出会いの数より、登記の件数が多い人生──司法書士として、ひとりで重ねた15年

出会いの数より、登記の件数が多い人生──司法書士として、ひとりで重ねた15年

「気づけば、登記の山だけが増えていた」

ふとカレンダーを見て、「あれ、もう今年も半分終わるのか」とため息をつく。毎日机に向かって、登記簿とにらめっこしながら過ごすうちに、時間はあっという間に過ぎていく。新しい出会いなんて、もう何年もない。登記の件数だけが毎年増えていき、気づけば年に100件以上の手続きを一人でこなしていた。人と話すことも減り、仕事が自分の世界のすべてになってしまっていた。登記という無機質な作業の積み重ねが、僕の人生の主役になってしまったのだ。

結婚どころか、最近じゃ誰とも話してない

たまに知人から「結婚はまだ?」と聞かれるが、もうそんな話題すら遠ざけたい気分になる。実際、プライベートで誰かと会話したのはいつだっただろう。日々のやり取りは、ほとんどが依頼人か役所とのメールと電話だけ。人間関係が仕事のなかだけで完結してしまっている。この生活に慣れてしまった自分が一番怖い。コンビニのレジでの「袋おつけしますか?」が、唯一の人間らしいやり取りに感じるほどだ。

寂しさは、事務所の壁が吸い取っていく

この事務所にいる時間が長すぎて、壁に話しかけそうになる時がある。気温の変化、雨の音、印刷機の動作音――そんな些細な変化が、日常のアクセントになっている。だがそれは「寂しい」という感情を、ゆっくりと溶かしながら蓄積させる音でもある。誰かと同じ空間を共有して、くだらない会話ができた頃が懐かしい。独り言が癖になりそうで、時々怖くなる。

たまに来る営業電話が、唯一の雑談

迷惑だと思っていた営業電話が、最近ではちょっとした気分転換になることがある。保険の営業マンや通信業者の担当と、世間話を一言二言交わすだけで、少しだけ心が軽くなる。相手はこちらを数字として見ているのかもしれないが、それでも「今日は天気いいですね」なんて言葉が、なぜか沁みる日があるのだ。

でも登記は、待ってくれない

感情なんて置き去りにして、登記はやってくる。依頼人にはそれぞれ事情があり、こちらの心境とは無関係に手続きの締め切りはやってくる。感情に振り回される暇なんてない。目の前の案件を、確実に、迅速に、正確に片付けていく。それがこの仕事のすべてであり、唯一の誇りでもある。だが、そこに人としての“ぬくもり”が欠けていることも否めない。

「この人、何か抱えてるな」と思ったお客様の件

ある日、遺産相続の相談に来た女性がいた。何度もため息をつきながら、話す言葉には迷いがあり、誰かに頼るような目をしていた。書類の話をしながら、ぽつりと「母のこと、もっと大事にすればよかった」と漏らした一言が忘れられない。そのとき、僕はただ書類を進める機械じゃない、人として寄り添いたいと思った。でも、それ以上の言葉が出なかった。そういう距離のまま終わるのが、この仕事の常だ。

書類は正しく、でも気持ちは置いてけぼり

書類に不備がなければ、それで「仕事は完了」なのかもしれない。でも、依頼人の中には、法務局では解決できない心の問題を抱えている人も多い。そういうとき、登記をすることで本当にその人の人生は前に進めているのか、疑問に思うことがある。自分のしていることが誰かの役に立っていると信じたいが、どうしても割り切れない感情が残る。

「仕事があるのはありがたい、けど──」

地方で司法書士をやっていけているのは、本当に運がよかったとも言える。仕事があること自体が奇跡のようなものだ。だが、「ありがたい」と思えば思うほど、辞める選択肢は遠のいていく。やりがいと重圧は表裏一体。今日もまた、やるべきことに追われる日々が続いていく。

忙しさの中で、見えなくなっていたもの

一人でやる仕事は、気楽さもあるが限界もある。目の前の案件をこなすことで手一杯になり、自分が本当は何をしたいのかが見えなくなる。気づけば、ただ「終わらせるために働いている」状態になっていた。生きているのか、生かされているのか、それすらわからなくなる。そんな日々が、もう何年も続いている。

帰り道、コンビニの灯りがまぶしい

夜9時過ぎ、ようやく仕事を終えて事務所を出る。帰り道の途中にあるコンビニの灯りが、いつもよりまぶしく感じる。中では誰かが弁当を選び、レジでは学生バイトが笑っている。その風景を見るたびに、自分の人生がどこか遠くに行ってしまったような気分になる。誰にも気づかれない夜道を歩きながら、「明日もまた登記」と呟いてしまう。

