静かな時間ほど、なぜか心が休まらない
司法書士という職業を長年続けていると、「忙しい=疲れる」という単純な図式が通用しないことに気づきます。本当に疲れるのは、実は「静かな時間」だったりする。朝から何も電話が鳴らず、メールも来ず、事務所の中が妙に静まりかえっている。そんなとき、なぜかソワソワして落ち着かないのです。心のどこかで「何か忘れてるんじゃないか」「大事な手続きが漏れてるんじゃないか」と、勝手に不安が広がっていく。静寂は、本来休息をもたらすものであるはずなのに、なぜかプレッシャーの正体になることがあるのです。
「何も起きていない」は本当に安心なのか
本来、「今日は何事もないな」という日は安心できるはずです。だけど現実には、その“何もない”こと自体が不安の種になる。特に、月末や決済の近い日だと、「本当に書類届いてるよな?」「今日連絡なさすぎて逆に怖いんだけど…」と、つい余計な考えが頭をよぎる。たとえるなら、嵐の前の静けさを感じてしまうあの感覚に近いんです。何も起きてないからこそ、「このまま何か爆発的な問題が来るのでは?」と構えてしまう。これは、経験を積めば積むほど強まる気もします。
静寂が不安をかき立てる理由
人は、刺激がない状態では自然と内側に意識が向かいます。つまり、音も動きもないと、自分の不安や焦り、心配といった“内なるノイズ”が大きく聞こえてくる。事務所の空調の音だけが響く中、私はデスクに向かって「何かやり忘れてないか?」とスケジュール帳をめくる。そしてその繰り返しが、さらに不安を強化していく。こうした静寂の中の緊張は、肉体的な疲労よりもむしろ精神的にじわじわと効いてくるものなんです。
司法書士という職業の“嵐の前の静けさ”
司法書士という職業は、突発的な業務が少ないようでいて、実は“突発の起こりやすい構造”になっています。たとえば、不動産登記での急なキャンセルや、本人確認書類の不備、まさかの印鑑違い……。そういう爆弾が、だいたい「静かな日」に限って突然やってくる。だからこそ、静けさには独特の緊張感があるんです。油断できない。何もない日は、逆に「今日は何か起こる気がする」と思ってしまう自分がいます。
不動産決済前日の妙な静けさ
決済前日はとにかく不安です。電話が鳴らないと、「まさか金融機関が手続き忘れてる?」「売主側の書類、大丈夫だよな?」と頭がぐるぐるする。実際に、前日に連絡が来ず、当日になって書類の間違いが発覚したこともあります。あのときのヒヤリとした感覚は今でも鮮明です。「静かだったから安心」なんて、司法書士には通用しません。むしろ“静けさ=注意報”くらいの心構えがちょうどいい。
電話が鳴らないことの怖さ
「今日は電話が鳴らないからラクだったね」と言える日は少ないです。というのも、電話が鳴らない=連絡が滞ってる可能性もあるからです。特に、何人かの案件が同時進行している場合、たった一本の電話で全体のスケジュールが崩壊することもある。静けさは快適ではあるけれど、その裏側には「何かが遅れてる」「何かを忘れてるかもしれない」という怖さが常に張りついています。
重要書類が届いていない可能性
郵便が届かない、というのは地味に怖いです。たとえば信託銀行からの書類。いつもなら午前中に来るのに、なぜかその日に限って届かない。午後になってもポストは空っぽ。連絡してみたら「送ったはずなんですけど…」とのこと。結局、別の支店に送られていて当日中には手に入らず、決済が翌日に延期された…という出来事がありました。静けさがそのまま「トラブルの予兆」になると、本当に胃が痛くなります。
「何か忘れているかもしれない」という妄想
人は静かな時間になると、やるべきことが終わっていようが、勝手に「何か忘れてる気がする」と不安になります。私も以前、全ての案件が順調に進んでいた日、午後から無性にソワソワし始め、夜になって過去の登記記録を片っ端から見直す…という無駄な作業に明け暮れたことがあります。何も出てこなかったのですが、あの“妄想”が仕事時間を浸食していくんです。恐ろしいことです。
