頑張りすぎた私を止めてくれた、たった一言

未分類

頑張りすぎた私を止めてくれた、たった一言

あの日の一言が、今でも心に残っている

「そこまでしなくていいですよ」。たったそれだけの言葉なのに、あの時の私はその一言に涙が出そうになった。誰かが自分の“やりすぎ”に気づいてくれて、しかもそれをそっと伝えてくれる――そんな経験、司法書士として働いている中では滅多にない。逆に、やって当たり前、できて当然と思われがちで、「ありがとう」すらもらえないこともある。そんな日々の中で、不意に投げかけられたこの言葉は、まるで心のどこかに刺さっていた棘を抜いてくれるようだった。

「そこまでしなくていいですよ」——予想外の言葉

ある日、相続登記の相談に来た女性からの一言だった。提出書類のチェック、必要になりそうな書類の下調べ、役所への連絡まで全部こちらでやろうとしていた私に対して、彼女は申し訳なさそうにこう言った。「先生、そこまでしなくていいですよ。私たちでできることはやりますから」と。最初は拍子抜けした。こちらとしては、当然の“親切”だと思っていたからだ。

依頼人の言葉に戸惑う自分

「え?そこまで…?」と内心思いながらも、よくよく考えると、自分がどれだけ前のめりになっていたかに気づかされた。まるで、自分がやらなきゃ全てが崩れるかのような気持ちで、すべてを抱え込んでいたのだ。でも、実際には依頼人だって、できることはあるし、協力する意思もある。こちらの“やりすぎ”が、相手の自立や気持ちを無視していたことに気づかされた瞬間でもあった。

その一言が胸に刺さった理由

自分を認めてほしかったのかもしれない。「頑張ってますね」って。だから、必要以上にやって、結果的に空回りしていた。でも、「そこまでしなくていい」という言葉は、責めるでも、否定するでもなく、ただ優しくブレーキをかけてくれた。それが逆に沁みたのだ。

誰にも見えない“司法書士のサービス精神”の暴走

司法書士という仕事は、法律に基づいた事務処理だけをやっていればいい、というわけではない。人の死、相続、家族の問題といった、繊細な場面に関わることも多く、ついつい気を利かせすぎてしまう。私自身、「ここまでやるのが誠意だろう」と思い込んでいた。

求められていないのに、勝手に背負ってしまう

依頼人が何も言わないのをいいことに、自分で勝手に「ここまではやってあげるべき」と判断して突っ走る。もちろん善意ではあるが、その分自分の負担は増えるし、もしそれで感謝されなかった日には、「なんでここまでやってるのに…」と心がすり減っていく。

「プロとして当然」は誰のため?

よく言われる「プロとして当然の姿勢」というやつ。私もよく使っていたし、思っていた。でも、それって本当に依頼人のためだったのか?

勝手に設定した「完璧ライン」

“ミスは許されない”、“丁寧さで勝負”――そんな理想像を自分で作り上げて、それにがんじがらめになっていた気がする。ミスしないために夜中まで書類を見直し、効率よりも完璧さを優先してしまう。結果、疲弊して、誰のための仕事か分からなくなっていた。

結局、自分で自分の首を絞めている

どこかで「そうしないと選ばれない」「他の司法書士に仕事を取られる」という焦りもあった。だから余計に、誰にも負けないように、やりすぎる。でも、それが長続きするわけがない。自分で自分を追い詰めていたことに、ようやく気づいた。

一人事務所の“見えないブラック”

地方で小さな司法書士事務所をやっていると、外からは分からない“ブラック労働”が蔓延している。誰にも監視されない代わりに、誰にも守られていない。

事務員がいても、結局は「全部自分」

確かに一人事務員さんはいるけれど、実際の判断や責任は全部自分。間違いがあったときに謝るのも、謝られるのも、全部自分。気が抜けない毎日が続く。

誰にも相談できない日々

同業の仲間もいるにはいるが、相談できるような関係性ではなかったりする。皆それぞれ自分の事務所で必死にやっていて、愚痴をこぼす相手がいない。

ミスしたくない気持ちが、神経をすり減らす

たった一文字の間違いで補正が必要になる。登記の世界は厳格だ。だからこそ、「完璧にしなければ」という思いが強くなり、常に緊張している。これがまた、地味にしんどい。

「助けようとしてくれる人」は、意外と依頼人だったりする

私は勝手に「依頼人=こちらが守る存在」と思い込んでいた。でも時々、その逆になることがある。向こうのほうが人としての余裕を持っていて、こっちを助けてくれるのだ。

依頼人の優しさに救われた瞬間

「先生、忙しいんでしょう?ゆっくりで大丈夫ですよ」なんて言われた日には、不覚にも涙が出そうになる。こちらの苦労を察してくれる優しさに、救われる。

“やりすぎ注意”のサインとしての言葉

「そこまでしなくていいですよ」には、「あなた、ちょっと無理してるよ」というサインも含まれていた。あの一言をきっかけに、自分の働き方を見直すきっかけにもなった。

「感謝」は、時に制止にもなる

本当に感謝している人は、こちらに負担をかけすぎないように配慮してくれる。そう考えると、依頼人のやさしさは“ありがとう”の形をしたブレーキなのかもしれない。

あの言葉のあと、少しだけ力を抜けるようになった

全てを抱え込んで、潰れそうになっていた自分が、少しずつ肩の力を抜けるようになった。もちろん今でも、性格上やりすぎることはある。でも、あの言葉を思い出すことで、ふと立ち止まれるようになったのだ。

「全力」をやめるのにも、勇気が要る

手を抜くこと=悪、と思い込んでいた。でも本当は、ほどよく力を抜くことこそがプロの技術なのかもしれない。依頼人との信頼関係があれば、完璧でなくても大丈夫なこともある。

人に甘えることが苦手な司法書士たちへ

私自身もそうだが、司法書士は“真面目すぎる”人が多い。人に頼れず、自分だけで抱え込む。その結果、心も体も壊してしまう。だからこそ、「そこまでしなくていい」という言葉を、時には自分で自分に言ってあげてほしい。

無理しないことは、手を抜くことじゃない

適度な休憩、適度な手放し。それは“逃げ”ではない。“戦い続けるための戦略”だと、今なら思える。

「そこまでしなくていいですよ」の価値

この一言の持つ力は、予想以上に大きい。もし今、がんばりすぎて息苦しくなっている司法書士がいたら、この言葉を思い出してほしい。そして、自分自身に向かって言ってみてほしい。「そこまでしなくていいよ」と。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

未分類