震える手が語るもの──沈黙の中に潜む重み
ある日、相談に来られた依頼人の女性がいました。年の頃は七十代、服装もきちんとしていて、書類も完璧に揃えているように見えました。けれど、私が「では、この書類にご署名をお願いします」と伝えた瞬間、その手が細かく震えていたのです。その震えに気づいたとき、私はなぜか一瞬、背筋が冷たくなりました。彼女の沈黙の裏には、何か深い事情が隠されていると感じたのです。
なぜあの依頼人は黙ったままだったのか
手が震えるほどの緊張の理由を聞いてみても、「大丈夫ですから」と、かすれた声で返されるだけでした。けれど、書類に目を落としたまま、どこか遠くを見つめるような彼女の表情は、「大丈夫ではない」と語っていました。家族のことなのか、相続の問題か、それとも人には言えない事情か。言葉にできない感情が、沈黙の中で揺れていました。
「大丈夫です」と言われた時ほど大丈夫じゃない
司法書士を長くやっていると、「大丈夫です」という言葉ほど不安を感じるようになります。本当に大丈夫な人は、大丈夫なんて言わない。言葉にすることで、自分自身を落ち着かせようとしているのかもしれません。あのときの依頼人の「大丈夫です」は、まるで自分に言い聞かせているようで、こちらまで胸が苦しくなりました。
地方事務所で向き合う“重い空気”の日々
東京のような大都市とは違い、地方では顔見知り同士の関係が根強く残ります。依頼人の事情も、時に町全体に知られていることさえあります。そんな中での相談は、書類のやり取りだけでは済まない重さがあります。相談者は言葉の端々に躊躇いをにじませ、こちらも迂闊に踏み込めない緊張感が漂うのです。
感情を背負い込む司法書士という職業
業務は法的な手続きのはずなのに、実際には人の感情を受け止める場面が多いのがこの仕事です。「こういう場合、何がベストなんでしょうか?」という問いの裏には、「自分はどうするべきか分からない」という切実さがにじみます。書類だけ見ていても、その答えは見つかりません。
専門家ではなく“人の受け皿”としての役割
司法書士は法律のプロフェッショナルであるべきなのに、実際には「人の気持ちの受け皿」になる場面のほうが多い。そう感じるようになったのは独立してからでした。事務所のドアを開けるとき、相談者がどんな顔をしているか。その一瞬の表情で、その日の空気が決まるような気がすることすらあります。
感情の置き場が自分の中にしかない
そうして受け止めた感情は、どこにも流せないまま、自分の中に溜まっていきます。カウンセラーでもなければ、精神科医でもない。なのに、重たい話を一手に受ける日々。帰り道、車の中でため息を吐きながら「これは本当に自分の仕事なのか?」と自問することもあります。
経験年数では計れない、依頼人の「緊張」
どれだけ経験を積んでも、依頼人の感情は読み切れません。特に相続や遺産分割などの場面では、書類の記載内容がそのまま「家族の分裂図」になることがあります。その一つひとつに、依頼人の緊張がこもっているのです。
震える手が物語る、家庭の事情と人間関係
その依頼人は、書類の署名欄をじっと見つめたまま、「これで、いいんですよね……」とつぶやきました。その声に、家族との葛藤や迷いがにじみ出ていました。法的には正しくても、感情が追いついていない。そんなとき、司法書士は何ができるのか、いまだに答えは出ません。
「手続き」の裏にある人生のドラマ
登記も遺言も、ただの法的な処理ではありません。その背後には、誰かが悩み抜いた末の決断がある。震える手は、まさにその「決断の重み」を物語っていました。私たちはそれを見逃さず、受け止めるしかないのです。
事務員が見た一瞬の表情──二人三脚の現場
私の事務所には事務員が一人います。長年の信頼関係がある彼女は、依頼人のちょっとした仕草にも気づいてくれます。あの日も、彼女がそっとお茶を差し出したとき、依頼人が一瞬だけほっとしたような表情を見せました。
同じ空間にいる他者の存在の大切さ
司法書士一人では気づけないこともあります。事務員の気遣いや、ちょっとした声かけが、場の空気を和らげることがあります。だから私は、彼女の存在を心からありがたく思っています。
愚痴を言える相手がいるかどうか
事務員とは時々、仕事の愚痴をこぼし合います。「今日の人、ちょっと雰囲気重かったですね」と言えるだけで、少し気持ちが軽くなる。そんな何気ない会話が、精神の安定には必要不可欠です。
誰にも相談できない相談業務の現実
私たち司法書士は「相談を受ける側」でありながら、自分自身の相談相手はほとんどいません。内容は守秘義務があるし、仕事の重さを理解してくれる人も少ない。だからこそ、誰にも話せず抱え込むことが増えるのです。
「正確な書類」だけでは済まない相談
依頼人が欲しているのは、正しい登記や申請だけではありません。「自分の決断は間違っていないか」という、心の裏付けも求めているのです。その答えは、六法全書には載っていません。
聴くこと、黙ること、そして寄り添うこと
正論で返すよりも、ただ黙って話を聴く。そんな時間が一番必要だったりします。私たちは時に「司法書士」ではなく、「その人の居場所」にならなくてはいけないのかもしれません。
震える手から学んだ、司法書士としての覚悟
あの震える手を見たことで、私は司法書士としての覚悟をあらためて問われた気がしました。書類の背後にある人の感情にどれだけ寄り添えるか、それがこの職業の質を左右するのだと思います。
形式の奥にある“人の不安”への対応力
法的には正しい手続きでも、心情的には納得できないことがある。依頼人の不安にどう向き合うかは、マニュアルでは教えてくれません。それを見抜くには、日々の観察力と経験がものを言います。
法律の知識より必要なものがあるとき
もちろん知識は大事です。でもそれ以上に、「この人は今、何を感じているか」を察する力が求められます。それを磨くには、毎日の現場に真剣に向き合い続けるしかないのです。
それでもこの仕事を辞めない理由
どんなにしんどい日が続いても、私はこの仕事を辞めようと思ったことはありません。なぜなら、時折見せてくれる依頼人の「やわらかな笑顔」に救われているからです。それがある限り、また明日も頑張ろうと思えるのです。
たった一言に救われる瞬間がある
「先生にお願いしてよかったです」──その一言で、何日分もの疲れがふっと消えることがあります。言葉には力がある。震える手とともに、震える心に寄り添うことこそ、司法書士という職業の本質なのかもしれません。
震える手のその後に見た、やわらかな笑顔
あの女性は、最後に少しだけ笑ってくれました。その笑顔が、この仕事の意味を教えてくれたような気がします。震えていた手が、帰るときには穏やかにバッグを握っていた。それが、何よりの報酬でした。