静かな時間に潜む“プレッシャー”の正体
静寂の中で感じるプレッシャーの正体は、自分自身が作り出していることが多いです。書類や手続きには問題がなくても、「こんなに静かでいいのか?」「本当に大丈夫か?」と、自分で勝手に不安を膨らませてしまう。その背景には、“常に気を張っていないといけない”という職業病のような感覚があります。静かな時間こそ、メンタルの取り扱いが一番難しいのです。
想像力がマイナス方向に全開になる瞬間
司法書士という仕事は、ある意味「最悪のケースを常に想定して動く」ことが求められます。それが経験として身につくと、逆に「何も起きていない」時間に不安が爆発します。「もしかしたら…」という最悪の妄想が暴走する。これは本当にしんどい。実際に何も起きてないとわかっていても、「起きるかもしれない」が離れないのです。
“自分で自分を追い詰める”プロの罠
慎重な姿勢は大事です。でもそれが過ぎると、今度は「安心すること」ができなくなる。静かな日でも、「見落としがあるはずだ」「こんなにうまく行ってるわけがない」と疑い出す。これは完全に“自分で自分を追い詰める”状態。まじめで責任感の強い人ほど、この罠にハマりやすいと思います。私も例に漏れずそのタイプです。
どう付き合うか?静かな時間との向き合い方
この“静かな時間の緊張感”とどう向き合うかは、司法書士として長くやっていく上で避けて通れないテーマです。完璧主義になりすぎず、ミスを防ぐための仕組みを作ること。静寂に不安を感じたときに、どう自分を落ち着かせるか。最近は、「何もないことこそ、ありがたい」と思えるように訓練中です。
静けさに耐えられない自分を責めない
まずは「自分って本当にビビりだなぁ」と自嘲するところから始めます。それで少し気が楽になる。静けさに不安を覚えるのは、ちゃんと仕事に向き合ってる証でもある。そう考えるようにしています。事務員さんにも「今日は静かすぎてちょっと怖いね」なんて声をかけると、場が和んだりもします。
「何もないこと」を確認する習慣を持つ
静かな日にやることは、「何もないことを確認する」こと。これは立派な仕事です。確認作業の時間をしっかり取り、「心配なことがない」状態を見える化するだけで、心のモヤモヤが晴れてきます。気休めじゃなく、ちゃんと効果あります。
ToDoリストを形にして不安を見える化する
手書きのToDoリストでも、デジタルのタスク管理でもいいのですが、やったこと・やるべきことを目に見える形にしておくのが本当に大事。目で確認できれば、想像の暴走を止められます。「やることは終わってる」と可視化できると、自然と落ち着きます。
事務員との「一言確認」をルールにする
「○○の書類、届いてましたっけ?」「はい、今日の朝届いてますよ」――このやり取り一つで、頭の中の不安が一気に消えることがあります。ちょっとしたことでも確認し合える関係を作るのは、精神安定上とても大きな意味があります。
静かな時間が教えてくれる本当のこと
結局のところ、静かな時間には自分の「状態」があらわれます。疲れてるのか、過敏になってるのか、仕事に追われて焦ってるのか。そういうのを、静寂の中でこそ感じ取れる。だからこそ、その時間は無視できない。そして「何もない」がどれだけ貴重でありがたいことか。そんな静寂との付き合い方が、今の僕の大事な課題でもあります。
気づかぬうちに抱えている疲れ
静かな時間にソワソワしてしまうのは、実は心が疲れてるサインかもしれません。なんとなくの不安に過剰に反応するのは、心が緊張しすぎているからです。最近は、そういうときこそ少し早く帰るようにしています。誰にも文句は言われませんし、また明日頑張ればいいんです。
“無事であること”の大切さに気づく瞬間
何も起きていない、というのは本来一番ありがたいことのはず。事故もミスもトラブルもなかった。そうやって「無事に1日終わった」ときに、ようやく静寂のありがたさに気づけます。その境地にたどり着くにはまだまだ修行中ですが、少しずつ「静けさを受け入れる心」も育ってきた気がします。