはしない」。そう自分にも事務員にも宣言し、事務所全体として意識改革を進めた。効率は落ちたが、安心感は増えた。

クレーム対応の中で学んだこと

怒られたことそのものよりも、そこから何を学び、どう変わるかが大事だったのだと思う。痛みを感じるということは、まだ何かに対して誠実であろうとする証拠だと信じたい。逃げないことでしか、次に進めないのだ。

言い訳よりも「真摯な対応」が信頼を取り戻す

最初は言い訳したくて仕方がなかった。でも、黙って話を聞き、ただ謝った。それが信頼回復への第一歩だった。書類以上に、人の感情をどう扱うか。その難しさと重要さを痛感した。

怒りの裏にある「不安」や「期待」に気づく

あの依頼者の怒りの根底には、「ちゃんとやってくれるはずだった」という期待があったのかもしれない。その期待に応えられなかったことが、怒りになって返ってきたのだ。だからこそ、こちらが誠実に向き合えば、期待は取り戻せる。

司法書士を目指す人へのメッセージ

司法書士は資格を取っただけでは終わりじゃない。仕事の半分以上は、感情のマネジメントだと思う。そして、ひとりで抱えないこと。失敗しても、落ち込んでも、ちゃんと前を向いて動けば、仕事はまた回っていく。胃が痛くなっても、なんとかなる。たぶん。

知識や資格では測れない「感情との付き合い方」

六法や実務知識ではどうにもならない「人の怒り」。それをどう受け止め、どう対応するかは、経験でしか学べない。逃げずに、でも無理せずに。そんな姿勢が一番大事なのだと思う。

ひとりで抱え込まないための「仲間づくり」

地方で一人で仕事をしていると、つい孤立しがち。でも今はSNSもある。同業者とのゆるいつながりでも、気持ちがだいぶ救われる。誰かに話せるだけで、胃痛は少しやわらぐ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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