信託契約の最中に起きた、ちょっとした異変
あの日の午後も、例によってバタバタと事務処理に追われていた。時間ぴったりに来所された依頼人は、50代後半の男性。信託契約の締結を希望されていて、書類はすべて揃っているとのことだった。こちらも段取りよく進めるつもりでいたのだが、契約説明の途中、依頼人のスマートフォンが突然鳴り始めた。しかも、何度も、何度もだ。
静寂を破ったのは、依頼人のスマートフォンだった
最初は「着信音が鳴るのも仕方ない」と思った。誰にでも急な電話はある。しかし、3回目、4回目と鳴り続けると、こちらとしても無視できない空気が漂う。依頼人は慌てる様子もなく、むしろ妙に落ち着いていたのが、逆に気になった。
「すみません、無視していいです」その一言に違和感
「あ、大丈夫です。無視していいんで」と笑いながら言った依頼人の表情は、どこか強張っていた。電話に出ないことを選んだのではなく、“出られない理由”があるのではと勘ぐってしまった。だがこちらは司法書士。そこに立ち入る資格があるのか――ふと、そんな葛藤が頭をよぎった。
司法書士としての“察知力”と“踏み込みづらさ”
仕事柄、言葉には表れない感情や、微妙な空気を読み取ることもある。しかし、それを言語化して相手に伝えるのは、とても難しい。特に、プライベートな領域に踏み込むとなると、なおさらだ。契約書の読み上げは進むのに、心の中では「これでいいのか」とざわついていた。
違和感に気づいても、聞けないのが現実
依頼人に「何かありましたか?」と聞く勇気があればよかったのかもしれない。でも、その一言は、信託契約とはまったく無関係だ。余計なお世話と思われるかもしれないし、何より、相手の表情には「触れられたくない」雰囲気がにじんでいた。こちらも人間だ。空気を読みすぎて、何も言えなくなることだってある。
信託は“信頼”が前提なのに、言葉が届かない矛盾
「信託」とは信じて託す契約であり、当事者間の信頼関係が大前提になる。それなのに、当人が何かを隠しているような、もしくは逃げているような空気が流れているのは皮肉なことだ。プロとして割り切るしかないと思いつつも、やはり心は晴れなかった。
契約の進行とともに深まるモヤモヤ
スマホは結局、契約終了までに7回鳴った。着信音は同じ番号からのものだった。通知を伏せたスマホを伏し目がちに机の上に置く依頼人。その横顔がずっと気にかかっていた。契約の進行とともに、こちらのモヤモヤも深まっていく。
形式どおりに進めるしかない、虚無感
書類を読み上げ、説明を加え、署名捺印をもらう。このルーチンが、いつも以上に味気なく感じられた。相手の本心が見えないまま、ただ法的に整えていく作業にどこか虚しさを感じてしまったのは、自分がまだ甘いからだろうか。
「このままやっていいのか」という葛藤
この信託契約は、本人にとって本当に納得の上で行われているのか?――その疑念は拭いきれなかった。本人確認や意思確認はすべて済んでいる。だが、それでもなお「何か」が引っかかっていた。
スマホの主からの着信と依頼人の沈黙
誰からの電話なのか、最後まで依頼人は語らなかった。そしてこちらも聞かなかった。その沈黙の間に漂う空気が、今でも忘れられない。契約の場で、これほど感情的な揺れを感じたのは久しぶりだった。
“誰からですか?”と聞けない立場
個人的には「家族ですか?」と尋ねたい気持ちがあった。だが、それを聞いてしまえば、立場を超えた“人としての介入”になってしまう。特に司法書士は中立であることが求められる職業。踏み込むことは、プロとしての境界線を越えることでもある。
沈黙の裏にあった家族との亀裂
後からわかったことだが、あのときの着信は、疎遠になっていた息子さんからのものだったらしい。何年も会っていなかったという。その事実を聞いたとき、あの場の空気の重さの理由が、少しだけ腑に落ちた。
信託契約の“正解”がわからなくなる瞬間
制度としての信託は、たしかに人を助けるものだ。だが、「本当にそれでよかったのか?」と問われると、すぐに答えは出せない。今回はまさに、制度の限界と、司法書士としての非力さを突きつけられた出来事だった。
契約書に押された印鑑の重み
契約書に最後の印鑑を押す依頼人の手が、ほんの少し震えていた気がする。見間違いだったかもしれない。だが、もしその手に迷いがあったのだとしたら――それでも私は、書類を受け取るしかなかった。
職責と良心のはざまで揺れる判断
「契約は正しく完了した。でも、どこか後味が悪い」――この感覚は、他の司法書士にもきっとあるだろう。職責を全うしながらも、心の中では「何かできたんじゃないか」と思ってしまうのが、この仕事の難しさでもある。
誰のための契約か、もう一度考えてみる
信託契約は、本人の意思を尊重し、将来に備える制度。でもそれが本当に「本人のため」になっているのか、時にわからなくなることがある。形式と実情のギャップに、自分が潰されそうになる瞬間だ。
制度と現実のギャップに疲れてしまう
毎日のように契約書と向き合っていると、心が麻痺してくることがある。人の感情よりも、形式を優先してしまうことに慣れてしまうのだ。そのことに気づいては、また自己嫌悪に陥る。この繰り返しに、正直疲れる。
それでも、やめられない理由
それでもこの仕事をやめようと思わないのは、たまに「先生に頼んでよかった」と言ってもらえるからかもしれない。報われる瞬間は少ない。でも、その一言が心に残って、また次の仕事へ向かう力になる。