「食事はもう済ませましたか?」と聞いてくれる人がいない

誰かと食卓を囲むことなんて、もう何年もない。事務員の女性がたまに「お昼まだですよね?」と気づいてくれることがあるが、それだけで心が救われる。でも彼女にも家庭がある。あくまで“仕事上の関係”でしかない。誰かに「今日どうだった?」と聞かれることが、どれほど贅沢なことだったのか、今になって思い知る。

ふと、仕事と自分を切り離してみる

ある日、急に「自分がやっていることは何のためか」と考えた。誰かの役に立っているのか、それともただ生活のためだけなのか。登記という仕事が好きか嫌いかすら、わからなくなっている。少し離れて考える時間が必要なのかもしれない。けれど休むことにも罪悪感がある。自分の存在価値を、仕事だけに預けてしまったのだ。

誰の人生を支えてるのか、わからなくなる夜

住宅ローンの登記、相続の手続き、会社の設立――いずれも誰かの人生の節目であるはずだ。でもそれを何件もこなしていくうちに、重みが薄れていく。まるで誰かの人生を記号のように処理している気分になる。そんな夜は、「これでいいのか?」と問いかけたくなる。でも答えは出ない。次の案件がもう目の前にある。

それでもやめられない理由

矛盾だらけだが、この仕事を嫌いになれないのも事実だ。誰かの役に立てること、困っている人に手を差し伸べること、それ自体に意味があると信じたい。誰かに必要とされることが、唯一の支えになっているのかもしれない。たとえ登記の件数が出会いの数を上回っていたとしても、この仕事にしかできない価値があると、信じていたい。

「司法書士という仕事に、救われた瞬間」

孤独と忙しさに押しつぶされそうな日々でも、時折ふと「この仕事をやっててよかった」と思える瞬間がある。誰かの困りごとを解決し、感謝の言葉をもらえたとき。言葉にならない安心を感じられたとき。人付き合いが苦手で、恋愛もうまくいかなかった僕が、それでも社会に関わっていられる。そんな場所を与えてくれるこの仕事に、心から感謝している。

孤独の中にも、確かな手応え

一人で迎える朝、誰もいない事務所、静かな書類の音。それでも、今日やるべきことがあるという事実に、少しだけ救われる。誰とも会わない一日でも、確実に誰かの人生に関わっている。その感覚だけが、自分を支えてくれている。手応えがあるから続けられる。むしろ、それしか残っていないのかもしれない。

依頼人の『ありがとう』がしみる

一件の登記が終わった後、ポツリと「本当に助かりました」と言われたことがある。派手な言葉じゃない。でも、心の奥まで届いた。誰かの役に立てたんだ、と実感した瞬間だった。その言葉だけで、何日分もの疲れが消えたような気がした。司法書士という仕事は、地味だけど、確実に人の支えになれる。それが、唯一の希望だ。

一件一件が、自分の居場所だった

僕には家庭も恋人もいないけれど、手がけてきた登記の一件一件が、自分の人生の足跡になっている気がする。寂しさもあるが、それでも無意味ではなかったと信じたい。誰かの人生に少しでも関われたのなら、それだけでこの仕事を選んだ価値はあった。登記の件数は、出会いの数じゃない。けれど、確かに誰かとのつながりの証だった。

モテなかったけど、無駄じゃなかった

学生時代からずっと、女性にはモテなかった。恋愛とは縁がないまま、45歳になった。でも、司法書士になってから、別の形で人と関われるようになった。好かれなくても、必要とされる。それは恋愛以上に、深い喜びかもしれない。モテなかった人生でも、自分なりの意味を持つことはできたのだ。

恋愛経験ゼロでも、人生は続く

「彼女できたことあるの?」と聞かれたら、黙るしかない。でもそれがどうした、とも思う。恋愛だけが人生のすべてじゃない。誰かに選ばれなかった代わりに、僕は登記という仕事に選ばれた。少し強がりだけど、そう思えるようになったのは、歳を重ねたからかもしれない。

「自分にはこれしかない」と思えた日

どんなに愚痴を言っても、忙しくても、辞めようと思わなかったのは、やっぱりこの仕事が自分に合っていたからだ。周りに合わせられない性格、不器用な人間関係、でも誠実に向き合えること。登記の書類と向き合う時間が、唯一安心できる時間だった。だからこれからも、出会いが少なくても、登記に支えられた人生を大切にしていこうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。