たった一枚の順番で、全部やり直しになる現実
書類の束を揃えて提出先に向かうとき、まさか「順番が違います」と言われるなんて、考えもしなかった。法律的に問題があるわけでもなく、内容にミスがあるわけでもない。ただ、順番が違った。それだけで受付すらしてもらえず、再提出。あの瞬間の絶望感は、言葉にしづらいものがある。何年やっても、こんな理不尽は慣れない。
提出先で告げられた一言「順番が違います」
役所の窓口で「順番が違いますね。申し訳ないですが、正しい順に直して再度お越しください」と言われた。こちらとしては、すでに封筒に綺麗に入れ、提出するだけの状態だった。それが一瞬で“無効”扱い。内容に誤りがあるならともかく、書類の並び順で門前払い。怒りというより呆れと悲しさが押し寄せた。
封筒ごと返される屈辱と怒り
目の前で封筒ごと突き返される感覚は、何年たっても慣れない。こちらは事務所で時間をかけて準備し、移動時間も含めて半日かけて持ってきている。それが「やり直し」で終わる。ミスしたのはこちらかもしれないけど、もう少し何とかならないのかと思うのは自然な感情だろう。顔は笑っていたけど、心の中では怒りが沸騰していた。
訂正じゃなく“出直し”になる不条理
せめてその場で直させてくれれば…と思った。でも、「窓口ではそういう対応はできません」との一点張り。なぜ修正させるという選択肢が存在しないのか。順番を直すだけ。数分の作業で済む話。でもそれができない。書類業務の“形だけを重んじる文化”に心が折れそうになる。
誰のためのルールなのかと問いたくなる瞬間
この順番ルール、誰のためにあるのか。効率的に処理するため?職員の手間を減らすため?こちらも協力するつもりはある。でもその一方で、ほんの些細なことで突き返される非効率に疑問を感じざるを得ない。もう少し柔軟になれないのだろうか。
融通の利かない世界に心が折れる
司法書士の仕事は“正確であること”が大前提だけど、“柔軟さ”という視点は軽視されがち。窓口もマニュアル通りで、ちょっとした配慮ができない空気がある。現場にいる職員さんも悪気がないのは分かっているけれど、それでも「こんなやりとり、誰も幸せにならないだろ」と思ってしまう。
事前確認していたはずなのに…?
一番悔しかったのは、事前に電話で確認までしていたこと。「この書類と、この証明書が必要ですか?」「はい、それで大丈夫です」と言われたのに、順番についての指示はなかった。つまり“伝えてないけど当然分かってるよね”的な前提。やるせなさと、後悔と、疲労が一気に押し寄せる。
地味だけど地獄、書類提出のリアル
外から見ると“紙を揃えて出すだけの仕事”に見えるかもしれない。でも、実際には膨大な確認、神経のすり減り、そして「まさかの指摘」に備える緊張感がついて回る。ミスは許されないし、再提出はすべての予定を狂わせる。今日はそのリアルを思い知った日だった。
書類の“順番”が狂う背景とその原因
原因を冷静に振り返ると、こちらにも落ち度はある。PDFを印刷した際の順番が意図せず変わってしまっていたのだ。気づかないまま封筒に入れてしまい、結果的に提出順が規定とズレた。それだけで再提出とは…という感情はあるが、次は絶対確認しようと思わせられた。
事務員さんとの連携ミスか、それとも…
事務所では事務員さんに準備をお願いすることもある。今回は自分でやったが、他の日であれば確認しないまま出してしまっていたかもしれない。どれだけ小さな業務でも、最終チェックは自分で行うべき。それが“所長”の責任なのかもしれない。正直しんどいけど。
プリンタの印刷順ミスから始まった悲劇
実はPDFを一括で印刷した際、プリンタの処理順が逆になっていたことに気づかなかった。1枚目のはずが最後に、最後のはずがトップに。日常にありがちなミスなのに、ここまで大ごとになるとは。こんな小さなことが仕事全体に影響するのが、司法書士業務の怖いところ。
時間だけがどんどん奪われていく
再提出のために事務所に戻り、順番を直し、また提出先へ。結局、午前中が丸つぶれ。他の案件の段取りもズレ込み、予定がドミノ倒しに崩れていく。この「一件が他の全てに影響する構造」、本当に何とかならないものか。効率ってなんなんだろう。
片道1時間かけて戻ることのむなしさ
地方で仕事をしていると、提出先まで1時間かかるのもザラ。行き帰りで2時間。順番直すだけでこの時間が消える。移動中、「自分は一体何をしてるんだろう」と考えずにはいられなかった。誰にも迷惑かけてないつもりが、迷惑そのものになっているかもしれない自責の念もある。
こういうとき、どう心を保つのか
怒っても仕方がないし、落ち込んでも仕事は待ってくれない。でも、心のどこかに“折れかけてる自分”を自覚しないと、いつか完全に壊れてしまいそうになる。司法書士って、孤独な仕事だと改めて感じた。
感情のやり場がない司法書士という仕事
感情を吐き出す場がない。事務員さんにも言えず、クライアントにも見せられず、SNSで愚痴ることすら憚られる。司法書士って、なぜこんなに“黙って耐える前提”なんだろう。もう少し、どこかで弱音を吐ける文化があってもいいのではないかと思う。
怒りをぶつけられないフラストレーション
怒るべき対象がいない。窓口の職員さんも悪くない。自分も完全に悪いわけではない。でも、どうしようもなく腹が立つ。この行き場のないフラストレーションを抱えたまま、次の案件に向かわなければならない。体力よりも、精神力が試される仕事だ。
小さなことで信用を落とす怖さ
再提出=ミス、と思われる。特に役所や法務局では「あの事務所はちょっと…」と陰で言われてないか気になる。たとえ原因が順番のズレだけでも、それが“いい加減”という印象につながる可能性がある。信用で成り立っている仕事だからこそ、こういうミスが一番怖い。
「雑な事務所だと思われたかも…」という不安
どんなに丁寧に仕事していても、一度のやり直しで“雑”とレッテルを貼られる可能性がある。特に、こっそり修正して再提出するのではなく、窓口で拒否されたという事実が残るのがキツい。司法書士という仕事の“評価されにくさ”を思い知らされる。
後輩や志望者に伝えたい、実はここがしんどい
司法書士の魅力を語る人は多い。でも、本当にしんどいのはこういう「地味で、誰にも評価されないプレッシャー」と「理不尽に潰されそうになる日々」だと伝えたい。やりがいはある。でも、その裏にはこうした“誰にも見えない消耗”があることも、ちゃんと共有しておきたい。
「知識」よりも「気配り」と「気力」が問われる
試験に合格するには知識が必要。でも、実務で求められるのは“知識”よりも“気配り”や“精神的な持久力”だったりする。順番一つにまで目を配り、何が起きても感情を出さずに対応する能力。それって実は、かなり高度なスキルだ。
完璧を求められるけど、人間は間違える
司法書士は“完璧”であることを求められる。でも、人間である以上、ミスはゼロにできない。そのギャップに苦しみながら、それでも次の仕事を続けるしかない。今回の「順番が違うだけで出直し」事件は、そんな現実を突きつけてきた一日だった。