え、話が違う?──書類の1ページ目と2ページ目が食い違うときの落とし穴

え、話が違う?──書類の1ページ目と2ページ目が食い違うときの落とし穴

あれ…?ページが進むたびに違和感が

登記書類って、だいたい似たような形式だし、確認もルーティンになってる。でも、油断すると痛い目に遭う。ある日、いつものようにA4書類の束を受け取って、中身を確認していた。1ページ目を見て「よし、売買登記ね」と手続きを進めていった。でも、ページをめくるごとに、妙な違和感がにじんでくる。2ページ目の内容がどうも1ページ目と一致していない。こういうとき、嫌な予感ってだいたい当たる。結局、重大な不一致が判明して、全部やり直し。正直、あの瞬間の血の気が引く感じは、何度経験しても慣れない。

1ページ目を信じた私がバカだった

1ページ目には「登記原因:売買」とはっきり記載されていた。だから「ふつうに売買の登記ね」と、こちらも疑わずに準備を始めた。でも2ページ目を見た瞬間、膝がガクッとなった。原因の説明が「贈与による所有権移転」と書かれている。え? どっちが正しいの?って混乱するけど、問題はそこじゃない。すでに登記申請の準備も進めてしまっていたこと。しかも、スケジュールはぎっしり。こうなると、修正するにも時間も労力も倍かかるし、精神的ダメージも半端じゃない。

「登記原因:売買」と書いてあったのに…

実際に見たその書類、1ページ目では「売買契約日」も「売主」「買主」もきっちり書かれていた。だから何の疑いもなく「売買」と思い込んでしまった。でも、2ページ目以降で登場する用語や背景説明は、どう見ても「贈与」の話。よく見ると、どうやら複数のテンプレートが混ざっている。これ、たぶん誰かが前の書類を流用して間違えて印刷したんだろうけど、気づかないと命取りになる。登記の原因が違えば、必要な添付書類も、登録免許税も、全部変わってくる。つまり「やり直し」確定。あの脱力感、忘れられない。

2ページ目でいきなり「贈与」ってどういうこと?

2ページ目を開いた瞬間の、あの「えっ?」という衝撃。まるで、サスペンスドラマのどんでん返しを食らったような感覚だ。いきなり「贈与契約書に基づき…」と書かれていた時には、頭の中が真っ白に。依頼人に確認する前に、まずは自分の目を疑ったよね。「まさか印刷ミス?いや、私の見間違い?」とパニックになりつつも、現実は無情だった。依頼人も「え?贈与じゃないですよ?」と口をそろえる。お互い「話が違う」と困惑している時点で、すでに手遅れ感が漂っていた。

依頼人に確認しても「そんなはずない」の一点張り

結局、依頼人に電話して「1ページ目と2ページ目で書いてあることが違うんですが…」と伝えたら、「え?全部売買でお願いしてますけど?」と戸惑い気味の返事。でも、その後に「知り合いの不動産業者に任せてるので、書類はそちらで用意されてると思います」とのこと。つまり、本人も内容をちゃんと見ていなかった。よくある話だけど、こうなると誰も責任を取ろうとしない。結局、書類のチェック不足をカバーするのはこっちの仕事。しんどいよ、ほんと。

誰が間違えたのか、真犯人探しの始まり

こうなると「誰がどの段階で間違えたのか」を探し出す作業が始まる。でも、これがまた大変で、しかも徒労に終わることも多い。仲介業者、依頼人、司法書士の三者で責任のなすりつけ合い。メールのやり取りを遡っても「売買」と「贈与」の使い分けが曖昧だったり、添付資料のファイル名が適当だったりで、決定的な証拠がない。結果として、「今後はもっと気をつけますね〜」という、なんともフワッとした締め方で終わる。いや、今後じゃなくて、今回が問題なんだけどね。

司法書士が悪者にされがちな現場の空気

こういうトラブルが起こると、どうしても「書類のプロ」であるこちらが最終責任者のように扱われる。正直、腑に落ちない。でも、依頼人の不安を取り除くためには、こちらが冷静に対応するしかない。とはいえ、内心では「こっちのせいにするなよ!」と叫びたくなる。どうしても司法書士って「見落とし=責任」とされやすくて、納得いかないことも多い。しかも、こちらは1人で事務所を切り盛りしてるわけで、誰も愚痴を聞いてくれない。せめて猫でもいればなぁと思う。

