「静かすぎる事務所」が意味するもの
事務所に鳴り響くのは時計の秒針だけ。電話は鳴らない、来客もない、郵便配達のバイクの音すら待ち遠しい。地方の司法書士事務所というのは、案外こういう日も多いんです。けれどこの「静けさ」、外から見ると「ヒマそう」「仕事ないのかな?」と心配されたり、逆に「あそこは大丈夫か?」と妙な噂を立てられたりもします。今回は、そんな“静けさ”に潜む心理と、現場のリアルを愚痴混じりに語らせてください。
電話も来客もない平日の午後
月曜の午後、デスクに向かって登記の書類をにらみながら思う。「今日は電話、一本も鳴ってないな」と。実際のところ、準備する書類は山ほどあるし、役所への問い合わせやオンライン申請も重なって忙しい。それでも、電話が鳴らない=仕事がない、と見なされるのが世間の目。静かに必死にやってるのに、このギャップが地味につらい。
なぜこんなに静かなのか、自問する日々
「うちって、なんでこんなに静かなんだろう?」と、自分でもふと考えてしまう。行政書士や税理士の事務所には定期的に人が出入りしているのに、こちらは書類のやりとりが郵送やメールで完結してしまう仕事が多い。だからこそ、来客や音が少ない。でも、それが“悪い兆候”だと受け取られてしまうのは、なんともやりきれない。
「忙しそうに見えない問題」とは
司法書士の仕事は目立たない。ぱっと見では忙しさが伝わらない。お客様の目にも、周囲の目にも。「あそこ、最近人入ってないね」と言われてから、自分でも“見た目”を意識せざるを得なくなった。
実際は手一杯なのに、外からはヒマに見える
オンライン申請や契約書チェックなど、内勤仕事に追われる毎日。けれどそれは外からは見えない。事務所の前を通る人には、ただの静かな空間にしか映らない。特に地方では「活気」がないと「ダメな事務所」と言われがち。中身が評価される世界ではないと痛感する瞬間です。
事務所に活気がないと信用も薄れる?
ある日、地元の知人にこう言われた。「あそこ、誰も出入りしてないね。閉めたの?」。そんなつもりはないのに、静か=経営危機みたいな目で見られてしまう。いくら中で真面目にやっていても、それが伝わらない虚しさ。活気ってなんだろう、と本気で考えてしまう。
来客がない=信頼されていない?という思考の罠
来客数=信頼度、というのは短絡的すぎるとは思いながらも、どこかで気にしてしまう。自分でも情けないと思う。でも、誰だって不安になるものです。
地方の司法書士あるある:人目が気になる小さな街
うちの町は狭い。スーパーで立ち話してた相手の噂が、次の日には違う人の口から聞こえてくる。だから「静かね」「お客さん来ないの?」なんて言われると、心に刺さる。特に事務所という看板を掲げていると、妙に注目される。放っておいてほしいのが本音です。
「最近、全然お客さん来てないね」と言われる恐怖
ある日、郵便局で声をかけられた。「先生、最近静かですね。大丈夫ですか?」と。あれは優しさだったのか、皮肉だったのか。どちらにせよ、笑ってごまかすしかなかった。あの時の気まずさ、未だに忘れられません。
隣の行政書士事務所はなぜか人の出入りが多い
お隣の事務所には、なぜか常に誰かが出入りしている。書類の手渡しなのか、相談なのか、世間話なのか。つい比べてしまう自分がいて、情けなくなる。仕事の内容が違うんだとわかっていても、やっぱり気になる。
そもそも、司法書士の仕事は「静か」なのが普通
日々の業務の多くは、パソコンと書類とにらめっこ。静かであること自体が正常であるのに、外からの視線がそれを否定してくる。そんな矛盾とどう向き合うか、悩ましいところです。
派手さはないが、積み重ねが大事な仕事
司法書士の仕事は、表舞台ではない。お客様が安心して家や土地を買えるように、あるいは遺産をきちんと分けられるように、裏方として働く仕事。音も出ないし、動きも少ない。でも、それこそがこの仕事の本質。
「にぎやか=信用されている」とは限らない
にぎやかさは一時的なものでしかない。毎日出入りがあっても、業務が雑では本末転倒だし、トラブルになれば元も子もない。静かだけれど丁寧に。そういう信頼の積み方もあると、信じたい。
事務員にも「ヒマそうですね」と言われてしまう現実
事務員さんに冗談交じりで「今日は電話鳴りませんね〜」なんて言われると、正直ドキッとする。いや、それ、笑えないんですよ。
やることは山ほどあるのに伝わらないジレンマ
登記情報の調査、委任状の作成、役所とのやりとり、電子署名…。とにかく「黙って黙々とやる」ことばかりで、目に見える派手さはない。でも、それを“ヒマ”と思われるのは辛い。自分の忙しさを可視化する方法がほしい。
雇っている以上、暇そうには見られたくない
事務員を一人雇っている以上、雇用主としての責任がある。「仕事がないのかな」と思われれば、不安にもさせてしまう。そうならないよう、見え方にも気を配らなければならない。気を使うのは仕事だけじゃない。
それでもやっていく司法書士という仕事
静かで不安に見えても、やめる気はない。なぜなら、この仕事には自分なりの誇りがあるから。
静けさの中にある責任と重圧
相談も登記も、間違えれば損害が出る。お客様の人生に関わる仕事だからこそ、一つひとつを丁寧に。静かな時間は集中の証でもある。緊張感の中に、司法書士の矜持があると思っている。
ひとりで背負う地方の業務と向き合う毎日
都会なら分業もできるだろう。でもここでは、何でもひとりでやる。営業も、申請も、電話対応も。肩に乗るプレッシャーは大きいけれど、それも含めての地方の司法書士です。
最後に:「静けさ」もまた、司法書士のリアル
今日も静かだ。電話も鳴らない。でも、書類は進んでいるし、お客様のためにやるべきことは山積み。外から見える風景と中の実情は、必ずしも一致しない。だけどそれでいい。それが、司法書士という仕事の現実なのだから。
今日も静かだ。でも、それでも続けている理由
ふと不安になりながらも、この仕事に救われている瞬間がある。感謝の言葉、うまくいった手続き、小さな成功。その積み重ねがある限り、静けさの中でもやっていける。
愚痴りながらも、この仕事に愛はある
正直、愚痴も多いし、不満も山ほどある。でも、どこかでこの仕事が好きなんだと思う。静けさを恐れすぎず、淡々と、誠実に。そんな姿勢で、これからもやっていこうと思う。