「相談される人」になるということ
誰かに頼られることは嬉しい——はずだった
司法書士として開業して最初の頃、頼られることに喜びを感じていました。特に「司法書士って何をしてくれるのか?」と疑問に思う人たちに、少しでも役に立てることに喜びを感じていました。「困った時に助けてくれる存在」になれたと感じ、これが本当にやりがいのある仕事だと思っていました。しかし、時間が経つにつれ、その気持ちはだんだんと変わっていきました。
最初は「役に立てた」で満たされた
初めての相談があったときのことを今でも覚えています。「法的な書類を作成したいけれど、どうしていいかわからない」というお客様に対して、自分の知識が役立ち、解決に導けたことは、まさに「ありがとう」と感謝の言葉をいただき、嬉しかったです。その瞬間、自分の仕事に対する自信が深まり、「役に立てる」という思いがますます強くなったのです。
それでも、相談の数が増えるたびに心が重くなる
答えを出さなきゃ、という無言のプレッシャー
頼られることが増えると、次第に「答えを出さなければならない」というプレッシャーが重くのしかかってきます。正直、すべての相談に対して自信を持って答えられるわけではありません。悩みが深ければ深いほど、その責任感が増して、答えが間違っていたらどうしようと心配になり、眠れなくなったこともあります。
「あの人に聞けばいい」と思われる怖さ
また、相談される回数が多くなると、知らないうちに「頼れる人」というイメージが定着してしまいます。最初は「気軽に聞いてもらえれば」と思っていたのに、気づけば、「あの人に聞けば必ず正しい答えがもらえる」という期待を持たれている自分がいます。このプレッシャーが、最初は喜びだったものの、次第に重荷に変わっていきました。
断れない性格が招く“善意のブラック労働”
私はもともと人に頼まれると断れない性格です。そのため、どんなに忙しくても、頼まれればできる限り応えようとしてしまいます。しかし、これが後々「善意のブラック労働」を生むことになるとは思いませんでした。依頼がどんどん増えて、仕事の範囲が広がり、気づけばプライベートの時間すら犠牲にしていたことがありました。頼まれることが当たり前になってしまい、断る勇気もなくなっていったのです。
他人の悩みが、自分の不安とリンクしてしまう
自分が答えを出せる範囲の限界
司法書士という職業は、専門的な知識を持っていないとできません。だからこそ、相談されたときには「自分の知識で解決できる」と思い込んでいました。しかし、ある日、どうしても解決できない難しい相談を受けたとき、自分の限界を感じました。自分が答えを出すことができないと、責任を感じてしまい、どうしても不安が募ります。
自分自身も迷いながらやっているのに
また、私自身も悩んでいることが多いです。例えば、法改正があったとき、どのように対応すべきか迷うこともあります。そんな時に、相談を受けて答えを出さなければならないという立場になり、内心では「本当にこれが正しいのだろうか?」と不安を抱えながら答えることが多いのです。
相談を受ける側に起きる「孤独」
「誰かに相談したい」と思っても、相手がいない
他人の相談に乗りながら、次第に自分が相談できる相手を見つけるのが難しくなっていきました。周囲には「あなたが頼られる立場だから」という理由で、自分の悩みを話せる人がいないという孤独感に苛まれました。これまで相談されることに喜びを感じていたはずなのに、今では逆にそれが負担になり、誰にも頼れない辛さを感じることがあります。
“先生”というラベルが自分を縛る
さらに、「先生」と呼ばれることにも慣れてしまい、いつしかそのラベルが自分を縛ってしまっていると感じるようになりました。完璧でなければならないという思い込みが強くなり、弱音を吐くことができなくなりました。理想と現実のギャップに悩みながら、心の中では自分の苦しさに誰も気づいてくれないことに、ますます不安を感じていました。
弱音を吐くと信頼を失うのでは、という恐れ
もしも自分が「実は不安でいっぱいなんです」と打ち明けたら、お客様や周囲の人々がどう思うだろうかという恐れが常に頭をよぎります。信頼を失ってしまうのではないかと心配するあまり、ますます一人で抱え込むことになってしまうのです。
司法書士という仕事の性質と“相談疲れ”
常に「正解」が求められる職業の重圧
司法書士という仕事は、間違えられないというプレッシャーが常にあります。お客様の人生に関わる重要な手続きを行っているわけですから、「正解」が求められるのは当然です。しかし、常に正しい答えを出し続けなければならないというプレッシャーが、次第に精神的な負担となり、「相談疲れ」を感じるようになりました。
気づけば、事務員にも気を遣わせていた
そして、気づけば事務員にも気を遣わせてしまっていたことに心が痛みます。私自身が忙しすぎて、彼女に頼みごとが多くなり、彼女の負担も大きくなっていることに気づきました。私は本来、事務員をサポートすべき立場なのに、逆に助けてもらっていることに罪悪感を感じています。
それでも「優しさ」は捨てたくない
愚痴を言いながら、なんだかんだで応えてしまう理由
確かに、愚痴を言いながらも、相談に応えてしまう自分がいます。それでも、やっぱり「役に立てた」と感じたときには、心の中で満足感を覚える自分がいるからです。自分の優しさを捨てることはできません。そんな自分を受け入れつつ、少しずつバランスを取っていく方法を模索しているところです。
頼られることに感謝している自分も確かにいる
結局のところ、頼られることに感謝している自分もいるのです。自分の知識が役に立ち、他の人の生活が少しでも楽になると考えると、それはやりがいでもあり、嬉しいことです。だからこそ、この仕事を続ける意味があるのだと思っています。愚痴を言いながらも、この仕事に誇りを持ちながら前進していくしかないのです。