なぜこうした食い違いが起きるのか

この手のトラブル、実は珍しくない。複数の人間が書類作成に関わると、伝言ゲームのように内容が歪んでいく。特に、事前説明やメールでのやり取りが不十分だと、誤解が誤解を呼んでとんでもないことになる。こちらとしては、すべて確認しておきたいのだけど、時間も人手も限られている。すべての書類を1枚ずつ精査するのは、現実的には難しい。けれど、やらないと痛い目を見るというジレンマに、いつも頭を抱えてしまう。

複数の担当者が関わる書類は要注意

不動産の売買や相続など、大きな取引になると、関係者は増える一方だ。売主、買主、仲介業者、金融機関、税理士、場合によっては家族まで登場する。そうなると、誰かが「これで大丈夫」と思って出した書類が、実は別の人の認識とズレている、なんてことも起こる。誰も悪気はないんだろうけど、その結果、こちらが振り回される。せめて「この書類は誰が最終確認しましたか?」って一言書いておいてくれたら、ずいぶん助かるのに。

銀行・不動産業者・依頼人、それぞれ言い分が違う

とにかく面倒なのが、関係者全員の言い分がバラバラなこと。銀行は「業者さんに渡してます」、業者は「依頼人からもらったものです」、依頼人は「全部そちらでチェックしてると思ってました」。この無限ループのような責任回避ゲームに巻き込まれると、正直もうやる気がなくなる。誰か一人でも「ごめん、ミスです」と言ってくれたら救われるんだけど、現実はそう甘くない。書類一枚で、こんなにも消耗するなんて、司法書士って割に合わない仕事かもしれない。

修正依頼をすると「こちらの責任ではない」の連発

間違いを指摘して修正をお願いすると、まず返ってくるのが「うちは関係ありません」「こちらでは直せません」といった冷たい反応。こっちだって責めたいわけじゃない。でも、修正しないと登記は出せない。何度も電話をかけ、何度も同じ説明をし、それでも進まない。この非効率さ、まるで昭和の役所。こちらが折れて、代筆したりフォーマットを修正したりすることもあるけど、本来それって司法書士の仕事じゃないんだよなぁ…と思いながら、今日もプリンターの前でため息をついている。

誰にも責められない。でも誰も助けてくれない

こうして今日も、1枚の書類に翻弄されながら、仕事を終える。誰が悪いわけでもない。でも、誰も助けてくれない。事務所に戻ると、デスクの上には次の登記書類の山。夕食はコンビニのおにぎり。気づけばもう夜9時。ふと「何やってんだろうな…」って独り言がこぼれる。でも、それでも仕事は止まらない。明日も、きっとどこかのページが間違ってる。それを見抜くのが、今の自分の仕事なんだ。

独身の司法書士が深夜に叫んだ言葉

「なんで俺が全部抱えるんだよ…」って、深夜の帰り道で思わずつぶやいたことがある。誰かに聞かれたら恥ずかしいけど、その時はもう限界だった。孤独だし、プレッシャーもある。だけど、責任感だけでなんとか踏ん張ってる。誰にも頼れないけど、誰かに感謝される瞬間もある。だから、やめられない。たぶん、こういう気持ち、同業の人なら分かってくれるはず。いや、分かってほしい。

「なんで俺が全部抱えるんだよ…」

このセリフ、仕事中に何度心の中でつぶやいたか分からない。依頼人の質問、業者の確認不足、銀行の対応遅れ、全部こちらに押し寄せてくる。事務員さん一人じゃ手が回らないし、自分も人間だからミスもする。でも、それを許してくれる余裕がこの業界にはあまりない。「完璧」を求められながら、「無理です」とも言えない。そのストレスが積もり積もって、つい口から出てしまう。「なんで俺が…」

それでも明日も登記を出しに行く

愚痴ばっかりこぼしても、朝が来ればまた書類が届く。そして、また登記所へ足を運ぶ。間違いを見つけ、直して、誰かのために動く。その繰り返し。でも、たまに「ありがとう、助かりました」と言われると、なんだかんだで報われる気もする。誰にもモテないし、休日も少ないけど、それでも今日も書類と向き合ってる。この仕事、悪くないかもな…なんて、たまには思ったりもする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。