“頼れる司法書士”って、誰が決めたんだろう
日々の業務に追われながらふと手を止めた瞬間、そんなことを考えてしまう夜がある。「頼れる司法書士」——よくネットやチラシの見出しに出てくる言葉だけど、それって一体誰が決めた評価なんだろうか。自分の中では、まだまだ不完全で、むしろ失敗も多い。だけど、依頼人からは「先生に頼んでよかった」と言われたりもする。その言葉が嬉しい反面、本当にそう思ってもらえているのか、不安になる自分もいる。
周囲が思う「理想像」と自分の現実
「知識が豊富で、仕事が早くて、ミスしない。」そんな理想像が司法書士には求められている気がしてならない。だけど、実際には調べ物に時間がかかったり、法務局に何度も確認の電話を入れたりしている。表に出ない部分は、案外泥臭い。見た目だけではわからない裏側にこそ、悩みの種がある。
褒められても素直に受け取れない理由
「すごく助かりました!」と感謝されることはあるけど、それを素直に受け取れない。心の中では「本当はもっと良いやり方があったかもしれない」と自分を責めている。事務員にも「そんなに落ち込まなくても…」と言われるけど、なんだか納得できない。完璧主義が悪さしているのかもしれない。
仕事は山積み、それでも頼られる日々
朝から晩まで電話とメールに追われ、登記の書類作成も次から次へとやってくる。気がつけば昼ご飯も食べ損ねていたなんてこともよくある。それでも「○○さんから紹介されたので…」と、新しい依頼が来る。「頼られる」ことはありがたいけど、その重みが肩にずしりと響いてくる。
相談が絶えないことへのプレッシャー
「これ、どうすればいいですか?」という相談が連日続く。その都度、「間違えたらどうしよう」「他の司法書士ならもっと良い対応ができたかも」と思ってしまう。特に相続や会社関係の登記は、感情も絡んでくるから余計に神経を使う。
忙しい=信頼されている?
一見すると「忙しい=信頼されている」という構図に見えるけど、実際は「断るのが下手で引き受けすぎているだけ」という面もある。自分のキャパを超えて抱えてしまい、結果的に納期がギリギリになってしまうこともある。
事務員に救われる瞬間
「先生、コーヒーでも飲んでください」とそっと差し出された一杯に救われることがある。うちの事務員は本当に気が利くし、私より冷静なときもある。ミスを見つけてくれるのも彼女のほうが早かったりする。独りじゃとっくに潰れていた。
“自信が持てない司法書士”のリアル
「プロなんだから自信を持て」と言われるけれど、自信なんて一朝一夕で持てるものじゃない。毎日、どこかで「これでよかったのか?」と自問している。司法書士って、見た目以上に精神的な重圧が大きい職業だと思う。
他の司法書士と比べてしまう日
SNSで同業の先生の投稿を見て「この人すごいな…」と落ち込むこともある。講演に呼ばれたり、メディアに出ていたり。自分はそれに比べて、地方の一事務所でせかせかと毎日働いているだけ。そんな自分が“頼れる”だなんて、本当に言えるのか。
「あの人ならこうするんだろうな」と思ってしまう癖
判断に迷ったとき、つい「他の司法書士なら、どうするかな」と考えてしまう。自分の判断に自信が持てないからだ。でも結局、その場の責任を負うのは自分自身。だからこそ、「これがベスト」と思えるようになるには、経験以上に勇気が要る。
ミスを恐れる気持ちと向き合う
どんなに確認しても、どこかにミスがあるかもしれない。それが怖くて、書類を何度も見直してしまう。寝る前に「あの箇所、間違っていなかったか…」と不安がよぎることもある。ミスをしてしまったら、それが信頼を壊すことに直結する。
完璧主義が仕事を遅らせる
完璧を求めすぎて、結果的にスピードが落ちる。「もっと早く終わらせておけばよかった」と後悔する。でも妥協もできない。効率と正確さのバランスが、本当に難しい。
それでも間違えるのが人間だと開き直れたら
少し前に、大きなミスをした。法務局への提出内容に不備があり、依頼人にも謝罪することになった。あのときは本当に落ち込んだ。でも、「誰でもミスはある」と言ってくれた依頼人の一言に救われた。あれ以来、少しずつ「完璧じゃなくてもいい」と思えるようになった。
“頼られる”ことに潜む落とし穴
「この人なら大丈夫」「安心して任せられる」——そう言ってもらえるのは嬉しい。でも、それに応えようと無理をしてしまうと、いつか自分が壊れてしまう。期待に応えることは大事。でも、それで自分を潰しては意味がない。
いつの間にか「いい顔」ばかりしていないか
つい「それ、やりますよ」と言ってしまう。断るのが苦手で、結果的に仕事がどんどん積み上がる。家に帰るのが毎日22時過ぎ。ふと、「自分の生活、これでいいのか」と思う。
断れない自分に苦しむ
本当は「それは対応できません」と言いたい場面もある。でも、言ったら失望されるんじゃないかと怖くて言えない。断れない自分に一番疲れている。
「頼られる人=断れない人」ではない
最近、やっと「全部を引き受けることが頼れるってわけじゃない」と気づき始めた。必要な時に「できません」と言えることもまた、信頼につながるのかもしれない。
本当に“頼れる”って何なのか
改めて考える。「頼れる」って何だろう。完璧さ?速さ?それとも人間味?実は、ミスをした後の対応や、親身な言葉のほうが信頼を生むこともある。
技術?経験?それとも話を聞く力?
登記の知識が豊富で処理能力が高いだけでは足りない。依頼人の話をしっかり聞いて、気持ちに寄り添うことの方が大事な場面も多い。「ちゃんと聞いてくれた」と言ってもらえること、それが何よりの評価だ。
「安心感」はどう生まれるのか
派手な実績ではなく、小さな気配りや言葉の選び方が「安心感」を生む。うちの事務所は派手じゃないけど、できる限り丁寧に対応する。それだけは大事にしている。
愚痴をこぼしながら続けていくという選択
正直、辞めたいと思ったことは何度もある。でも、それでも続けているのは、どこかにやりがいがあるからだと思う。愚痴を言いながらでも、続けられる仕事って、そうそうない。
ネガティブな気持ちを抱えていてもいい
「ポジティブじゃなきゃだめ」という風潮は苦手だ。むしろ、弱音を吐けるからこそ続けられる。心の奥では、どこかでこの仕事が好きなんだと思う。
それでも辞めなかった理由
いろいろあったけど、やっぱり依頼人に「ありがとう」と言ってもらえると、報われた気がする。その一言のために、今日もまた机に向かっている。
司法書士を目指す人に伝えたいこと
これから司法書士を目指す方には、綺麗な面だけじゃなく、こういう現実も知ってほしい。でも同時に、不安や迷いがあっても、続ける価値のある仕事だとも伝えたい。
不安があるのは当たり前
自信満々な司法書士なんて、実はあまりいない。みんな内心は不安を抱えている。それでもやっていけるのは、「人の役に立っている」という実感があるからだ。
完璧じゃなくても人は助けられる
完璧じゃないからこそ、親しみを感じてくれる依頼人もいる。あなたの弱さが、誰かの安心につながる日もある。そう信じて、一歩ずつ歩いていけばいい。